瀬織津姫 & クンダリーニ…No.206 | 8484yogiさんのブログ

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瀬織津姫No.206

前回は諏訪から遠野の早池峰山へと話が飛びましたか、金精明神(性神)という点では共通性がありましたよね。性神というのは男女の和合、子孫繁栄という概念もありますが、その根底には内なる男性性(太陽)と女性性(月)の和合というクンダリーニの概念が伏せられています。

ヒンドゥー教においては、シヴァ神とパールヴァティの和合であるアルダナーリーシュヴァラがそれを表します。


アルダナーリーシュヴァラはヒンドゥー教のシャクティ(シャークタ)派で信仰される和合神です。シャクティとは性力を主とするエネルギーでクンダリーニのことですが、これ迄、「しゃく」という日本語にはこのシャクティが由来すると感じる部分が余りにも多くあったので、それはおそらく間違いないことだと思いますが、その由来はヒンドゥー教というかインド経由ではないかと考えます。

漢字にすれば、「尺・石・赤・爵・勺・芍・笏・迹・杓・錫・雀・鵲」などがそうですが、これらの「しゃく」はクンダリーニと何らかの関係がありました。

シャクティ(シャークタ)派はヒンドゥー教シヴァ派の一つであり、シヴァ神の妻であるパールヴァティの性力(シャクティ・クンダリーニ)を崇拝します。猿田彦大神はエジプトではトート神やオシリス、インドということで言えばシヴァ神と習合されていると考えますので、その思想が和風にアレンジされて古神道に組み込まれていると考えます。エジプトとインドも通じていますので根は一つだと思うのですけどね。

引用。

『ヨーガが依拠するチャクラ理論において、会陰(肛門と性器の狭間)にあるチャクラ「ムーラダーラ」に眠るシャクティ(性力)のことを「クンダリニー」と呼ぶが、これは伝統的にはシヴァ神の妃と同一視され、「とぐろを巻いた蛇」として表現される。(そして、シヴァ神の座所である頭頂のチャクラ「サハスラーラ」へとその蛇を上昇させて行き、合一させることが目指される。)

このように、シャクティ派は、ヨーガの実践やチャクラ理論との結び付きが強く、タントラ教(タントリズム)、特にその左道の主要な担い手となり、仏教の後期密教にも大きな影響を与えている。』

以上。

これは単に理論ではなく、実際にそのようにクンダリーニはなるわけで、そのエネルギーの象徴が擬人化された神であって、エネルギーが意識を持ってシヴァやパールヴァティとして現出するということになります。エネルギー自体には本来姿はありません。

パールヴァティ・ドゥルガー・カーリーの三女神は三相一体であり、パールヴァティがクンダリーニと同一視される存在ということは、それは自分が言う「クンダリーニ神」という表現の神であって、三女神の姿は蛇ということになります。それが、天河大弁財天社の三匹の蛇であり、「弁財天=瀬織津媛」ですから、瀬織津媛は三相一体でも表される女神(宗像三女神・祓戸三女神・遠野三女神)となるのです。

また、クンダリーニたる三女神は形を変えて三弁宝珠などの宝珠(蛇)でも表されます。蛇がとぐろを巻く姿をデフォルメした形が宝珠です。たとえ、エジプトやインドと接点が無かったとしてもクンダリーニは誰もが霊的体内に有しているエネルギーなので、それを蛇として感知すれば、似たようなシンボルが使われて不思議ではありません。クンダリーニエネルギーが無ければ人は生きていられないのです。

シヴァ神とパールヴァティ女神は男女根であるリンガ(男根)とヨニ(ヨーニ・女陰)で表されますが、それが日本では男根と手水鉢です。寺社で始めに手口をすすぐ手水舎は水で陰であり、浄化であり、そこには多くの場合、竜(クンダリーニ)が使われています。意味のあることなのですね。

シャクティ(クンダリーニ)たる三女神はヒンドゥー教のカーリー、ドゥルガー、パールヴァティが有名ですが、魔女のボスであるヘカテーも三相一体です。

エジプトではハトホル・ネフティス・イシスが三相一体の女神ですが、男根でも表される冥界の神オシリスと再生の女神イシスは猿田彦大神と瀬織津媛に対応していましたよね。猿田彦大神も天の八街(やちまた)の神であって冥界神です。瀬織津媛も奪衣婆で表現されるようにあちら側も司る神です。冥界と性力(クンダリーニ)は、クンダリーニが冥界へのエスコートをするエネルギーなので、その関係は緊密です。

性器である男女根は誕生(生殖)に関わることは当たり前として、本来の意味としてはあの世への誕生・帰還に関わる事物なのです。ま、別の意味でも男女根の絡みは昇天という言葉を使いますが…(笑)。

西洋では魔女におとしめられたヘカテーが、同じく封印された女神である瀬織津媛とは似ていると思います。

三相一体の女神についてウィキを引用。


『紀元前7千年紀のアナトリアの村では女神の三相を表す、「うら若き少女(妙齢の処女)」、「成熟した母親」、「老婆」の3つの姿が描かれた太女神を崇拝した。「三相一体の女神には3人の最も高貴なものたち」として知られている。

それは満ちる月・満月・三日月(欠ける月)という月の三相でもあり、死と再生を繰り返す永遠の循環をも意味している。多面性を持った複雑な多種の相を持つ女神や魔女などは、刻々と姿を変える月に重ねられたのである。

三相一体の地母神の主な概念は、「創造主」・「育成主」・「破壊主」が本来の意味であり、生産、死亡、豊饒、智、海、植物、森、雨、血、生命の循環等を司った。

ギリシャ神話などでは、「過去→現在→未来」、「生→死→再生」、「創造→維持→破壊」と「生誕→成長→衰亡」を司どる女神ともされて、「運命を支配する姉妹」、「高貴なる者」、「同様に高貴なる者」、「三番目の者」と呼ばれている。

女神の三相は地上においては3種の魔女に擬人化されており、即ち「ヨーギニー(妙齢の処女)」、「マートリ(成熟した母親)」、「ダーキニー(老婆)」である彼女たちで、この時には「自然の女神たち」と呼ばれた。』

以上引用。

「創造・維持・破壊」は全てにおける自然のサイクルですが、それを司るのが三相一体の女神であり、男神もこの女神から生まれたことに当初はされていたのですが、それが次第に男神優位いう形に変化していきます。西王母と東王父の陰陽の関係も西王母から東王父が分離することにより生まれましたよね。

太極から陰陽が生じ、逆に、そこに戻るには陰陽和合によるのですが、原始社会におけるメインは陰たる女神なのかなと感じます。で、その女神とは地母神・太母ということになります。陰陽ではあるが、陽は陰に付随するといったイメージです。人も男女共通にあるのはX染色体であり受精後暫くしてアンドロゲンシャワーを浴び、男子のY染色体が活性するまでは皆、女の子と言えますしね。

日本の縄文時代の土偶も女神がメインで地母神です。 遮光器土偶(しゃこうきどぐう)はアラハバキとの説がありますから、瀬織津媛(アラハバキ)とはこんな顔や姿なのです(笑)。



で、ヒンドゥー教の三女神の内、カーリーはドゥルガーの額から生まれたとされますが、同様にヴィシュヌ派の創世神話によると、『宇宙が出来る前にヴィシュヌは竜王アナンタの上に横になっており、ヴィシュヌのへそから、蓮の花が伸びて行きそこに創造神ブラフマーが生まれ、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれたとされている。』とあるようにシヴァ神も額から誕生した神と考える思想もあります。

これは、三女神を後に三男神に入れ換えた思想なわけで、元は太母たる三女神でした。

でもって、その「三女神(地母神)とはシャクティたるクンダリーニということになります。」…ここ、重要ですね!

地母神について引用。

『母なる神は多くの社会において深く崇められてきた。ジェームズ・フレイザー(金枝篇の著者)や彼に影響された人々(ロバート・グレイヴズやマリア・ギンブタス)は論を進め、全ての欧州とエーゲ海沿岸地域の母神信仰は新石器時代に遡る、先インドヨーロッパの (Pre-Indo-European) 母系社会を起源とするというところまで行った。

父なる天を信仰する遊牧民が母なる大地を信仰する農耕民を力ずくで征服したとする説である(→天空神概念の歴史)。』

『ヒンドゥーの文脈では、母性への崇拝は初期のヴェーダ文化かそれ以前まで辿れるだろう。今日では、種々の女神(デーヴィ)がみられる。それらは世界の創造的な力を表現している。マヤやプラクリティのように、神々の大地をおさめる力である。その場所から宇宙全体の存在が投影される。よって、この女神は大地であるばかりではない。地母神という側面はパールヴァティーが補っている。』

以上。

地母神とは地球たる大地の創造のみに関わる母ではなく、宇宙全体を創造する女神ということです。それがパールヴァティたる「シャクティ(クンダリーニ)=蛇」ということです。性力は生命力でもあり、宇宙を造化するエネルギーです。その母性が遊牧民的思想の中心にあった父性優位の民族により奪われたということです。そして、それは現在まで続いていますから、和合していません。

蜂はクンダリニーの象徴として使われますが、蜂社会も女王蜂を中心とした母系社会です。神は両性具有ですが、女性性を中心とした社会の方がうまくいくのかも知れません。

ミトラ教においても、孔雀であらわされる宇宙母のスウィームルグ(スイームルグ)がおり、スウィームルグはミトラ(ミロク)をも包み込む母親的存在です。孔雀は毒蛇も食べる鳥ですが、その毒蛇とはクンダリーニの荒ぶる部分でもあります。

役行者はこの孔雀明王の秘法を体得した方なのですが、孔雀明王は仏母孔雀明王というように母親的意味合いを持ちますし、役行者は当麻寺の弥勒像の胎内に自分の念持仏の孔雀明王像を納めていますから、クンダリーニという観点から見た場合、仏母孔雀明王はミトラ教のスウィームルグと何らかの関係があるのではないかと思います。

引用。

『後4、5世紀ごろになると、ヒンドゥー教シャクティズム(女性の力を重視する)の影響を受け、仏教徒の間で孔雀が神格化されて孔雀明王という尊格が誕生した。孔雀のサンスクリットであるマユーラ(Mayūra)が女性化されてマーユーリーとなり、「偉大な」を意味するマハー(Mahā)が冠せられて大孔雀明王、また女性であることから仏母大孔雀明王と漢訳されるようになったのである。』とあるように、孔雀明王はシャクティ(クンダリーニ)と関係しています。

このことは、また役行者が伝授された柱源神法(はしらのもとのかみののり)という修験道の秘法とも関連して来ます。柱源神法とは一言で言えば、クンダリーニの開発法ということですからね。

この場合は孔雀が地母神であり、シャクティというこになります。そして、この霊鳥化された孔雀(クンダリーニ)は火の鳥であって朱雀・鳳凰にも関係すると思われます。

シャクティについて、更にいくつかを引用します。

『タントリズムの修行者は、解脱だけでなく、ほぼ同じ修行過程によって得られる超能力(神通)の獲得をも目標とした。タントリズムにはさまざまな教義があるが、その中でも最も注目すべきは,シャクティと呼ばれる性力である。これは宇宙のいっさいを発動せしめる根源的な女性原理であり、人間を輪廻に縛りつける無明でもあり、しかもまた、悟り・解脱のもとでもあるとされる。』

クンダリーニは両刃の剣ということですね。なので、厳重に秘されてきたのです。それを口外する者は越法罪とされます。両刃であることはオ○ム真理教を見れば分かります。

『…また,ふつうは,これに加えて二つのチャクラを数える。一つは,ムーラーダーラ・チャクラの直下にあり,三角形をしたアグニ・チャクラagni‐cakraで,ここには,シバ神妃と同一視されるシャクティśakti(性力)が,三重半のとぐろを巻いたクンダリニーkuṇḍalinīという名の蛇の形をして住まっているという。このクンダリニーは,ある意味では,生命の本体(ジーバートマンjīvātman)でもある。』

『ラーマクリシュナは、宇宙の大原理=根元を静=不動とみるときブラフマンと称(よ)び、動=変化活動するとみるとき(創造、保存、破壊)、それを根元造化力(アデャシャクティ)と称ぶ、と説明している。このアデヤシャクティを神格化したのが、カーリー女神である。』

こうした文章を読むことで、日本の出雲系の神はこれに準じていることが分かるのではないかと思います。神社仏閣の蛇や竜はこのクンダリーニなのです。

シャクティは生命の本体であり、創造・維持・破壊のサイクルはブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァにその存在を譲りましたが、本来はカーリーがその神格化された女神・大地母神であったのです。カーリーは、中国では西王母であり、日本では瀬織津媛がそれであると自分は考えます。

ただ、普遍的なエネルギーにいちいち神名は要らず、単に神様と呼べばいいと自分は考えますけどね。

カーリーとは大黒天(大国主命=猿田彦大神)をマハー・カーラ(大・黒)というように、カーラ=カーリーであり「黒」を意味します。黒は鵜(黒蛇)の色であり、黒・玄は北辰北斗ですね。

瀬織津媛がクンダリーニ神である弁財天と習合されているということは、瀬織津媛という女神が大地母神であることを物語っています。

カーリー=瀬織津媛です。下の絵も女陰をデフォルメした絵ですよ。


シャクティについて更に…。

『ヒンドゥー教の姿の一つであるシャクティ主義はヴェーダーンタ、サーンキャ及びタントラ教ヒンドゥー哲学と密接な関係がある、徹底した一元論である。バクティ・ヨーガの伝統も深くこれに関係している。

シャクティという女性的なエネルギーがヒンドゥー教における現象宇宙のあらゆる存在や動きの背後にある。宇宙そのものはブラフマンであり、これは不変の、無限の、内在的であり超越的な、「世界精神」である。男性的な能力は女性的なダイナミズムによって実現され、そのダイナミズムは様々な女神によって体現され、その女神は元を正せば一人の母神である。

鍵になる文書がデーヴィー・マーハートミャである。これは初期のヴェーダ神学、新興のウパニシャッド哲学、発展中のタントラ教をまとめて、シャクティ教を賞賛する注釈としたものである。自我、蒙昧、欲望といった悪魔が魂をマーヤーに呪縛する(心霊的にも、肉体的にも)。

それを解き放てるのは母マヤ、シャクティ彼女自身だけである。このため、内在する母Deviの焦点を強力に、愛情を持ち、自己を溶かし込むような集中力をもって絞り込み、"シャクタ"(シャクティ信徒をこう呼ぶこともある)を集中させると、時空と因果律の奥に潜む真実を知る事ができ、輪廻からの解脱ができるのである。』

要するに個人という自我の幻想を本来無限で一体のもの(神)という真理に目覚めさせてくれるのがクンダリーニ・シャクティということなのですが、このマーヤと呼ばれる幻想を離れ、悟るにはクンダリーニの起動が必須となるのです。で、そのクンダリーニの起動が一斉に起こる時がいずれ来るというのが、あくまで、個人的にですけど自分が直感していることです。なので、御魂磨けよ!ということになるのですけどね。

ということで、瀬織津媛と猿田彦大神は三女神とシヴァ神にも習合されていると自分は考えています。このシャクティズムは古代日本に渡来した海人族により伝えられたのでしょう。これを役行者で言えば、金峯山の蔵王権現(猿田彦大神)と天河の弁財天(瀬織津媛)がシヴァ神と三女神です。

さて、次回はカーリーについて、もう少し言及した上で、ホムツワケの話に遡り、仏経山について考察します(予定?)。


(続く)