沢木耕太郎著「春に散る」 | 噺新聞(874shimbun)

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映画「春に散る」のことを掲示した噺新聞をお読みになった和歌山の中尾さんからメールをいただいた。

そのメールの内容、ひとりで読んでおしまいにするのはもったいないような気がして、ご本人の了承を受けたうえで、噺新聞へ掲示をすることにした。

和歌山の中尾さんの一文、

 

映画「春に散る」の原作本を読んでみました。作者は沢木耕太郎。
沢木耕太郎はわたしも好きな作家のひとりです。


なかでも「深夜特急」はわたしの座右の書でもあります。またボクシング関連の本としては「一瞬の夏」。これも感動を覚えた本であります。カシアス内藤とトレーナー、エディ・タウンデントの二人三脚を描いた新田次郎文学賞を受賞した作品です。


今回「春に散る」を図書館で借りて読んでみました。


ページを開いてまず気付いたことは、活字の数の少なさです。なんと空白の多いページになっていることか、と。
これなら読みやすい。しかし、これでないとスマホや動画に慣れ親しんだ若者には読んでくれないのか?、と呆れてしまうほどの字数の少なさです。


そして思い出すのは、藤本義一師(直木賞作家)のもとで勉強していた時の師の言葉です。

(写真左、和歌山の中尾氏、そして右、師の藤本義一氏)

藤本師は、
「プロを目指すなら、一月に十冊は読みなさい。これは最低です。なぜならプロは二十冊は読んでいるからです」
「ボクは図書館で借りて読んでいます」
というと、藤本師は
「キミねえ、本は買って読むものだよ。買わないと自分のものにならない。吸収できないんだよ。またね、後々の参考資料としても使えないだろう」
「先生、分かりました。今後は買うことにします」
と、そのときはそう答えた。


そう言ったものの、そこまで経済的余裕はないのである。しかも、手狭な我が家である。置いておくスペースもないではないか。
ゆえに、
いまだに本は”借りるもの”、だと思っている。 

それと、もうひとつの思い出は、あのひと言だ。


「自費出版はするな!。これは厳命だ」
「自費出版はいけませんか?」と、ボク。
「自費出版するとみじめになるぞ。本屋の片隅にポツンと置かれるだけだ。お情けでね。いいかい、いいものを書くことだよ。そうすれば必ず本になるものだ」
藤本師は強くそう云い渡した。


ボクはいまだにこの言葉を信じている。自費出版などしようとはつゆとも思っていない。しかし、いまだに何処かの賞に入選するという話しも予兆さえもない。


ボクの本が出版される日が来るのだろうか、と、密かに思いながら、図書館で借りた、「春に散る」をいま読んでいるところである。