ご訪問ありがとうございます
311の時仙台で被災しました
ライフラインもなく
携帯も繋がらない
情報難民でしたが
人づてで津波被害の話を聞きました
当時はショックだったので
聞いた話を誰かに伝える事のは
私が話した相手に負担をかけるだけ
誰かに話す事が出来ず
胸にしまっていました
3月になると今でも辛くなるので
ブログに書いてみました
このブログに書いた
お隣の親戚の方は
後日連絡が来て
ご無事でした
避難所では名簿があるのですが
帰宅した方の
消し込みがされていなかったり
勝手に避難している方もいたので
大きな声で
〇〇いませんかーと
ご家族が叫んで探していましたが
あの時、避難所も
公に設定された場所以外も
臨時で結構あちこちあったし
住所によって区割りされているのを
ボロい学校はイヤと
無視し利用する方が
いる一方で
家に帰る術がない
連絡する術もないと
家族の安否も解らない
不安な中
利用している避難所で
ボランティアをしている方とか
立派だなと思いました
津波で車が流された方は
津波からは避難出来ても
その後
津波から火が上がり
逃げ場もなく
生きた心地のしない一夜を
多くの小学生が体験したのだと
思うと
本当に大変であったと思います
行政のアナウンスに従って
避難したとたん
お嬢さんを津波で流された方
あの後TVニュースのインタビューを
受けていた様な?
もしかしたら同じ
シチュエーションの
別人かもしれませんが
私がテレビを見れたのは
電気か復旧した
15日以降です
お隣の方の親戚がご無事だったのは
1週間以上も経ってから
公衆電話からの連絡で
無事が解ったので
お嬢さんも
見つかっていると良いなと
思っています
3月14に携帯がつながった
3月14日に携帯が繋がりました
それまでは制限があった様で
311直後姉からメールが来て
まだ息子の安否確認は
出来ていませんでしたが
家族は無事であると
姉に返事したのですが
それが届いておらず
津波のニュースで本当に
心配していたそうです
ママ友も
気仙沼が地元の方や
石巻出身の方も
ご家族と連絡がとれだしたら
明るい顔になる方が多く
私の周りは有り難い事に
家は津波被害にあっても
ご家族やご友人が無事の方が多く
本当に安堵しました
津波があっという間に
家の中で水位が増し
一端はもうあきらめたけれど
津波って
引き波もあるので
水の中で耐えていたら
水が引いて逃げられたなど
卒業式に
中学生のお子さんを探した方の事
怖くてその後が聞けていません
でもニュースをチェックしていたので
恐らくまだ見つかっていないと
思います
なんだろう
辛い事をダラダラ発信する意味?
考えてしまいますが
大きな地震が来たら
津波を意識し
高い所へ
避難する事を考えて下さい
住宅地って直接海が見えず
まさか津波が来るとは!と
思っていなかった方も多かった
でも海から1Kmの所に
お住まいで津波を意識せずに
いた方とか
津波被害に遭われた方は
想定が甘かった方も多い印象でした
かと思えば
知識があり
海や川の水位を確認し
海の海水が引いていないからと
津波は来ないと判断した方で
被害にあった方もいらしたし
なんとも言えませんが
津波の被害は辛いです
ご家族も
家も財産も
お仕事も皆いっぺんに
無くされた方の思いは
計り切れません
大きな地震が来たら
グズグズしないで
避難の一択です