本日、沖縄慰霊の日。

 

日本人の中で、どれだけ気に留めている人がいるのだろう。

 

県民の4人に1人が亡くなったという沖縄戦。

ちょっとググれば、当時の証言をたくさん目にすることができる。

 

わっちが第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争に

関心を持ったのは小学校4年生。

きっかけは覚えていないが、恐らく父から聞いた

わずかな戦時中の話からなのではないかと思う。

 

父はほとんど戦時中の話をしなかったが、

今日のような日、空襲の日、終戦記念日など

そういう日、折りに触れて、ほんの少しだけ

独り言のように当時のことを、つぶやいた。

 

「弟連れて、釣りに行ったら

B(29)が飛んで来て、慌てて弟背負って逃げたとき

バババババッと撃たれてなぁ。

当てる気なら当てられたんだろうけど

からかってたんだろうな。

必死で逃げたけど、こわかったなぁ」

 

子どもの父が、命の危険を感じる経験をした

 

当時、似た年代だったわっちには衝撃だった。

衝撃という言葉では表現しきれない感覚が、あった。

 

インターネットなんてまだ普及していなかった頃

毒母と沖縄旅行へ行ったとき

バスガイドさんから、沖縄戦での住民の皆様の苦難を

聞いた。

 

頭の芯がぐらぐらするような感覚だった。

 

日本人、住民、日本兵、アメリカ軍

 

みんな人間であるはずなのに。

 

当時のわっちは学生の頃、ある程度は

太平洋戦争についての本を読んで

知識を得たつもりでいたが

沖縄戦についての知識はあまりにも浅かった。

太平洋戦争を知ったつもりでいたことを

心の底から恥じた。

 

同じことが、今、パレスチナ・ガザ地区でも

ウクライナでも

わっちが知らない世界中の紛争地で、

起きている。

 

なんでみんなで生きられないんだろう。

 

普通に生きていて、自ら死を選ぶ人は

ある一定数は居ると思う。

いろんな理由があると思う。

わっちだってそのラインに達してしまったことはある。

 

だが、周囲の状況に巻き込まれて命を失うのは、

いたたまれない。

 

沖縄では、追い込まれてどうしようもなくて

自ら命を絶つことになった人も多数、おられると聞く。

 

今年の今日も

刻まれた亡き親族の名前を指でなぞりながら

礎の前で涙し、手を合わせておられた。

 

生きていることに苦しんだことも、あっただろうし

むしろ今も、生きていることに苦しんでおられるのかもしれない。

 

80年近く経ってもなお、続く苦しさ、苦しみ。

 

生のほとんどを、戦争による苦しみに支配される人生。

 

世界中のどこかで、その感覚は連綿と続いている。

 

いいかげん、断ち切れないものなんだろうか。

人間はもう、進化できないんだろうか。

 

AIだなんだと言う前に、人間自身が進歩しろよ、と

思うのはわっちだけなんだろうか。