こしらの集い 東京、2度目の訪れ | 噺新聞(874shimbun)

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柳家の一門だった立川流では最初に学ぶ噺が「道灌」。こしらの師匠立川志らくから「道灌」を教わったのだが、稽古をつけた最初から師匠に匙を投げられ、「好きにしろ」と言われ、こしらは落語全集を読み、この噺はこんなあらすじと理解、そして自分なりに噺を解釈し自分の都合のいい噺にする。噺によってはまったく別の噺になってしまう。古典落語の改作、創作というのが「こしらの落語」というのかもしれない。

こしらは型通りの古典落語は私にはできないのだ。と語っている。

師匠、他の真打から噺を教わるということを経ず、自分流の古典落語の構築をずっと続けているのだ。口頭伝授を受けずにネタを蓄積しているので、フリの多い「蒟蒻問答」のような噺は得手とはしていない様子だ。確かに、手ぬぐい、扇子の使い方、上下(かみしも)のフリにも気になるところはあるが、それより圧倒的に台詞まわし、噺の構築がいい。

 

3月5日に内幸町ホールで開催された「こしらの集い 東京」で初めてこしらの落語を聴き、なにか強く感じるものがあり、それを確かるためにもう一度4月に行われた「こしらの集い 東京」を訪ずれた。

 

表題、立川こしらトークライヴ+落語とあるよう、緞帳が上がりトークが始まった。今日のトークはこしらが作りあげているコラボレーション団体、合同会社伝統組を新宿から長崎県の対馬に2021年に移転した。その関係でこしらの住民票も対馬市に移してあるようだ。

その対馬に放射性廃棄物最終処理場を設置する動きがあるらしく、それを題材としたトークと4月に竹書房から出版されるこしらの本について語っていた。このトークで約55分。

 

毎回この会でいつも最前列に座っているらしく、今日の会にもいたのが、音楽評論、落語評論の広瀬和夫氏。この方が言い出したのかは分からないが、立川こしらを落語家とは言わず、話芸家と表現しているらしい。こしらはこれらのトークをIT漫談という風に言っていたな。

トークを長いマクラのように進めながら、今日の落語一席目を語り始めた。

演題は「船徳」。この噺は四万六千日、今の暦でいうとでいうと七月上旬、暑い夏の噺だが、こしらは地球温暖化が進み、季節はどんどん前倒し、暑い時の噺を今にというようなことを言っていた。

噺の中に出てくる天婦羅そばか天丼、若旦那という呼び方と徳兵衛を言い間違いをしたりするが、そのことを噺に取り込み、脱線しながらも噺を展開させていく。

これが、こしらが言っている稽古は高座でするんです、ということなのかと思った。

二席めの「長屋の花見」でも「店賃(たなちん)」と「ワクチン」を言い間違え、「大工調べ」「粗忽の釘」が「長屋の花見」に混ざっていくような展開に、こしらの〝稽古は高座で〟を強く感じた次第だ。

今日の会も終演は21時を20分超えていた。

今日のこしらの集いを聴いて、興味深い噺家のひとりだと改めて感じた次第。