やろうとやった (2024 No.13) | 噺新聞(874shimbun)

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「落語」のこと、暮らしの中にある「噺」についてなどを集めた、噺新聞

 いま、まくらことばを書いています。週一回のペース、八〇〇字。金土あたりから取り掛かり、日月で仕上げている流れです。月曜夜中、コピーして翌日のヨーガ教室で配布。そして、友人のブログ(噺新聞)用に送付。

 週一回、字数、締め切りは、自分で決めて崩さないよう守っています。一度「まあいいや」と崩すと、その思いがどんどん広がっていくような気がします。そして、どうでもよくなる……。中味は、勝手なことを書いていますが、「そのうち出来た時に」という思いでは、続かないように感じています。

 皆さん、実生活で、やりたい、やろうとしたことが、やった、出来たになっていますか。私、ここ数年で、気づいたことがあります。関心ある人物の展覧会、企画を知り、行こうと思ったことが数回あります。期間は数か月。「そのうちに……」これは、ほぼ「行かなかった」という結果に終わっています。

 決めないで、曖昧にしておくことで、他の可能性を広げていると錯覚するようです。そして、実行しないで終わってしまいます。講談で「そういう噺が、あったとかなかったとか」と言った時には、ほぼ、なかったことのようで。

 限定するというと、窮屈に感じるかもしれません。これは、先へ、前へと進んでいることになります。決める、と言えばどうでしょうか。他の全てを断って、ひとつに決める。決断することで、実行する力が強くなります。

 落語家の人間国宝、桂 米朝。二十代半ばの頃の体験を、記した文章です。「えらい落語家になりたいと思っているか」と聞かれ「思っています」と答えたら「それは嘘だ。本当に思っているなら、毎日こんな日の過ごし方はしていないはずだ。それはね、まだ本当にそう思っていないんですよ」と。

 自問自答してみます。自分の命と元気を守ろう。本当に思っているか? 24  4/1   悪志