#別れが人を強くした | きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

柴田真帆と申します。
アンジェルマン症候群の兄様がいて、
過保護・過干渉の毒母を見送り、
モラハラ&パワハラ夫を捨てました。

 

齢50ともなると「別れ」というのはもはや

「死別」

ということになる。

 

強烈に覚えているのは、わっちが小学生の頃

毒母が拾って来たカワイイ盛りを過ぎたばかりのわんこ。

 

拾ってきたばかりの頃は瘦せっぽちの暗い表情のコだったが

我が家でヨシヨシされまくってムクムクと大きく育ち

表情も毛艶も見違えるほど可愛くなった。

 

そんな彼は亡くなるとき、わっちを見つめて、逝った。

瞼を閉じるそのときまで、わっちを見ていた。

短大生の頃のことだ。

 

それから10年ほど経って、一緒に飼っていたわんこも

この世を去った。

 

このふたりのわんこがわっちに与えてくれた経験によって

今のわんこふたりを「決して後悔のないよう」

共に過ごすと決意した。

 

先代のわんこたちが亡くなったとき

わっちは途方もない後悔に苦しんだ。

 

もっとこうしてあげたら

もっと、もっと

あんなことも、こんなことも

 

と、いろんな後悔が渦巻いた。

 

その経験から、父が平均寿命に近づいてきた頃

してあげたいなと思うことは片っ端からやった。

 

後悔ではなく、思い出の方が重要だと

教えてくれたのはわんこたちだった。

 

だが父を見送ったあとに「後悔」はなかったが

例えようのない「心細さ」が大きくわっちを蝕んだ。

 

父が他界したあと、わっちにおんぶにだっこの毒母によって

わっちは強烈に強くなった。

父と同じようにやらなければ猛毒を吐かれるのだから

ある意味、相当なスパルタである。

そのスパルタ教育の最中、モラハラ元夫も牙を剥く。

 

まさに、どん底のドロドロの状態だった。

 

メンタルは最弱だったが、物理的にやらなければならないことは

大概のことは出来るようになった。

 

結果、ひとりでも全然、生きて行ける

ってことになってしまった。

 

毒母に関してはもう、これ以上無理ってとこまで

良いようにしてやったのだから後悔はない。

 

家の中の毒母が出来ないことに始まり

病院の送迎、最期はフル介護まで

ありとあらゆることをやった。

 

これだけやって、文句をまだ言うのならもう

知らねぇよ。ここまでが限界だ

と自信を持って言える。

 

毒母に最後のトドメを刺された格好で

もう、わっちは「おひとりさま無敵」状態である。

 

生きる上で、他人の存在は必要ない。

 

兄様のことや今のわんこふたりのことも含め

わっちが為すべきことは山盛りにあるわけだが

わっち以外の手がどうしても必要、ということは

まったく、ナイ。

 

他人の存在はむしろ、

わっちの精神的身体的負担が大きくなるだけなのだ。

 

強くなっちゃったなぁ、わっち。

 

先代のわんこふたりは、

わっちに心のありようを教えてくれた。

 

父は、この家の中でやらなければならないことを

教えてくれた。

 

毒母とモラハラ元夫には

「わっちは自分軸で生きられない」ことを

身をもって、毒を以って仕込まれた。

 

わっちは、ひとりでなければ恐らく

自分を生きられない

ということを悟った。

 

一時は「もうラクになりてぇ」とまで思ったが

何とかここまで、生きている。

せっかくここまで来たのだから、残りの人生

「自分」というものを生きてみたい。

 

別に大々的にやりたいことがあるわけではないが

わっちのタイミングでわっちのやりたいことを

小さなことであっても「出来る」ことが

今は本当に幸せだと思う。

 

まるで大したことじゃない。

 

キャベツがないから買いに行こう、とか

わんこの薬がないから貰いに行こう、とか

掃除機かけなきゃないな、かけるか…とか

天気がいいから洗濯しよう、とか

 

そんな程度のことである。

 

だがそんなことでさえ、

ひとりでなかったときは周りのタイミングを見計らって

諦めたり

ずらしたり

そんな状況だった。

 

そういうのが、まったくない、今の状況。

最高。

 

強くなったんだなぁ、と思いたい。