飼い主は、実家の管理の中で細々したことがらを片付ける。



断りの紙を貼っても毎日ポストに入れられるチラシは、持ち帰る。

郵便物は今ではほとんどなく、まだ止めていない電気と水道の料金は、請求書が届く頃はわかっているから、そのあたりの日には必ず回収し、即日支払う。



たまに、「いまだに‥‥」と思う封書がきていることがある。

同窓会や、何かの団体からの振込用紙。

これらは、悪いがたいていは無視しておく。

気になったのは、例大祭などの案内を送ってくる神社関係。

市内だけでなく近隣の市町にある神社、遠くは

山陰の方の。

長年の間に、何らかの協力か付き合いをしたことがあるのかもしれない。

これまでにいくつか、飼い主は神社に宛てて、今後のお知らせは無用の旨、お礼状という形で出してきた。



神社にしても、パソコン管理されているリストに従い、機械的に発送したのかもしれない。

一般的にいえば、神社からの案内も、DMだ。

それでも、いつまでも送られても困るし、なんとなく他のDMと一緒くたの扱いはできず、飼い主が感謝とともに【配信停止】の処理をしたのだ。




先日は、せいらさんが父に定期購読をプレゼントしていた雑誌が、今月もポストにあった。





※せいらのブログは、こちら 



「これは、父が亡くなる少し前に1年継続をしたらしく、ずっと無駄になってしまいもったいないことだ。」



他にも、【約1年の父の留守】ともなると、飼い主が知らない方面からのお便りがあったりする。

国立国会図書館からのものも、その一つだ。

飼い主がこれを手にしたのは、2回目。

半年ぶりくらいだろうか。



飼い主は最初は、たいそうなところからの封書を、何だろうと思った。



開封してみると、【出版物納入のお願い】とあった。

どうやら、飼い主の父が代表者だった地元の短歌会の冊子がずっと納入されていたが、最近途切れているので最新号までを【ご入本ください】という催促状のようだ。



短歌会誌は、近年は厚さはほんの何ミリかの冊子であるが、ちゃんとした印刷物だ。

640を越える号数を発行している。

父にとって最後のものは、入院中で読んでいないので、棺の中にいれた。



飼い主は、悩んだ。

「短歌会は、ぼそぼそながら続いている。

会員の方に連絡してお願いしてもよいが‥‥。

このまま返信しなければ、図書館からもう送ってくることはないだろう。」

と、自然消滅でも仕方ないと思った。



「どういういきさつで、あるいは父の勝手な納本か、私にはわからないが、とにかく国会図書館に、あの小さな会誌があったんだなあ。」

ひとしきり感慨深く封書をながめていた。



そしてそれきり忘れていたが、先日また同じお便りを受け取った。

【未納に対する催促状】は、納本処理がなければおそらく自動的に出てくるものだろう。

だが飼い主は、送付してくることは、ある意味律儀なものだと感心してしまった。



飼い主は、前回同様に思う。

「国会図書館ともなれば、膨大な書物を収蔵しているんだ。

片田舎の零細な冊子も、その中に紛れて、一応存在していたんだなあ。

あの会誌にとっては、国会図書館なんて晴れの舞台だわ。



どうするか。

父が若い頃から何十年も関わっていた短歌会は、まだ存続してはいる。

しかし会員はとても少なくなり、皆さん高齢だ。」



飼い主は、再び同じように悩んだ。



「残った会員の方に委ねる方法もあるが、父亡き後、特に会の方からお尋ねはない。

【父に紐付いていたこと】は、終わりになるんだ。

だから、私が決めてしまっていいだろうか。

高齢の方の負担にならないように。」



飼い主は、そう考えたことを含め、【刊行物の状況】という現況と見通しを記入する回答用紙に、

父死去の報告とこれまでのお礼を、走り書きながら添えた。

「この返信用封書は、たぶん人が開けて人が読むはずだから。

私が、お仕舞いとしてきちんと処理して挨拶をしておけば、父は安心してくれると思いたい。」



そして、記入した紙を折り畳む前に。

最後に悩んだ末、この歌を末筆とした。





3ミリの

歌集は晴れの

書架にあり

麓で編んだ

父が息づく