瀬織津姫 & クンダリーニ…No.204 | 8484yogiさんのブログ

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瀬織津姫No.204

前回は天河大弁財天社の奥宮である弥山の弥山大神は女神であり、それは弁財天とも金精明神ともされるクンダリーニ神であることを確認しました。金精様というと主として男根で表される性神となりますが、弁財天がホトを見せるように、陰陽共々それはあり、前々回取り上げたカーリーなどの性力・生命力(クンダリーニ)が根源にあります。

密教タントラも理趣経など陰陽和合であらわされ、道祖神や金精信仰と根底では繋がりがあって、それはやはりクンダリーニということに帰結します。諏訪ではそれは石棒(男根)であるミシャグチですね。で、その最たるものがシヴァ神のカイラス山(須弥山)ですが、シヴァよりも当初はカーリー・マーの方が高位の神でした。創造、産むのは女性だからです。

金精明神についてウィキの一部を引用すると…。

『金精大明神の縁起はさまざまで、たとえば、覚間沢では、ある猟師が突然山で腰痛を訴え、歩けなくなった。落ち葉の上で休んでそばの石に手をつくとたちまち全快した。ふしぎに思って落ち葉を取り除くと、石の男女根が現われたので、これを祀ったという。

巻堀では、ある女帝の女陰に歯が生えていて交わる男の男根をことごとくかみ切って殺すので、金精明神が美男になって相手をすると、歯はたちまち欠け落ち、以来普通の交わりをしたという。

「耳嚢」の、娘の女陰の中の鬼牙を黒銅の金精で取り除いた話、南島説話の情婦の女陰の中に牙歯がある話、女陰を鬼を食う口という鬼餅の由来話などとともに、昔の信仰の痕跡であろうという。』とあります。

女陰の中の歯や牙とはクンダリーニの荒ぶる部分を言うのであって、そこにカントの話のように実際に歯や牙が生えていたということではありません。鬼(御丹)は荒ぶるエネルギーであってカーリーであり、それが陰陽和合により和らげば、カーリーはパールヴァティとなるのです。オカメ(ウズメ=瀬織津媛)はおでことほっぺが三宝珠をデフォルメした顔ですが、パールヴァティや弁財天の境涯の女神ということになるでしょう。

それに対して荒ぶるエネルギー(カーリー)が「女陰の中の荒ぶる歯牙」です。

歯と牙はアナグラムで「歯牙(はきば)→はばき(脛巾)」となりますよね(笑)?これはたぶん正解だと思います。

つまり、この荒ぶる女性エネルギーは荒脛巾神(アラハバキ神=瀬織津媛)が名を変えた神だと推察できます。

表に出せない女神(荒脛布神)を「歯牙(はきば)」でごまかして祀ったのではないかと推察します。荒脛巾には男根をかたどった物も奉げられましたし、境界の神である塞ノ神ともされますから、金精明神とは共通項があります。クンダリーニ神ですので、境界とはこの世とあの世の境界ということも含まれます。





男根で表される金精明神(猿田彦大神)ではなく、女陰で表される金精明神(瀬織津媛=ウズメ=オカメ=弁財天)と荒脛巾(アラハバキ)が同神であるならば両神のデータを擦り合わせれば、神の実態がよりよく分かるのではないかと思います。自分的にはもとより同神なのですが、謎解きで答えが出る(?)と嬉しくなります。

諏訪のミシャグチも男根である石棒であり、ミシャグチである石神(いしがみ・しゃくじん)は岐神(くなどのかみ・舟渡神=猿田彦大神)でもありますから、岐神と荒脛巾は共に塞ノ神(荒神・道祖神)であり、陰陽の性器であらわされるのです。それは縄文からと言われますが、自分はインド由来だと思います。ヒンドゥー教のリンガ(男根)とヨーニ(女陰)が石棒と手水鉢という形に日本ではなったということは以前にも記しました。

アラハバキとクナドノカミというと、出雲族の話があります。

引用。

『吉田大洋「謎の弁才天女」によれば、富當雄(とみ まさお)さんが亡くなる数日前、“我々の大祖先はクナトの大首長(おおかみ・岐神)だが、もう一つ隠された女首長にアラハバキ(荒吐神)があり、体制側によってこれらが抹殺されようとしたとき、クナトは地蔵に、アラハバキは弁才天へと変身した。”と言い遺していったという。

伯耆大山では根深い地蔵信仰がみられるが、これはもともとがクナトノ大神を祀る山だったからかもしれないわけである。同書によれば、倶知安のアイヌの酋長菊池俊一夫妻の言葉として、アイヌの古語でクナトは男根、アラハバキは女陰の意味で、本来一対のものだったという。』とあります。

自分的には岐神とアラハバキは岐神(猿田彦大神)と荒脛巾神(瀬織津媛)となります。地蔵や薬師如来は猿田彦大神に習合されています。で、この二神が天孫族以前の日本の地主神ということなので、各地を検証すると、必ずこの陰陽二神が姿を現すわけですね。隠しても隠し切れない感があります。

で、神名や何処から来た、何処の神という三次元的なことではなく、陰陽二神がクンダリーニを表す神ということが大事なことで、神名はどうあれ、我々一人一人がこの陰陽二神をクンダリーニという形で身の内に秘めているわけです。

神社の御神鏡が結果の御神体とすれば、陰陽物は原因の御神体であって共に拝するべきものなのです。その哲理を心得なければ単にワイセツ物となってしまうのですが、それはそれでそのように我々が洗脳されているからです。

陰陽物(陰陽)がなければ、それが統合された御神鏡(太極)もないわけです。もちろん、陰陽物に留まるのは粗いエネルギーであって荒ぶるエネルギーです。この陰陽が純化されたエネルギーが頭頂を抜けることで人は再生します。人は子宮から生まれ子宮に呑み込まれて死の世界へと誕生するのです。死は死の世界での生の始まりです。輪廻を外れなければ、また、新たな子宮からこの三次元に生を受けて戻って来ます。

既にどこかで書いたかも知れませんが、自分がクンダリーニを昇華した少し後、たぶん子宮だろうという自分の感覚ではあったのですが、頭が引っ張られてそこへ呑み込まれる感覚がありました。「なんじゃ、こりゃ?」と思ったのですが、確かにそれはありました。あの世へと繋がるトンネルは産道でもあるのかも知れません。

その後、ただいま同居中の見えない存在の方が自分の頭頂からのエネルギーラインをイタズラで引っ張ると同じように、頭から意識体が上に吊られる感覚があるので、これだったのかな?と思いましたが、ま、皆が同じ経験をするわけではないので、幻覚と言われればそれまでですが、不思議な感覚です。同居中の方にはそれが見えているわけで、切れると死ぬのでイタズラはやめろ!と言ってあります(笑)。

見えない存在の方達は自分のエネルギーラインの調整をしてくれる存在です。ここは本人でない限り分からないことなんですけどね。

ということで、話にまとまりがないのですが、諏訪の「ミシャグチ=シャクジン(石神)」が石(シャク)とあり、金精明神も石の男女根とあるように、陰陽の石(シャクティ)が古代出雲系の信仰対象であったわけで、この陰陽和合を表すのが七夕ということになります。七七は陰陽和合です。

七夕(七七)は天の川、天の川は天河大弁財天社の天河ですね。三三(陰・瀬織津媛)と五五(陽・猿田彦大神)が七七(陰陽和合)して九九(竜)となリます。神界ではこのことに意味があるようで、九月八日までに御魂を磨いておけと日月神示などには記されます。

天の川は「銀漢」とも言われます。漢は河ですから、銀漢とは銀(艮の金神)の河ということで、天なるスシュムナー管がやはり、天の川ということになると考えます。諏訪の地では天竜川がスシュムナー管です。

すると、以前にも記したことですが、織女(ベガ)と彦星(アルタイル)との陰陽和合は、白鳥座のノーザンクロス(北十字星=キリストの十字架)に表されます。

今のバチカンはキリスト教の一派に過ぎないわけですが、原始キリスト教ではイエスも蛇で表され、十字架に蛇が巻き付く形でも表されました。白鳥の首上は白蛇の姿ですから、意味深ですよね。

白鳥には両性具有という意味もありますし、錬金術では白鳥は水銀(丹生)を意味します。錬金術における丹とはクンダリーニを意味しますから、織女と彦星の陰陽和合(両性具有)に整合性を持ちます。

白鳥がそうしたシンボルとして使われることはホムツワケや日本武尊の白鳥にまつわる話が海人族により外国から持ち込まれた錬金術に関わる話だということが推察されるのです。


白鳥の頭部には宮澤賢治が「サファイアとトパーズ」に例えた北天の宝石「アルビレオ」という二重星があります。この青とオレンジの二重星がクンダリーニ昇華のシンボルとなり得ますね。青と赤なら混ぜて紫でより象徴的なのですが…(笑)。

話を戻すと、天河は天のエネルギーラインである天の川や天河社求聞持堂の虚空蔵菩薩たる金星(金精)というように、星とクンダリーニが天地で対応した神社ということが言えるのではないかと思います。北極星(北辰・太極)と北斗七星(陰陽)もこれと同義です。なので、日本には神社仏閣の配置が宇宙の星々を転写したように建てられている場合があるわけで、古代のロマンと言えばロマンです。

そこで、お金が儲かりますように!なんて祈るのはロマンがないですよね。吉野で厳しい修行に臨んだ先達は死を超える為や鎮護国家の為にそこへ身を投じたわけですから。

前記引用文にあったようにアラハバキは弁財天に姿を変えたわけで、役行者が大峯山系の最高峰弥山において大峯の地主女神である金精明神の顕現を受け、それを弁財天としたのは地主女神がアラハバキ(瀬織津媛)であったかも知れないわけで、たぶん、そうであったろうと考えるわけです。

それを語った富氏の話の真偽は確かめようもありませんが、富(とみ)氏は「とみ・とび=クンダリーニ」の「とみ」であり、この「とみ」は「とめ・とべ」でもあって、ニギハヤヒに殺されたのではなく東北へ逃げてアラハバキを祀ったとされる登美の長髄彦(とみのながすねひこ)の「とみ」です。

上記したように「とみ」はクンダリーニを意味しますから「とみ・とび=鵄・十三・桃尾etc」とアラハバキとは同義ということにもなります。

調べていて知ったのですが相撲の元祖・野見宿禰(のみのすくね)の野見も「とみ」なのだそうです。だから、野見宿禰は「七七七の男」なわけですね。宿禰(すくね)はスネーク(蛇)というのは自覚的コジツケですが(笑)。

で、アラハバキは「荒い蛇(はは)の気=クンダリーニ」ということだと思いますが、アラハバキは「荒覇吐、荒吐、阿良波々岐、荒脛巾、荒掃除、荒羽々気、麁脛バキ」等と表記 されます。「吐」は土(蛇)の口、「波波岐」は陰陽二本に別れた螺旋上昇するエネルギーライン、荒掃除の掃除は箒(ほうき)で、ホムツワケのところで解釈したアヂマサ(蒲葵・ホキ)や荒っぽい浄化がイメージされます。

脛(すね・はぎ)は瀬織津媛を背負う弁慶の泣き所です。弁慶の弱味は姫ということなのですよ。天河大弁財天社にはその弁慶が履いたという鉄下駄があります。

アラ・ハバキは、前述の「歯と牙=ハバキ」で金精明神でもあるので、アラハバキを祀るところに男根を供えるわけですが、これは荒ぶる陰の金精明神(アラハバキ)に陽の金精明神(猿田彦大神)の陽物を奉納することで和合させるという概念があるのでしょう。

アラハバキは鉱山神(タタラ神・祟り神)でもありますから、陽の金精明神である金山彦(猿田彦大神)とは対です。陰陽二神がぐっと一般庶民向けになると、オカメ・ヒョットコという姿になります。

ということで、ぐるぐると回りましたが、天河において天照大神の荒魂の瀬織津媛が天女とされることには整合性があるわけです。伊勢神宮にも謎の神アラハバキは祀られますしね。天河弁財天とは瀬織津媛であり、クンダリーニ神なのです。

さて、話を更に逆転させて、天武天皇と天女の話あたりに戻ると、天武天皇は役行者と面識を持っていたわけですが、役行者の使役する前鬼後鬼の内、後鬼をカーリーとするならば、天女である吉祥天(弁財天)がパールヴァティという関係になります。カーリー、ドゥルガー、パールヴァティは三相一体の女神ですが、瀬織津姫はそれぞれに対応していると考えます。

役行者の使役した前鬼後鬼夫婦の前鬼は役行者が感得した蔵王権現であり、それは猿田彦大神であってシヴァ神、水瓶を持つ後鬼は弁財天であり十一面観音であり、瀬織津媛でありカーリーでもあると考えます。姿形は違いますが陰陽のクンダリーニということではその意味するところは同じなのです。





踊るシヴァと足を上げる蔵王権現はポーズも似ています。荒ぶる女神であるカーリーにはそのシヴァ神もたじたじです。



前回も記した諏訪の御柱(おんばしら)はオン・ヴァジュラ(金剛杵)であり、柱はシヴァ神のリンガ(男根)や体に巻き付けるコブラや金精明神でもあるわけです。諏訪では御柱祭の他に御頭祭があり、共に神長官の守矢氏が神事を務めました。

御頭祭では75頭の鹿が供犠されましたが、この鹿とミシャクチ(蛇・男根)はクンダリーニとエネルギーラインを表しています。で、原始的なこの祭祀の原型は日本独自ではなく、世界的にあった世界樹(生命樹・クンダリーニ)信仰に根ざすものであろうと自分は推察します。

ネイティブアメリカンのホピ族にも「蛇とカモシカ」の祭りがあり、カモシカ族男性と蛇族女性の結婚儀式があるそうです。

引用。

『カモシカ族の青年と蛇族の少女の結婚の儀式が行われる。この儀式の表の意味は、2宗団が一体化することにある。だが、さらに深い意味があるのだ。

人体と地球は同じ構造になっているので、蛇が住む“地底”は、人体の最下位の波動センターに等しい。逆にカモシカは、人体における最高位の波動センターに関わる。カモシカの角は人体の“頭頂”=コパビにあたり、この場所は人間においては生命の出入り口、創造主と霊的な交わりをするための「開かれた扉」である。

したがって、蛇とカモシカは、人間の生命線の両端の極、粗雑かつ肉体的な極と、精神的・霊的な極を表わす。霊的なものが肉体的なものを超え、また制御するように、カモシカ宗団は蛇宗団に勝り、その儀式のすべてを制御している。したがって彼らの神秘なる結婚は、共通の儀式という(象徴的な)体内における二重の力の融合と言えるのだ。

走るカモシカは雷鳴の音をたて、その波動が彼らの社殿から雲を導き出す。そのように、カモシカの踊りではまず雲が引き出される。蛇は雲の中から命と雨を引き出す力を持っている。このため、翌日の蛇踊りで雨がもたらされる。』

以上。

カモシカの足音が「雷鳴」のようだというのはクンダリーニの起動音が日本では雷神や太鼓で表されるのと同じですね。「雲」は八雲立つということで、もくもくとエネルギーが湧き立つことを表現します。ホピ族はホピの予言で有名ですが、この蛇とカモシカの祭りは諏訪の祭りと世界樹信仰という観点から根底では繋がっていると自分は思います。

インドと日本とアメリカ大陸、ネイティブでは繋がっているのですよ。そのネイティブな人達が迫害から解放されるのがミロク社会なのだと考えます。

(続く)