瀬織津姫 & クンダリーニ…No.203 | 8484yogiさんのブログ

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瀬織津姫No.203

前回、岐比佐都美(伎比佐加美高日子)を当初、祀っていたとされる神名火山(仏経山)について記す予定が、「同」の字が「筒」を表すということから、三相一体ということに話がズレていきました。この普通に使う漢字の「同=仝」は同じ径の筒を二つ重ねた象形ということでしたが、その筒にはエネルギー管(スシュムナー管)としての意味が一部の人達には暗喩として使われているのではないかと自分は受け取ります。

で、前回終わりに『天河大弁財天社の創建に関わった天武天皇は天河の上空での天女=吉祥天の舞いを吉祥のしるしととらえ、役行者とともに、伊勢神宮内宮に祀られる女神(天照坐皇大御神荒御魂・瀬織津姫)を天の安河の日輪弁財天として祀った。この時、吉祥天が五回振袖を振ったのが、五節の舞として、現在にいたるまで、宮中の慶事の度に催されている。』ということを引用しましたが、更に「五節舞」からウィキを引用すると。

『選ばれた舞姫は練習に明け暮れ、新嘗祭の前々日である丑の日の夜に宮中へ参上、直に、「帳台試(ちょうだいのこころみ)」と称して常寧殿にて天皇に練習を披露、前日の寅の日に「御前試(おんまえのこころみ)」と称して清涼殿にて天皇に練習を披露、当日の卯の日に「童女御覧(わらわごらん)」と称して舞姫に付き従う童女を清涼殿にて天皇が御覧になるなど、天皇自身からの試験も厳しかった。

この舞は、天武天皇の時代、吉野に天女が現れて袖を五度振って舞ったとの伝説に依拠している。天武天皇が天河大弁財天社を創建した縁起はこれであり、天空に現れた吉祥天は、神社所蔵の文書によれば、伊勢内宮の荒祭宮祭神撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(またの名、瀬織津姫)を指す。  

五度、袖を振って舞う。袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があると考えられる。『年中行事秘抄』に「乙女ども乙女さびすも唐玉を袂に巻きて乙女さびすも」という歌謡が載せられており、この歌にあわせて舞われたもののようであるが詳細は不明である。』

以上。


鎮魂祭についても以前言及しましたが、やはり、クンダリーニに関わることでした。十種神宝の「布留部由良由良(ふるべゆらゆら)」が吉祥天が五度、袖を振ったことに相当します。布留(古)は振る(螺旋上昇)です。

丑の日から寅、卯の日への移り変わりは背骨のエネルギーラインへのクンダリーニ上昇過程を意味します(進陽火)。人体の丑寅(艮の金神)はクンダリーニが鎮まる場所であり、卯(うさぎ)は鵜(う)と鷺(さぎ)の陰陽の鳥(首から上は白黒の蛇)ということで、その陰陽の蛇の和合が卯(う・さぎ)を意味します。

五節舞を動画で見ましたが、扇に垂れる二本の紐が陰陽のクンダリーニで扇が仙骨を表すのかなと思いました。扇は出雲佐太神社では龍蛇様の尾のメタファーでしたよね。

天武天皇が詠んだ歌、「乙女ども乙女さびすも唐玉を袂に巻きて乙女さびすも」を更に調べると、天武天皇が吉野宮で和琴を奏して(琴歌譜)歌ったもので、その時に雲の中に天女が現れて五度袖を翻して舞を舞ったことから五節舞となったとありました。

また、「唐玉を袂に巻きて」は「唐玉緒袂に巻きて」であり、唐玉緒とは「羽衣」のことのようです。

要するに、これ迄解してきたことと同じで「琴を振る(布留・古)」ということですね。つまり、クンダリーニ昇華を表すのですよ。「琴振る」は古事記の正式名が「古事記=ことふるのふみ(琴振文)」で、古事記は錬金術書でもあるということでしたね。

熊野権現が最初に降臨したとされるゴトビキ(琴弾き)岩や吉備真備(天武天皇派)が岩の上で琴を弾いたという伝説もクンダリーニのことと解しました。

琴の字には「王」が二つ入りますが、これは、琵琶などのように陰陽和合を表しますので、この「和琴」と「天皇と天女」とは対応した関係にあると言えます。

天空を翔ぶ道具である羽衣は白蛇であり、クンダリーニですね。「唐玉緒・からたまを」の「たまを」は熊野速玉男大神(猿田彦大神)の「たまを」に等しく、「魂(霊)緒(たまのを)」であって体から延びる霊線でクンダリーニライン。「唐(から)」は「体」や「空」でしょうか。

袖を振るのは袖は「袖を分かつ」とか「袂(たもと)を分かつ」と言うように「身を分かつ」ことであり、体から離れたクンダリーニ(龍)が天空(北辰)に向かうことを暗示するのではないかと考えます。

因みに琴の本体を「胴」とも言いますし、琴は龍体にたとえられています。各部の名前も龍頭とか龍尾とか付けられています。で、和琴(やまとごと)は桐をくり貫いてつくられますので、「胴と桐」はキーワードの「同=筒」を含むことになります。

和琴は琴柱(ことじ)を使わないのですが、琴柱は龍体(弦)の柱の意であり、連理木のように二つが一つとなる陰陽和合を表しているのではないかと思います。柱(背骨)ですからね。



天武天皇(大海人皇子)のこうした場面に現れたのが瀬織津媛(天河弁財天=吉祥天)とされるわけですから、五節舞とは雌蛇(クンダリーニ)舞ということもできます。

伝説にはバージョンがあるものです。こちらでは、和琴に合わせて天女が現れ、その時に天皇が歌を詠まれたとあります。こちらの方が辻褄が合いますね。

和琴の弦は四色の絹紐で留められています。四色なのですが、五行の五色とすれば、五色の雲、袖振りの五回と対応することになるのですけどね。

引用。

『天智十年(671)金峯山寺蔵王堂の南に位置する日雄寺(今の大日寺)の庭で、大海人皇子が琴を奏でていると、羽衣(唐玉緒)を纏った天女が現れ、袖を振りながら五色の雲に乗って山高く舞い上がったと言われ、この時皇子が詠んだ歌が「おとめごが おとめさびしも 唐玉緒 たもとにまきて おとめさびしも」(日雄寺継統記)だという。そして見事その時の戦勝祈願が通じて壬申の乱に勝ち残り、飛鳥の浄御原で673年即位。』

和琴と天女(天河大弁財天)は対応し、共にクンダリーニのメタファーです。壬申の乱に勝利したことは、神武東征で神武天皇の弓(背骨)の先にとまった金鵄(きんとび=クンダリーニ)と同じことで、エネルギー昇華は事の成就として古典では使われるようです。

引用。

天河大弁財天社は『壺中天琵琶山、今の天川村坪内に堂宇を建てて弥山山頂に祀る金精明神が化生したとされる天女を麓に移し大神殿を造営して吉野の総社としたという。天武九年(680)のことであった。と同じ頃、大峯山系の入り口になる金峯山に蔵王権現を称える蔵王堂が建立される。こうして水銀朱丹文化の風土の地であり、その他にも貴重な資源金銀鉄などの原鉱石を奥吉野一帯に求めつつ、神仏を両だてにした信仰を育む土地として一国家として誠に重要な位置を占めていたと言えよう。

このことは遠くその昔役の行者や空海の縁跡を慕い、その法脈を受けついだ増誉、聖宝解脱など効験のきこえ高い、大変偉い上人たちが峯中苦行をなしとげ、天河社求聞持堂に参籠されました。そして峯中の大秘法「柱源神法(はしらのもとのかみののり)」にもとづく修法の数々が確立されたのです。 まさにその一瞬天河社縁起に言う「日輪天女降臨の太柱が立つ」といわれます。これが門跡参籠修行の謂です。』

以上。

この柱源神法がクンダリーニ昇華のテクニックであり、見事成就すれば、「日輪天女降臨の太柱が立つ」ということになります。

「柱」は背骨のスシュムナー管であり、その「源」とはクンダリーニが鎮まる人体の丑寅(艮)を指します。「日輪」とは大光明たる霊界太陽(ニルヴァーナ・大日如来・天照大神・悟りetc)であり、頭頂を意識体が突き抜けて見(まみ)える光です。その道案内がクンダリーニ神たる瀬織津媛(天女)であって、柱(背骨)のエネルギーラインが頭頂を抜けて開通すれば(立てば)天地を繋ぐ本来人として目指すべき姿(神人合一)となるのです。

柱(スシュムナー管)は太いほど善いわけですね。

また、「弥山山頂に祀る金精明神が化生したとされる天女を麓に移し大神殿を造営して吉野の総社とした」とあります。すると、弥山山頂の弥山大神は女神ということになると思いますが、金精様とはクンダリーニのことであり、吉野山(金峯山)では金山彦(猿田彦大神)が総地主神となっています。金山彦は金属神であり、錬金術の神でもあります。この場合の金精明神の化生とは金山姫(瀬織津媛)の化生ということなのかも知れません。

引用。

『天河大辨財天社には、空海奉納の「五胡鈴」(ごこれい)と言われる密教奥義感得の鈴などが残され、また塔中のひとつである来迎院には空海お手植と伝えられる大銀杏と「あ字観碑」があります。

弥山に祀られる弥山大神は、金銀などの錬金術をもつ吉野丹生族の金精明神でもあり、空海の天河大辨財天社参籠は、このことと深く関わっているのではないかと思われます。』

五胡鈴とは五鈷鈴とも表記される五鈷杵が着いた密教法具の鈴(金剛鈴)です。で、吉野丹生族の女神は丹生都比売(=瀬織津媛)であり、丹生都比売は天照大神の妹の稚日女(わかひるめ)ともされていましたよね。スサノオの狼藉により杼(ひ)でホトを突いて亡くなった(クンダリーニ昇華)稚日女(=丹生都比売)も自分的には瀬織津媛なのですけどね。

空海が植えたとされる銀杏(いちょう)の木にも象徴的意味があると考えます。銀杏とは「丑寅(艮)の金神の気(木)の門(口)」を暗示する当て字であり、銀杏の葉は扇であって、要するに銀杏は仙骨のメタファーと言えます。



大学を中退した空海は公の僧侶ではない私度僧として吉野で虚空蔵菩薩求聞持法を習得したと言われます。法を大成したのは四国ですけど、その時のクンダリーニ昇華の表現が「谷響きを惜しまず、明星来影す」となります。

で、この一文は今、気付いたのですが、谷とは暘谷(ようこく)のことであり、応現した明星は虚空蔵菩薩が金星の化身とされることから、虚空蔵菩薩は金星の精であって、それが金精明神の「金精(こんせい・きんせい)=金星(明けの明星)」ということではないか?と…。明星と明神も懸けてありそうです。金精明神と金星明星ですからね。

虚空蔵菩薩は何度も記しますが、丑寅(艮)年生まれの護り本尊であり、この丑寅は人体では仙骨あたりで、そこが暘谷にあたると考えます。「天帝の子である10個の太陽が住むところを暘谷と言い、そこに扶桑樹が生えている 」という弓で太陽を打ち落とした話がありましたよね。扶桑樹とは生命樹であり、背骨のスシュムナー管です。暘谷は湯谷であり、湯谷は熊野(ゆや・くまの)ということでしたね。

虚空蔵菩薩はクンダリーニを象徴した仏であることは記しましたが、応現した「金星」を「金精」と変換すれば、やはり、虚空蔵菩薩は金精明神とは同神たるクンダリーニ神(仏)なのです。

空海は吉野で虚空蔵菩薩求聞持法を修していますから、この吉野の虚空蔵菩薩と天河大弁財天社の奥宮、弥山(須弥山)に建つ弥山神社に祀られる弥山大神(金精明神)や吉野の総地主神である金峯山神社の金山彦(金精明神・猿田彦大神)の「金精」が「金星」に懸かります。

つまり、クンダリーニが起動すると地震のように仙骨辺り(暘谷)でエネルギーが鳴動しますから、それを「谷響きを惜しまず」と表現し、クンダリーニが頭頂に上昇したことを「明星来影す」=「金精(金色のクンダリーニ)が応現した」と空海は表現したのではないかと推察します。エネルギーを見るのは第三の目ですから、他者から肉眼では見えませんけど、谷も明星も体内世界を表現したということです。

谷に関しては、御所市朝町(旧・葛村朝町)に伝わる伝説として、「この地には九百九十九谷あって千谷あると大蛇が出るので一谷だけ隠した。」という意味の通じない話がありましたが、こちらは時が来て完成(千)すると、地震などの荒ぶるエネルギー(大蛇)が出るという意味であり、谷は大地のツボ(断層)といった意味でしょう。

役行者と呼ばれる役小角(えんのおづぬ)は角の生えた牛です。命日は七月七日、77(陰陽和合)とされますが、これはたぶん後付けでしょう。

小角が弥山で祈願したところ、天から降りてくる天女を感得し、それを弁財天として山頂にまつり、これが日本で初めての弁財天となり、弥山大神として祀られたわけですが、それは天女であって天武天皇が琴を弾いた時に感得したのと同じ天女だと思います。つまり、クンダリーニ神としての瀬織津媛が弥山の女神ということです。

因みにですが、この弥山、UFO目撃の多発地だそうです。山のエネルギーがUFOを引き寄せるのかも知れませんが、自分の経験から言っても瀬織津媛とUFOは関係あるような気がします。こう書くとトンデモになりますが、古代信仰された神々とETは繋がっているような気がしないでもない。天河鈴は三宝珠(とぐろを巻いた三匹の白蛇)を意味しますが、こんな形のUFOもありそうです。

さて、話が既にトンデモない方向に進んでいますが(笑)、ま、いいじゃん!

いいのか?

トンデモついでに記しておくと、銀杏(いちょう)は「公孫樹・鴨脚樹」とも表記されます。



鴨脚はΨ(エネルギーライン)でもありますね。鴨は何度も記しますが、猿田彦大神の象徴です。鴨の逆の鳥甲(とりかぶと)は猿田彦大神がかぶります。猿田彦大神とΨとなれば、鴨はシヴァ神と三叉戟(Ψ)でもあります。鴨のくちばしが猿田彦大神の鼻です(笑)。でもって役行者は加茂氏ですね。

公孫樹(いちょう)の公孫は伝説の中国皇帝であった「黄帝」の姓です。黄帝は漢方医学の祖でありユンケル黄帝液の発明者ですってのは嘘ですが、蚩尤(しゆう)を滅ぼした方ですね。黄帝は龍神の姿でも表現されます。黄色は五行の中心の「土」の色を表しています。龍で土の神、土公神となれば猿田彦大神ですが、蚩尤も猿田彦大神ですから何でもかんでも習合されている感があります。

引用。 
 
『また一説に、「山海経」西山経に出てくる、湯谷に住み「その姿は黄色い袋の如く、赤いことは丹の火のよう、六つの足、四つの翼、混沌として面も目もない」という神・帝江も、帝鴻氏=黄帝の事ではないか、と言われている。』

よく分かりませんが、先程の暘谷を意味する「湯谷」という言葉が出ていますから、黄帝が龍であるならば、これもクンダリーニの表現なのかも知れません。

で、ここから自覚症状のあるトンデモに走りますが、足に公孫穴というツボがあります。公孫は黄帝の名に由来します。その直ぐ近くに太白穴というツボがあるのですが、太白とは金星のことです。金星は金精でしたよね(笑)。

太白(金星)は呉の太伯(たいはく)に通じます。隼人が祖とする方ですね。先程の稚日女(丹生都比売)は天照大神とされる姉の大日女(おおひるめ)と共に江南の呉国の王女で、それが日本に来たという伝説があります。大日女尊とは天照大神のことですが、自分は瀬織津媛と解しました。

この伝説に従えば「吉野」は太伯を国祖とする呉国の王女の丹生都比売の統治する土地となります。稚日女や大日女の「日女」は太陽ですが、この場合の太陽は霊界太陽であって「日輪天女降臨の太柱が立つ」と柱源神法にある「日輪」でもありますから、天照大神の荒魂とされる瀬織津媛が「日輪天女=天河大弁財天」としてあてられたのではないかと思います。

ここは阿多隼人や呉に繋がる話ですよね。自分では全くのトンデモではないと思っていますが…。

ただ、王女という人間ではなくクンダリーニ神としての女神が呉に関わっていると思いますけどね。それは、呉や越や楚の倭人が海人という形で古代日本に連れ込んだ女神ということになるのかも知れません。それは西王母だと自分は考えますが、神名はともかく、大事なのはクンダリーニ神ということなのです。太伯の呉(隼人)と陰陽二神は何らかの関係にあることはこれ迄の検証で間違いないと思いますが、呉をさらに遡ってもこの女神は存在します。女神とはエネルギーなのですからね…。

役小角が弥山で感得したのは単に天女であり、それが吉祥天とか弁財天とか瀬織津媛とされるわけですが、天河大弁財天社の弁財天が三匹の蛇の姿(Ψ)であるように、また、柱源神法とあって、柱(背骨)の源(根)に鎮まる神(女神)を現出させることが山伏達の目的であったように、そこに鎮まるのはクンダリーニシャクティであって、それは天河である天の川(七夕)とは対になるものなのです。天の川(スシュムナー管)を挟んだ牽牛織女が陰陽二神という形になります。役行者も天武天皇も牛(猿田彦大神)を演じたわけなのですよ。

虚空蔵菩薩はそれを仏教側からアプローチした仏であり、求めるものや境地は同じなのです。弥山とは須弥山(=シヴァ神のカイラス山)のことであり、この山はそれを成し遂げるのに適したバイブレーションを発する山ということなのだと思います。役行者以前にも、既に気を読んだ人々によりそうした原始的山岳宗教がここにあったのではないかと想像します。

さて、まだ、迷走は続きそうです。行き当たりばったり…。


(続く)