時が解決 | 噺新聞(874shimbun)

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「落語」のこと、暮らしの中にある「噺」についてなどを集めた、噺新聞

amebloを始める前は自分でホームページを作り、好きなことを書いてアップしていた。

 

その頃はテニスにはまっていて、週末の土日にはクラブへ行き、終日ボールと戯れ、日頃仕事でたまるストレスを日がな一日、ボールを打つことで忘れることを繰り返していた。

 

週に1回、「今日の心得」と題し、テニスをしながら感じたことを綴る文、テニスを離れた内容になることもあるが、気ままな文である。

 

そうやってアップした文をときどき思い返したように読むことがある。

昔の文章である、埃まみれになった文、ちょっとハタキをかけて、皆様にご披露してみたいと思う。

 

2001/11/17/-No.52

戯言おやじぃは:越智 健

 

 軽い肉離れなのか、太ももの裏が痛い。サポーターをつけ、ゲームではなく、球出ししてもらう練習など、余り足に負担のかからないテニスをしている。ちゃんと医者にかかり、治るまで安静にしていることが良いのは分かっている。が、待てない。時が解決するのに、ちょっと無理してしまう。


 ほんと、時間というのは不思議ですね。若い頃、トラブルが重なり、にっちも、サッチモ状態の時など、「時が解決するさ」という年寄りの一言に大いに憤慨したものだ。時間が…という、なんにもしない、人任せというか、状況まかせ、受け身の考え方がとっても嫌だった。年を重ねておやじぃになった今、人の世、「時間が解決する」「時が必要なこと」「ほっとくこと」、これが一番だと痛感している。


 おいおい!痛感しているはずのおやじぃがコートに立つなど…、まだまだ悟りの境地に到達していないね。


 勝っているゲームも時間感覚はあっという間だが、負けている試合も短く感じる。辛いことは長く感じるのではと思ったが、違うらしい。これは、集中することが時の進む感覚に影響するのだろう。


 子どもの時は早く来い来いお正月ではないが、時間がゆったり流れ、早く大人になりたくてしょうがなっかった。今は時のスピードが、そして肉体の衰えが早足から駆け足に変わっている。