落楽会 | 噺新聞(874shimbun)

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ーーー落語研究会、落研(おちけん)と呼ばれている。

いろいろな大学にこの落語研究会は存在しているが、早稲田大学に在学中の小沢昭一たちが作り上げたサークルが最初と聞いている。そして同じように東京大学にもでき、この両校が古株なのだろう。

 

1960年代に雨後の筍のように各大学で落研(おちけん)ができたようだ。

この落研(おちけん)出身でプロの噺家になっているのが多いのが、明治大学落語研究会かもしれない。知っているのは今年人間国宝になった五街道雲助、そして立川志の輔、立川談之助、立川談幸、噺家ではないが、三宅裕司、渡辺正行もいる。

日本大学芸術学部落語研究会、日芸だが、ここも多い。亡くなった古今亭右朝、立川志らく、春風亭一之輔、柳家わさび。

桃月庵白酒は早稲田大学落語研究会だ。

 

かく言う私めも落研(おちけん)出身だが、ブログに書く文にも、越智健(おちけん)なるペンネームで記述し、今は高座に上がることはないが、自らつけた芸名はブン屋もどき、仕事柄のこともあり、こんな芸名にしてみた。

 

学生時代、大学から部活にあてがわれた部室は4〜5畳の広さの床はコンクリートだった。ここにテーブルと椅子を配置するわけだが、後輩の女の子の実家が畳屋を営んでいて、その子に頼んで、廃棄するような畳を何畳分か分けてもらい、その部室に引き詰めた。余った畳は積み重ねて、江戸時代にあった牢屋の主の居場所のように、そして高座がわりにしてみた。和室あつらえですね。

 

稽古はこの部室だったり、人数が多いと空いている教室や多用途の畳敷きの部屋で行っていた。

落研(おちけん)に入ると兄に打ち明けたときに、兄は運動部の選手だったので、1年生の時、散々先輩から正座させられたりしごかれたのであろう、落研(おちけん)は正座して稽古するのだろう、大丈夫かと心配されたことが、懐かしい。

 

令和の時代になり、大学の環境もずいぶん変わってきているのであろう。

3年前から足を向け始めた、拓大落研(おちけん)OB・OG会の落楽会落語会に出向いてみた。ここは、5年ほど前から部員ゼロの状態になり、大学側から廃部を伝えられたが、OB・OG会が大学と交渉して何らかの活動を続けて向こう3年間は存続、という了解を得ていたが、部員ゼロは続いているよう、今では部としての存続は無くなったのであろう。でもまだ、こうしてOB・OGの落楽会が開催された。

 

柳家喬太郎師匠の出身、日本大学経商法落語研究会も無くなっていると聞いている。

栄枯盛衰、時間が過ぎていくせつなさを感じながらも、このひと時楽しんでみましょう。

 

部活の稽古の時やっていったような、メモどり、ひとことコメントを記してみます。

三代目世間亭悪之助    「六尺棒」

いただいたプロフィールからすると還暦を迎えているようだ。淡々とした口調。上下(かみしも)の振り方大きすぎる気もする。

二代目丸万円亭鶴朝     「時そば」

時そばは最初の客がそば屋をほめまくり、うまそうにそばを食べ勘定を一文ごまかして去る。これを脇で眺めていたやつが翌日真似をしてそば屋を騙そうとする。それが前日のやりとりとことごとく違ってうまくいかない。これがこの咄の聴かせどころ、笑わせどころ、このポイントを演者が意識しているかどうかでウケ方が大きな差になる咄だ。

エムジーX    「コント」

ミュージックを使ったコント。音源とのズレがありながも、それをアドリブでフォローしながら、夫婦コント。家での稽古ぶりを想像しながら、なんかほんわかした気持ちになりました。

こまつ奈     「宮戸川」

ゲスト出演。この方は拓大出身ではなく、女流アマチュア噺家で劇団に所属していて、月に二回ほど高座に上がっているという。

手慣れた演じかた、前者二人の高座ぶりと比べると数段上、達者な演者だ。

初代世間亭悪之助    「富久」

富久の時代設定は江戸時代、このような咄にくすぐり入れるのはよほどうまく入れる、時代背景を強く意識しないと安易なくすぐりになり聴き手を興ざめさせてしまう。

仲入り

 

珍幻斎青葉    「マジック」

こちらは國學院大学落語研究会OBで、ゲスト出演。

プロフィールにもトークがプロ並み、いろんな高座から引っ張りだこと書かれていた。

確かにこのトーク、手品の見事さもそうだが、手品の種明かしをトークで客席を沸かす、なかなかなものである。

二代目世間亭悪之助    「井戸の茶碗」

慣れた話ぶり、口調もよし、こまつ奈と同列か一段上の技量とみた。

初代出々亭笑虫    「二番煎じ」

志ん朝、宮治を持ち出すくすぐり、なかなかうまい。さりげなさが光っている。

「二番煎じ」この咄、志ん朝師匠が彷彿される、番屋での土瓶の煎じ薬(酒)、しし鍋をつっつく風情が聴いていて頭に浮かんでくる。達者なもんです。

今日の仕上がり、二代目、悪之助、笑虫が褒められる芸ですね。

 

だが、今日の出来上がり、わたしはあえて悪之助に軍配をあげたい。なぜだろうか、ふと思った。笑虫は今現在の自分の芸に自信を持っている、それが充分、俺が一番と思っているに相違ない。でも、でもなのです。あえて自分の表現に慢心もなく、ひたすら一生懸命伝えようとする語り、伝え方は、そう悪之助に軍配をあげる、それを感じた、わたしの今の気持ちなのです。

古今亭志ん彌

拓大出身者だが落研に所属はしていなかった。1974年に古今亭圓菊に入門、菊弥と名乗り78年に二つ目、87年に真打、志ん彌に改名。

 

寄席の楽屋で三ボウとよく言う、けちんぼう、ツンぼう、泥棒を咄すのはお客さんに差し障りがないということからと、咄が始まった。今日の演題はなんだろう、素人が先に演じた「二番煎じ」でもない「井戸の茶碗」「富久」でもない、そう寄席ではトリ以外滅多に演じる大ネタでもない”うんでば“「締め込み」を語ってみせた、これは素人たちと違う、これがプロ、玄人なんだぜ、と高座を降りながらの背中でつぶやいている言葉のような、志ん彌の矜恃と思ってしまった。