2021年1月1日 金曜日 公開スタートです
あれから4年 ―― 。
かつての祖国は、別世界となっていた。
新型コロナウィルスの流行が収まらない中で、映画を劇場で観ることもオススメするのがためらわれるのですが、映画館はお出かけの中でも安全性が高いと思います。
十分ご注意の上、観に行ってください。
アンニョン(^-^)ノ
いつも、ありがとうです
12月17日、この作品を観ました・・・
霧の旗
霧の旗(1965)
英語題:A Trap
韓国語題:안개 깃발
中国語題:雾之旗
(1965年、日本映画、111分)
監督:山田洋次
脚色:橋本忍
原作:松本清張
製作:脇田茂
撮影:高羽哲夫
美術:梅田千代夫
音楽:佐藤勝
録音:小尾幸魚
照明:戸井田康国
編集:浦岡敬一
スチル:堺謙一
倍賞千恵子 - 柳田桐子
露口茂 - 柳田正夫
滝沢修 - 大塚欽三
逢初夢子 - 大塚芳子
新珠三千代 - 河野径子
近藤洋介 - 阿部幸一
清村耕次 - 久岡清村
金子信雄 - 谷村金子
市原悦子 - 信子
阿部寿美子 - バー「海草」のマダム
川津祐介 - 杉田健一
田武謙三 - 上田係長
桑山正一 - 奥村
内藤武敏 - 島田検事
河原崎次郎 - 山上
穂積隆信 - 「みなせ」の支配人
配給:松竹
解説: 松本清張の同名小説を「その口紅が憎い」の橋本忍が脚色「馬鹿が戦車でやって来る」の山田洋次が監督した推理もの。撮影もコンビの高羽哲夫。
(映画.com)
先日、松本清張原作の『砂の器』(1974年)の感想を書かさせてもらった時、299分署たまさんから子どもの頃に観られた映画を教えていただいたんですが、『砂の器』が素晴らしかったこともあり、すぐに観てみようと思った作品です。
でも、この松本清張先生の『霧の旗』は何度もドラマ化されてて、映画化も2度、されてるんですね。
たまさんが観られたのは、1977年の西河克己監督版で、主演が山口百恵さん、三浦友和さん、三國連太郎さん。
本来ならその1977年版を観るべきなんですが、調べてみると、その前、1965年に監督が山田洋次さん、脚本が橋本忍さんで初めて映画化されてるんですよね。
私としては橋本忍さんと山田洋次さんが脚本を担当された『砂の器』を観たばかりなこともあり、また「古い順」って気持ちもしたので、1977年版を薦めてくださったたまさんには申し訳ないけど、まず1965年版を観てみることにしました。
結果として1977年版のDVDは借りに行ったレンタルDVDさんにはなかったんですけど、1965年版を観たあと、さらに1977年版も是非、観たいと思いました。
たまさん、オススメ、ありがとうございます~☆⌒(*^-゜)v
東京の高名な弁護士である大塚欽三の事務所に、熊本から柳田桐子とゆう二十歳くらいの女の子が弁護をお願いに来るんですね。
桐子のお兄さんが、金貸しのおばあさんが殺害された事件の犯人とされてしまっていて、それでどうしてもお兄さんを助けたいと大塚にお願いに来たんです。
ところが、桐子は高額な弁護料も払えそうにないし、熊本の事件ですので大塚と事務所の人は、桐子の依頼を断るんですね。
それで最終的に桐子も諦めるのですが・・・。
そういった話です。
ってぜんぜん最初の8分くらいなんですけどね、殺人事件の容疑者として逮捕された兄の無実を信じ、高名な弁護士に弁護を依頼する妹。しかし、貧しさゆえに断られた妹は・・・って感じです。
いや、この映画、1966年と非常に古い映画ですが、セリフも聞き取りやすく、話もよくわかります。
やっぱり「私にもわかる映画」でしたね。
ずっと最後までわかりました。
『砂の器』よりもわかりやすい映画でしたよ。
もちろん、先が読めたわけではないです。
どうなるのかはぜんぜんわかりませんでしたね。
つまり、桐子がどうしたいのかでしたけど、これは大塚弁護士同様、私にもわかりませんでした・・・。
1965年頃の東京の風景、非常に良かったです。
そこがフィルムの凄さですね。
キャストについては私はもう、ぜんぜん知らない方ばかりで・・・まあ、それはそうなんですけど、主役の一人である柳田桐子を演じるのは倍賞千恵子さん。
『ハウルの動く城』(2004年)のソフィーの声も有名だけど、酔って荒れ狂って人を素手で撲殺して服役して出てきて、武田鉄矢をどやして、またさらに無免許運転した男の妻としても有名ですよね。
パッと見てすぐに倍賞千恵子さんだとわかりました。
やっぱり声もあって。
桐子は大塚に弁護を断られて、ムス~ッとした顔になるんですが、以後、ずっとムス~ッとしたままなんですね。
映画中、ムス~ッとしてます。
そんな彼女のことが気にかかった雑誌『論想』の阿部幸一は彼女の話を聞こうとするのだが・・・。
殺人犯として裁かれることになった兄さんのため、必死で証言する桐子の姿が心を打ちます。
回想シーンで登場する被害者である金貸しのおばあさんは、どこか非常に意地が悪くイヤなイメージ・・・。
熊本にいられなくなった桐子は東京のバー〝海草〟で、「リエ」として働くことになる。
「あ・・・」とショックを受ける論想社の阿部幸一。
この時の空気が、なんか泣きそうになります。
女優さんとしてはもう一人、バー〝海草〟のホステス、信子の役で市原悦子さんもご出演・・・。
市原悦子さんは声ですぐに気づきましたね。
大塚欽三は社会的に成功した立派な弁護士である。
しかし、妻の他に愛人・河野径子がおり、彼女との将来を考えている。
柳田桐子は兄思いの妹であるが、豊かではなく、高卒で、大塚のように価値のある仕事もできない。
あからさまに悪なのは、金貸しのおばあさんを殺した犯人である。
桐子の兄、柳田正夫は犯人だったのだろうか。
もっとよく調べていれば、そうでないことが判明したかもしれない。
大塚は長年培ってきた確かな推理力で、犯人は別にいると確信するが・・・。
最初に書いたとおり、難しくはなかったけど、わからないところもありました。
タイトルである『霧の旗』もですし、セリフもいくつか、よくわからなかった。
でも、何も知らずにいきなり観て、ホントに面白いと思いましたよ。
昭和の風景やセリフ、モノクロの映像も満喫させていただきました。
山田洋次監督、橋本忍さんとはやっぱり私、相性がいいようです。
ネタバレせずに書けるのはここまでです。
詳しく知りたくない方はここまでですね。
今日もおおきに、ありがとうさんです☆⌒(*^-゜)v
結末をネタバレしてます
観る予定の人は読まないで
桐子の怒り、恨みが大塚に向かったのは、私は理解しました。
本来なら、兄の弔いに復讐すべきは真犯人なのですが、彼女は助けを求めたのに断った大塚弁護士に復讐していく・・・。
これが途中でわかって、あっ、と思いましたよね。
途中までは真犯人を見つける話だと思ってるので。
意外でしたよね~。
ジャーナリストである阿部幸一が勤める論想社でも、桐子のことを報道として取り上げなかったことで、桐子が復讐に向かっていく結果になるので、弱い立場の所得が高くない人たちの言葉も取り上げるべきだったのではないか、って結論もあったと思います。
兄が世を去った時点で、桐子は復讐だけを遂げようとしてたんでしょう。
観終えた時、非常にイヤ~な気分でしたね。
感動とかそんなものはなく・・・観たって充実感はありましたけど、気が沈みました。
一つには、最後に桐子が使った手口がいわゆる「女の武器」、色仕掛けだったからですよ。
これは「ハニートラップ」の範疇に入るのか、あるいは「ハニートラップ」が色仕掛け、誘惑の範疇に入るんでしょうけど、ネットでは、性犯罪の被害者を根拠なく色仕掛けと決めつけて、加害者だと断定している記述がかなり多いのでね。
もちろん、そういったケースもあるんでしょうけどね、そうでなくてもそう決めつける人が多い感じで、そうなるとますます今以上に正義から遠ざかる気がしてね・・・。
それがとてもイヤなんですね。
1959~1960年ですか、『婦人公論』に連載された松本清張先生の『霧の旗』も同じ結末だったんでしょうか。
その前から「女は復讐のために色仕掛けを使う」ってコンセプトが小説の中に登場してたんでしょうけど、『霧の旗』を読んだ人は「女は怖い」と思ったことでしょう。
もちろん、小説や映画にそういった概念を使うのことはぜんぜんいいし、映画の最後、復讐を遂げたのに桐子が虚しさにとらわれてるのが表情からうかがえますので、正しいことをしたって認識でもないでしょう。
それでも、21世紀の今になって最近の私は『霧の旗』の結末を、なんだか不愉快に思いましたね。
この映画で描かれることは非常に特殊で、まず現実ではありえないような話だけど、性犯罪が捏造されるって裏付けになるようで、それが好きになれなかったんでしょうね。
もう一つは――松本清張先生の原作の結末が映画と同じだとして――これは書くのが心苦しいのですが、書いておきます。
二十歳くらいの小娘・・・まあ、女の子でしょうね、桐子が男性経験のまったくない中で、亡き兄の復讐のために「自分の体を使う」ってことに、それを書いた松本清張先生の主観、エゴを感じてしまったんですね。
作家としての男性の視点とゆうか・・・書きたいと思って書かれてると思うんですよね。
松本清張先生のような偉大な作家だから、他にも復讐の最終的な仕上げを思いつかれたと思うんですけど、あえて若い女性が性を使うって発想を採用されたんですよね。
それが、まあ、松本清張先生の男性的なエゴを強く感じましたよね。
これを書いて発表したい・・・と。
ぶっちゃけ、妄想にはしったエロいおじさんやん・・・と思ったわね。
桐子のやったことに賛成の人って多くないように思うんですけど、やらせたのは松本清張先生ですからね。
つまり松本清張先生が女で、桐子のような立場になった時、あの方法を採用する可能性があるってことですよ。
ま~、現実にはしないでしょうけどね~。
それはともかく、若い女性が復讐のために好きでもないかなり年配の男性と関係するって発想は、私には小説・映画としてイヤ~な気分でした。
たしかに、兄のために女の幸せを捨ててるんですけどね。
そこに高潔もあるのかもしれないけどね。
でも、そういった話も映画には少なくないでしょう。
むしろ、減ってきたのかなあ。
どっちですか。
そこは私にもわかりませんけど、まだ24、5歳の倍賞千恵子さんがやたら若く、子どもっぽくすら見えたので、それにこの結末だったのでちょっとショックを受けたのかもしれません。
結果、『霧の旗』は「面白い映画」ではありましたけど、、「楽しい映画」ではなかったし、面白かったけど「気分悪い映画」でした。