ご訪問ありがとうございます

デレデレ

 

311を仙台で経験しています

 

避難所はキャパオーバーで

入れず

食料を求め

ドラッグストアで並んでいた時の話

看板持ち

 

 

続きです

 

 

閖上の津波被害女性

 

女性に聞かれました

 

「地震の後どうされていますか?」

 

私は

「避難所にあぶれ車で寝泊まりしています」

簡単な返事をしたら

 

女性の怒りに満ちた目を感じました

というか

睨まれました

ゲッソリ

ええ?
女性は閖上から買い物に来たそうです
閖上の津波被害は昨日聞きショックを受けました
セレモニーホールにご遺体が溢れている

隣のご主人の出身地で

親戚を探しにいったけれど

見つからなかったと

涙を流されていました

 

 

自転車で一緒に行った

隣の奥様の話によると

家は津波で流され

どの家も基礎しか残っていなかった

悲しい

 

 

予定時間通りにはこない津波

 

女性は静かに話だしました

 

小学校に子供を迎えに行き

最初は校庭にある体育館で

子供の引き取りでしたが

津波の警報で

全員が校舎の上階に避難

 

津波が予定の様に来ないので

体育館に戻り引き取りを再開したら

 

校舎の上階にいたPTAが

津波が押し寄せているのに

気が付きました

ガーン

 

慌てて

体育館へ駆け込む

PTAの方が

津波が来たー

と叫び

体育館は騒然とし

みな急いで校舎に避難し

津波の犠牲者は出なかったと

 

私、つい「良かった」と声に出す

 

校庭にみるみる津波が

押し寄せ

あらゆる物を破壊しながら

押し流していく

 

悲鳴があがり

 

目の前の光景が

まるで映画を見ている様な

現実とは思えない光景だけど

 

自分の車が

流されて行くのは

現実

でも

見ているしか出来なかった

悲しい

 

津波から火が上がり

怖かったそうです

 

その後小学校で

一夜を明かした

 

津波で九死に一生を得た方でした

 

車を流されるのを

ただ見ている事しかできなかったのに

私が車で寝泊まりしているのが

不快だったのでしょう

 

学校で火が上がる津波を見ながら

震えながら一夜を明かした

過酷な体験です

 

歩きなのか自転車で

こちらに来ているのも

閖上地域のお店が

被害にあっているから

なのでしょう

 

「家は大丈夫ですか」等

 

余計な事は聞けません

色々慮り

何か反応した方が良い

 

声をかけたいけれど

どれもこれも

不適切な気がして

 

「大変でしたね」

位しか

言葉は出ず

 

私は彼女を労ったり

希望を持って下さる様な

言葉をかける事は

出来ませんでした

真顔

 

 

津波被害に遭われた方は

本当に傷ついていました

 

私も睨まれた事

忘れられません

 

災害って立ち直るのは

本当に月日を要します

 

 

 

災害は備える事しかできません

落下物で頭を怪我しない用

不用品は片づけたり

防災バッグを作ったり

備えた方が良いです