瀬織津姫 & クンダリーニ…No.205 | 8484yogiさんのブログ

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瀬織津姫No.205

前回、再び、諏訪の話を持ち出しましたが、もう少し寄り道を続行して言及しておくと、ミシャグチは蛇でも表されますが、ソソウ神という蛇神があり、ミシャグチは塞ノ神(道祖神)とされ、男根でも表されます。これをシヴァ神(猿田彦大神)で見れば、シヴァリンガたる男根は蛇でもありますからクンダリーニという意味においてはミシャグチはどちらでもあるわけです。

諏訪大社の御柱祭や御頭祭はタケミナカタが来る以前の先住者であり、神長官の守矢氏が司るのですが、前回、ホピ族の蛇とカモシカ祭りで関連付けたこの御頭祭に使われる鹿はホピ族ではカモシカに相当するわけですね。で、この御頭祭で供犠される75頭の鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が混ざり、これは諏訪大社の七不思議の一つとなっています。

鹿の二本の角は陰陽エネルギーの蛇行を表し、それが頭頂を突き抜けたことを表すのが、それは牛や鬼(御丹)の角、神社の千木などです。耳裂鹿の「耳裂け」は「33(耳)シャクティ(裂く)」であって、桃(33=宝珠=クンダリーニ)が背骨(33)を鹿角のごとく蛇行上昇して頭頂を抜けることを暗喩しています。このことは御柱(背骨)に打ち込まれる蛇や鳥に見える薙鎌(蛇=クンダリーニ)も同義だと考えます。諏訪には以前にも記しましたがインドの気配が漂っています。

この「75」という数字についても考察したような気がしますが(したっけ?)、御左口神(みさぐちのかみ=ミシャグチ)について守矢氏が記したものに『御左口神(みさぐちのかみ)の長さは七寸五分、人も母の体内に有る時は長七寸五分あり』という文面が見られます。

このミシャグチの長さとされる「七寸五分」は供犠される鹿の数の75頭の「75」と同数ですから、何か関係あるような気がします。ミシャグチとは石棒(男根)や蛇(クンダリーニ)ですが、クンダリーニの長さということには関係なく、クンダリーニの長さが3.03cm×7.5=22.725cmということではないです。

というか、上記の数字を見ると、「22(不死)33(陰・瀬織津媛)55(陽・猿田彦大神)77(陰陽和合・七夕)」と意味のある数字が神業的に集まってますよね(笑)。

男根が七寸五分と捉えても、それは立派ではありますけど、寸法を定める意味が分かりません。

『木造の左口神の身の丈が7寸5分であり,これが縄文諏訪尺の1尺に相当することから「左口神」の語源は「尺神」である』という説もあります。尺神ですから、こちらでもシャクティ(尺)の神となりますけどね。

75頭の鹿・耳裂を「75頭・耳(3)」とすれば「753」で、七五三(しめ)縄。シメナワは陰陽の絡まる蛇ですが、これは考え過ぎですね。

七寸五分で他に思い当たることを考えると、こきりこ(筑子・小切子)節が想起されます。

『筑子(こきりこ)の竹は七寸五分じゃ 長いは袖のかなかいじゃ

窓のサンサはデデレコデン はれのサンサもデデレコデン

向いの山をかづことすれば 荷縄が切れてかづかれん

窓のサンサはデデレコデン はれのサンサもデデレコデン』

「袖のかなかい」とは「袖のじゃまになる」という意味だそうです。「かずく」はかつぐ。筑子とは七寸五分の二本の竹で作った楽器でこれを打ち鳴らすとことにより音を出します。

で、筑子の「筑」には古代中国の楽器の筑という意味もあります。五弦の楽器で竹で打ち鳴らして音を出す箏(そう・こと)の一種です。二本(陰陽)の竹とクンダリーニのメタファーである箏(琴)というと、直ぐあちらを想像してしまいます。筑の原型は竹筒を割いた形のものではないかとも言われますし、五箇山は菊理媛の白山神社系ですしね。




筑子節の歌詞の「窓のサンサはデデレコデン はれのサンサもデデレコデン」の意味も分かってないのですが、「窓」も当て字であって「まど」という言葉が何を意味するかも分からないそうです。「デデレコデン」は太鼓を打ち鳴らす音と言われます。太鼓は雷鳴ですね。エネルギーの起動音。筑子節では竹ササラが使われますが、これは以前、背骨と解釈しました。

岩手にも「サンサ」とつく「さんさ踊り」が伝えられます。「サンサ」はシヴァ神が持つ三叉戟(さんさげき)や三叉鉾(さんさほの)の「三叉(Ψ)」にしたいところですが、岩手のさんさ踊りのルーツを調べると、そこには鬼が出てきました。

引用。

『その昔、南部盛岡城下に羅刹鬼(らせつき)という鬼が現れ、悪さをして暴れておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願しました。

その願いを聞き入れた神様は悪鬼たちをとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました。(岩に手形…これが"岩手"の名の由来だとも言われています。)

鬼の退散を喜んだ里人たちは、三ツ石のまわりを「さんささんさ」と踊ったのが"さんさ踊り"の始まりだと言われています。

この地を逃げ出した羅刹鬼は京の都に辿り着き、羅生門を住処に再び悪さを繰り返し、ついには一条戻橋の上で渡辺綱(わたなべのつな)に腕を切り落とされた…という説もあります。』…だそうです。

この岩手県盛岡市の三ツ石神社の三つの大石は、岩手山が噴火したときに飛んできたといわれ、三ツ石様と呼ばれて人々に信仰されていたのだそうです。岩手山から飛んで来た三つの石に鬼の手形。これが「サンサ」の始まりであるならば、三つの石(シャクティ)ですから、サンサはやはり「三叉Ψ」っぽいですね。

一条戻橋で腕を切り落とされた鬼とは愛宕山に逃げた瀬織津媛でしたよね。ま、これは後で付け加えた話でしょうけど、ここには民族的な意味合いも秘められている可能性があります。岩手山は清水寺を創建した坂上田村麻呂伝説がありますし、岩手山の神の使いは猿田彦大神のシンボルである鷲(わし)ですから追いませんけど何かありそうです。


三ツ石のことをサンサと言うのでしょうかね。三ツ石は三叉(さんさ)のシャクティΨですが、サンサは「三十三(背骨・瀬織津媛)」とも解せます。

で、あまり深追いはしませんが(とか言っちゃって)、岩手山と瀬織津媛が祀られることで有名な早池峰山は男神と女神の関係と言われています。すると、岩手山はやはり猿田彦大神ということになりますが…。

『岩手山は男ぶりのよい雄神で、姫神山と夫婦になったが姫神山はさほど美しくなかったので、岩手山は早池峰山を側室にした。』などという伝説もあります。

ここには瀬織津媛の三人の娘という話が出てきます。これも象徴で実際に娘がいたわけではないのですが、三女神ということですね。この三女神が先程の三ツ石の其々の石に繋がると自分は考えます。この三女神ということですが、それは瀬織津媛の分身で三相一体ということであり、瀬織津媛に集約されると考えます。天河大弁財天社の弁財天が三匹の蛇の姿で表されることと同じですね。三相一体。

それが三女神ということで、「サンサ」とはこのことではないかと思います。デデレコデンと起動するクンダリーニです。三十三(サンサ)は背骨の数であり、三十三観音とあるように観音の変化数でもあります。ま、「サンサ」が「三」という数字にに関係することは間違いないでしょう。



それは三連の天河鈴でもありますし、三弁宝珠でもありますし、三つの俵に潜む蛇でもあります。クンダリーニですね(Ψ)。宗像三女神がイチキシマ姫に集約されたり、カーリー・ドゥルガー・パールヴァティが三相一体であることと同じで、「三相一体」はクンダリーニ神を表す一つの手法なのだと捉えられます。

深追いはしませんが(もうしてる!)、岩手県遠野に伝わる瀬織津媛の三人の娘たちの話を引用します。柳田国雄の遠野物語は昔読んだのですが、ここに瀬織津媛の話が載っていたんですね。

引用。

大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内(らいない)村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。』

以上。

この女神(瀬織津媛)であるお母さんを上記引用文にある伊豆神社では人格化して「おない」という名を与えています。坂上田村麻呂の蝦夷征伐にともないこの地の開拓植民の為に遣わされた婦人という設定です。先祖が牛に導かれた一族の坂上田村麻呂がここに絡みます。征服者である田村麻呂が東北で人気があるのは同じ神を祀るからでしょう。

「おない」は「おあり(尾有り・尾針)=猿田彦大神(草薙剣)」とは対になる名前ですね。「ない」は古語では大地や地震を表します。その意味では地母神的名前と受け取れます。

瀬織津媛は来内村の伊豆神社に祀られます。「ない」さんが来たので来内(らいない)ということなのでしょうね。三人の娘の内、姉の胸元に落ちた霊華(蓮華)を取って自分の胸元に乗せた末っ子が早池峰山の女神でここにも瀬織津媛が祀られます。

遠野を囲む早池峰山・六角牛山・石神山の三山が「サンサ」ということでもあると思うのですが、六角牛山と石神(石上)山に姉娘である二人の女神は現在祀られていません。祭神の改変があったのでしょう。


早池峰大神・六角牛大神・石上大神の三女神は前述したようにクンダリーニの表現です。石上大神は宝珠を手にしていますが、石上は石神とも表記されるように「石神=しゃくじん=シャクティ=ミシャクチ」ですから、ここは諏訪に繋がります。

六角牛には牛が入りますが、「ろっかく」は「鹿角(ろっかく)」であり、牛や鹿の角はエネルギーラインを表します。宝珠とエネルギーラインがあり、末娘とは最後ということですから、宝珠(クンダリーニ)がエネルギーラインに沿って上昇・昇華したことを表すのが早池峰大神である末娘であり、そこには末娘とありながら、瀬織津媛が祀られているわけです。

「六角=ろっかく=鹿角」とすれば、「鹿角(かづの)」は「かずの(葛野)=かどの・かずぬ」であり、渡月橋のある京都の秦氏の領地に繋がります。「葛野・牛」とくれば、秦氏ですから、早池峰山も秦氏が絡んでいるのかも知れません。

末娘は母の伊豆大神とは同神というか、分霊ですね。その早池峰大神は蓮華を手にしますが、蓮華もクンダリーニのシンボルであり、根はムラダーラチャクラ、華はサハスラーラチャクラを表します。泥土(不浄)の中から咲く蓮華は身の穢れを乗り越えて(浄化)咲くクンダリーニの華なのです。それを持つのが三十三身に変化(へんげ)する観音様です。

蓮は古語では「はちす」でしたね。「はちす」は蜂巣(はちす)で、似我蜂(ジガバチ)のように針を尾に持つものはクンダリーニ神のシンボルであり、クンダリーニの起動は蜂巣をつついたように蜂の羽音のような音が聞こえます。また、それは荒ぶるエネルギーともなり得ます。

で、この御札にある早池峰大神をよく見ると分かりますが、その姿は「女陰」をデフォルメした形です。女性器です。金精明神ですね!

早池峰(はやちね)の「はやち」は「はやて(疾風)」の意味であり、早池峰山山頂で風袋を持った男達を見掛けたという伝承もあるようです。風袋を持つのは風神であり、それは祓戸四神の一柱、息吹戸主神(猿田彦大神)でもあります。また、風袋は鞴(ふいご)でもありますから、タタラ製鉄も関係していると思います。

女性器はホトとも言い、「火戸・火陰・火門=ホト」などと記されます。それは製鉄の意味でのタタラでは「火+戸」であって炉(ろ)ですね。一方、錬金術の意味でのタタラではクンダリーニは女性名詞で表されますから、そこをクンダリーニの象徴とします。下の写真も女性器と三宝珠であり、先程の三女神の御札とは同義となります。この絵の人格化が三女神です。


で、実際、早池峰神社には金精様も祀られているのですよ。

天河大弁財天社で見ように金精明神は弁財天であり、瀬織津媛でした。また、それはアラハバキ神でもありましたよね。瀬織津媛とアラハバキが全く同じ女神とは考えませんが、習合されているとは考えます。それは、同じクンダリーニ神なので習合されたわけです。東北の古層の信仰から言えばアラハバキ(瀬織津媛)としてもよいでしょう。アイヌの言葉でアラハバキは女性器の意味でしたから、御札に女陰をデフォルメしてあるのにはそうした意味合いが隠されているのではないかと考えます。

ただの女性器ではなく、クンダリーニということがその奥にあることは誤解の無いように。

諏訪の七寸五分のミシャグチ(男根・蛇)から、話は岩手遠野に飛んでしまいましたが、根底では繋がっています。陰陽の金精明神(性神)です。

早池峰は速霊根(はやちね)で、速玉大神と同じく、クンダリーニが勢いよく上昇するという意味にも取れます。それは最終段階で起きるので、最後ということで末娘が早池峰山を領したのでしょうか。

いずれにせよ、三女神の「三」がキーワードとしてありますが、三は三相一体で同体です。カタチは変われどヒンドゥー教の三女神とシヴァ神はこの思想背景に決して無縁ではないことは断言できます。

来内村の瀬織津媛を祀る伊豆神社は静岡の伊豆山神社からの勧請なのですが、伊豆山神社の祭神は本来、赤白の竜(走り湯)ですから、陰陽のクンダリーニ神です。湯は火水陰陽の和合によりなるもので、クンダリーニを暗喩していましたよね。同時に炉からの金属の熔けたものもタタラでは「湯」と言います。この伊豆の方は今回はもう深追いしませんけどね(笑)。

九世紀初頭に早池峰山を開いたのは四角(始閣)藤蔵という方です。

名前が既に怪しいですね!実在の方か怪しいです。山岳修行者が象徴的につけた名前という感じがします。

「四角(しかく)」には「しか(鹿)」・「くし(櫛=クンダリーニ)」が入ります。鹿の角も櫛もこれ迄見てきたようにクンダリーニを象徴します。名前の「藤」もクンダリーニのシンボルですね。「蔵(ぞう・くら)」はチャクラとか宮(つぼ)といった感じですから、まんまクンダリーニを表した名前と解せます。

「始閣(しかく)」とすれば、「始」は「女+台(うてな)」です。「うてな」は以前検証した「萼(うてな・がく)」や雲梯(うなて)に通じますね。梯(木+弟)は瀬織津媛を表す「乙(きのと)」や「乙木」です。台は「高殿」、「閣」にも「高殿」の意味があります。

女の高殿と言ったら、これも以前推理した西王母(瀬織津媛)の姿と楼閣の姿の相似が想起されます。唐古・鍵遺跡出土の土器片に線刻された建造物である楼閣と西王母の姿が似ているという話です。楼閣には角があります。女(西王母)の台(高殿)は宇宙の「始」まりです。女性の子宮が宇宙を創造をするのです。



ま、こうしたことを「しかく」→「かくし(隠し)」てあると推理します(笑)。遠野(とおの)は藤野(とうの)かも知れませんね。

ということで、遠野はまたいずれ検証したいと思いますが、伊豆神社の瀬織津媛と早池峰山など三山の女神は瀬織津媛の分霊であり、三相一体であるということです。そして、それはアラハバキ神であり、そこには製鉄・製銅に関わった山岳修行者達がいたと思われます。三山は気を読んだ修行者が人体を投影した姿なのです(Ψ)。

さて、次回はまた話を逆行させます。


(続く)