ゼロの焦点 (1961年) | Asian Film Foundation 聖なる館で逢いましょう

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アジア映画に詳しくなかった私がアジア映画を観てます♪
ネタバレはできるだけ避けております…(ㆆᴗㆆ)*✲゚*。⋆

 

 

 

 

 

ゼロの焦点 (1961年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも、ありがとうございます(^-^)ノ

 

前回の記事で松本清張先生原作の1982年の映画化、『疑惑』について覚束ないながらも書かせていただいたのですが、続けて松本清張先生原作の映画について書かせていただきます

 

一昨日、2月10日に『ゼロの焦点』を観ました…カチンコ

 

『疑惑』を観て興奮して、もっと松本清張さんを!!ってことで観たんですね。

 

念のためですが私は昔の日本の映画を観るのがイヤじゃありません。

昔の海外の映画を観るのは、1960年代以前の作品を観るのなら、もしかするとちょっとしんどいかもしれませんが、『七人の侍』(1954年)を観てからというもの昔の日本の映画を観ることに少し目覚めてるんですね。

本気で昔の日本の映画を観たいと考えてます。

『疑惑』だって昔の映画ですからね。

 

それで『ゼロの焦点』を観ようと思ったんですが、原作を読んでませんし、どんな話か知りませんでした。

観ようと思ったのは95分と短いからイケると思ったんですね。

 

野村芳太郎監督、脚本は橋本忍さん、山田洋次さん、そして撮影は川又昂さん、そして音楽は芥川也寸志さんです。

 

 

私の名は岡崎禎子

いや、今では鵜原禎子

結婚して今日で七日、一週間目である

 

夫の憲一は博報社の金沢出張所長

だが結婚を機会に東京本社営業部に栄転

後任の所長、主任から昇格するこの本多さんに簡単な事務引継ぎをするために、金沢へ

つまり夫 憲一にはこれが最後の金沢行きである

 

遅いからタクシーで帰るんだね

新宿より渋谷まで地下鉄で出て、車をひろうんだ、その方が早い

 

わかってるわよ

 

留守中、寂しかったらアパートへお母さんか妹さんに来てもらい…

 

いいの、そんな心配なさらないで

 

じゃあ、12日に帰るからね

 

ええ、お気をつけて

 

 

主人公の禎子は36歳の鵜原憲一とお見合いで出会いました。

 

広告業界では一流の社に勤めていて、所長になった憲一は入社して6年で所長でしょ、なかなか優秀ですよ。

 

憲一は金沢の所長でしたが、だいたい月のうち10日は連絡その他で東京本社に帰っていて、本人も家庭は東京で持ちたいとのこと。

 

 

禎子は鵜原憲一と結婚しました。

 

 

憲一は東京本社に栄転になり、最後の引継ぎで金沢に行ったのですが、12日に必ず帰ると言ったのに帰ってこなかった。

金沢の方は11日に経っているはずなのですが…。

 

 

憲一の兄夫婦は心配なんかしてないんですが、憲一の勤める社の方で気遣い、禎子は社の人と金沢に行くことになる。

 

初めて見た能登半島

その何か悲しすぎるほど寂しい風景が

私にはあまりにも印象的だった

 

 

観ていきつつ、ああ、こういう映画か…と思いました。

何も知らずに映画を観る興奮がありましたね。

 

だから、読んでもらってる方々にどこまで書いていいのか…難しいところだけど、読みたい方だけ読んでください。

 

「結婚したばかりの新妻」が「行方不明になった夫」を探すミステリー作品なんですね。

言わば、「行方不明ミステリー映画」と言っていいでしょう。

 

禎子は初めて訪れた金沢で、夫・憲一の行方を探すことになります。

 

余談ですが、あまり旅行をしたことがない私ですが、友達の関係で金沢には二度、冬と秋に寄せていただいたことがあり、いいところでしたわ~、金沢。

兼六園を歩いたことをよく覚えております。

 

映画は、映画でもっと悲しい風景なんですが、実際の金沢とはまた違いましたね。

 

『ゼロの焦点』は ―― 楽しいワクワクするミステリーではありませんでした。

『疑惑』は私の感想で書きました通り、怪物「球磨子」の存在感と桃井かおりさんの凄まじい演技で笑ってしまうほどだったんですが、『ゼロの焦点』は暗く、悲しく、そして怒りのような感情を覚える作品でした。

 

それで、何か書くといってもネットで調べてトリビアについて書いたりするのも私の役ではないので…ですが、アメーバブログではジャスミン眞理子様がレビューされておられますので、リブログさせていただきます…ひらめき電球

 

 

こちらを読んでいただければ『ゼロの焦点』の撮影のことなど、よくわかります。

 

ジャスミン眞理子様、ありがとうございます☆⌒(*^-゜)v

 

 

ネタバレせずに感想を書くことが難しいのですが、少し書かせていただきます。

 

まず、1961年(昭和36年)の映画ですが、その時代を映画で感じるのは楽しいことでした。

物語はとても深刻ですが、列車で金沢へ向かい、夫・憲一と関係のあった人たちから話を聞いていく流れでも、いろいろと「昭和」を感じて、それが私は好きでした。

ただ現代もそうですが「昭和」はただ楽しいだけではなく、特に1960年代の初頭、戦後の暗さも引きずっています。

 

夫の行方不明に関してはいろいろな新事実が判明していくんだけど、夫が勤めていた社の人、夫の兄、そして警察も間違った推理を展開したため、禎子は言わば「素人探偵」となり、自分で推理を行っていきます。

 

事件の真相については、95分の映画のうち、55分くらいから時間をかけて、「ヤセの断崖」を舞台に明かされていくことなります。

 

キャストについてはホントに私は知らない方々ばかりで…ただお一人、加藤嘉さんはすぐに気づきました。

『砂の器』(1974年)、『八甲田山』(1977年)に出ておられますからね。

 

 

1961年(昭和36年)の映画だけど、何というか ―― 性的なほのめかしがあるように思えて、あれはてなマークこの時代にこういう露骨さもありだったのかと思いました(夫に他の女性と体を比べられたような不快感)。

そんなそれ目的なエロさとかではないのですが、しかしこれは、物語上、要するものだったと結果的に理解しました。

あと、新婚さんについての映画だから、そういった視点が強くなるのかもしれない。

 

劇中「パンパン」という言葉が使われています。

私は映画の中でこの言葉を聞くたびに不快感を感じたのですが「パンパン」とは、「戦後混乱期の日本で、主として在日米軍将兵を相手にした街娼」を指す言葉です。

言わば蔑称というやつじゃないでしょうか。

実はあの『サザエさん』の中にも「パン助」という言葉が使われていたのですが、戦後のある時期まで、この言葉は誰もが知り、中には使う人もいたのでしょう。

そしてそれは現代も同じですが、お金で体を売り相手をする人たちへは、その人にお金を払って買春する人がいるにも関わらず、軽蔑、嫌悪が向けられていたのでしょう。

 

主人公の禎子はお金持ちの家庭ではないけど、育ちが良く、こうしてお見合いで結婚したのですが、「パンパン」の存在は理解しているようでした。

映画の中ではセリフで語られなかったけど、「パンパン」だった自分と同じ女性たちに対して、禎子が何も思わなかったことはないと思います。

 

戦中、戦後、女性が性を売る仕事に就かねばならなかった事実、その理由、そしてそれを「いかがわしい職業」と都合よく蔑む世間のありよう、結局は21世紀のこんにち、インターネットの進化が、人の尊厳を踏みにじる言葉、歴史の負の側面への浮ついた非難を露呈させることになっているだけの話で、人々が誠意に基づいて現実に直面する機会が失われていはしまいか。

私は自分がなぜこのように怒りを感じるのか、もっと考えてみる必要がありそうだけど ―― 結局は人が、人の苦しみについて他人ごととして軽々しく自分の考えを口にすることが我慢ならないのかもしれない。

性犯罪についてもだけれど、自分自身、また家族がその境遇にあると想像できない人が私は許せないのです。

 

【追記:8時20分】 今、NHK朝ドラ『ブギウギ』を観てたら「パンパンガールの親玉」が出ていました。

 


結末に触れてます。

まだ観ていない方は読まないでくださいねあせる

 

結局は夫・憲一は金沢出張所長だった時に、別の女性と同棲し、結婚の約束をしていて…でも、それは本気ではなく、「曽根益三郎」という偽名を使い、いつか東京で別の本命の女性と家庭を持つ時に、関係を切るようないい加減な関係だったんですよね。

 

禎子には素敵な男性に見えていたと思いますが、そうではなく、それで禎子と結婚したので、別の女性・田沼久子と手際よく別れるために選んだ方法が事件化していったのです。

 

私はその時点で憲一はダメな人、責任感の欠如した人だと思いましたが、禎子はそれでもことの真相を明らかにし、それを「犯人」に突きつけようとします。

すでに悲劇なのですが、そのことでさらに悲愴な状況になりますね。

 

事件の「動機」については『砂の器』と同じもの ―― 「知られたくなかった」という切実なものがあったと思いました。

自分の知られたくない過去を何としてでも隠すという思いですね。

私はそれは動機としては痛切なものだし、その犯罪に(もちろん犯罪は悪に違いないのだけど)哀しく寄り添う気持ちになりました。

 

当時の観客の方々はどう思われたのだろうか。

やはり、「パンパン」と蔑んだのだろうか。

映画を観た限り、(犯人が選ぶ「ケリのつけ方」もあり)そこまで犯人を追い詰め、悪と断罪する空気は感じませんでしたが、どうなんでしょう。

 

それにしても加藤嘉さん演じる室田儀作がああ言ってくれてるのだから…あとになって思えば、犯人は一連の犯罪に手を染めるべきではなかった。

ですが、それほど自分の過去を恐れたのでしょう。

哀しいですよね。

 

禎子の思いとはまたどういったものだったのだろう。

結局、彼女は夫・憲一に「騙されていた」わけで、そこに怒りはなかったのだろうか。

まさか自分は他の女と違い、夫・憲一に「選ばれた」ことが重要だったのだろうか。

そうではないと思います。

 

能登へ来たあたしの目的

あたしの気がかりのことは

全部これではっきりした

 

しかしあたしにはもっと大きなものが残された

それは この人の世の

あまりにもとらえようもないほどに深い奥行きと

その広さ

あたかもそれはこの北の海

底知れぬ深さ

無限の広さ

 

いえ、広く深い無限の悲しみに

似ているといえばいいのだろうか

 

 

↑ ネタバレはここまでです。

 

観終えて気まずく、気も沈みましたけど、考えさせられる傑作でした。

 

そして『ゼロの焦点」は ―― 幾度もテレビドラマになり、2009年には犬童一心監督の映画作品『ゼロの焦点』も公開されていたんですね。

 

 

ポスターを見て気づきました。

この映画、ありましたねひらめき電球

上映時間は132分。

キャストはもちろんこの2009年版の方が馴染みがありますし、とても興味を感じます。

是非、観たいものです。

って…んんん~はてなマーク韓国ロケ!?なのですね。

さらに惹かれますビックリマーク

 

そして ―― 『ゼロの焦点」を観て思い出したのが、婚約者の失踪にまつわるミステリー作品ですが、宮部みゆきさん原作の『火車 HELPLESS』(2012年)で、もちろん私のお気に入りの韓国映画です。

主演はイ・ソンギュンさん、キム・ミニさん…また観たくなりました。

 

『ゼロの焦点』、観て良かったです。

引き続き、松本清張先生の作品の映画化、そして昔の日本の名作を観ていきたいものですね。

 

今日もありがとうさんでした、おおきに☆⌒(*^-゜)v

 

 

ゼロの焦点(1961)


Zero Focus
零的焦点
제로의 초점


1961年製作/95分/日本
劇場公開日:1961年3月19日
配給:松竹

監督 野村芳太郎
脚色 橋本忍 山田洋次
原作 松本清張
製作 保住一之助
撮影 川又昂
美術 宇野耕司
音楽 芥川也寸志
録音 栗田周十郎
照明 佐藤勇
編集 浜村義康
スチール 小尾健彦

 

久我美子 - 鵜原禎子
高千穂ひづる - 室田佐知子
有馬稲子 - 田沼久子
南原宏治 - 鵜原憲一
西村晃 - 鵜原宗太郎
加藤嘉 - 室田儀作
穂積隆信 - 本多
野々浩介 - 青木
十朱久雄 - 佐伯
高橋とよ - 禎子の母
沢村貞子 - 宗太郎の妻
磯野秋雄 - 葉山警部補
織田政雄 - 金沢署捜査主任
永井達郎 - 北村警部補
桜むつ子 - 立川の大隅のおばさん
北龍二 - 博報社の重役