天災と天才 (2024 No.10) | 噺新聞(874shimbun)

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 今日は、三月十一日。東日本大震災から、十三年経ちました。今年一月一日、能登半島地震から二か月。天災は、忘れた頃にやってくる、と言われています。

 今回は、もう一つの「てんさい」についての噺です。落語の「天災」ではありません。残念でした。ぼんさいに対するてんさいです。観賞用鉢植えの「盆栽」ではありません。残念でした。凡才ではなく「天才」です。

 私達人間は、本来みんな天才なのではないでしょうか。只、忘れているだけで。可能性があっても、気づかなければ活かせません。続けなければ、結果は出ません。天才とは、全く縁もなく、興味もありませんでした。数年前に出会ったゲーテの言葉、面白いですね。「もし子供たちが、そのまま成長したとしたら、天才しかいなくなってしまうだろう」

 子供の頃の学習意欲がずっと続けば、可能なことかもしれません。只、色々な理由で、その情熱がストップするのが現状です。エジソンは「天才とは、一%の霊感と九九%の努力である」と言っています。いいものを持っているだけでは、発揮できません。十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人。

 多くの人は、人間の持つ能力の二〜五%くらいしか使っていません。安岡正篤先生は、こう説いています。天から与えられている素質、能力、これを「天命」という。自分には、何が与えられたかを知る。これを「知命」。 それを知って発揮していく(自分を尽くす)のが「立命」と。私達は、自分を知るということが、一番大事なことのようですね。

 私達は、天から与えられた才能(自分)を知り、何%かの努力を積み重ねていくことは出来ます。二十歳過ぎていても。続けるということも、才能の一つです。努力、継続するから天才へ。天才は努力、継続する者。目指すぞ、天才!四月で七十四歳。 ’24   3/11   悪志