みなさんこんにちは❗
柴犬伊太郎の飼い主の、歌波(かなみ)です。
歌波は、ペンネームです。
自分の娘が生まれたとき、名前の候補に考えたのですが、ボツになったものです。(´・ω・`; )
今日は、【飼い主の短歌講座 第1回】ということで、日頃短歌を作っている私が、ちょっと思うところあって、おこがましくも短歌について語る場をもうけました。
私は、趣味としていつの間にか短歌を詠むようになりました。
短歌に関して、一冊の本も読んだことはありませんし、他人の歌さえあまり読まない、歌会にも属さない。
一人で自由に作っているだけです。
そして伊太郎ブログに時々短歌を入れていますが、まさに一方的な発信でありますね‥‥。
私の父は、歌人とよんでいい人でしたが、父の真似をしたとは思っていません。
それどころか、影響を受けたと思われるのも嫌でした。
父の短歌を見せられると、よく反発しました。
父の作る歌は、年季が入って職人技の域にありました。
私は、短歌の源は、その人の感性だと思うので、
尊重したいものが食い違っているように感じたのです。
私は、自分が自然に詠みたくなるから短歌を作る。
そういうスタンスでした。
私は父の歌で覚えているものはほとんどないのです。
なるべく避けていましたから。
しかし父の晩年には、私も年を取り、たまには見せられた短歌に一言二言、言葉を挟みました。
私からは、自分の歌をわざわざ見せたことはめったにありません。
私の投稿が新聞に載ったりすれば、父の知るところとなります。
父はそういう私の作品を、いつもほめてくれました。
まあ父と娘はそんなもの、としておきましょう。
さて。
先ほど【技】という言葉を出しました。
短歌を始めた頃は、何かが駆使されていると感じるものは、奇をてらっているようにわざとらしい。
そう思っていた私でしたが、いつの頃からか、それに近いと思っていたがちょっと違うかなと‥‥自分が柔軟に言葉を操っていけるようになったと思うようになりました。
技巧というには程遠いものでも、何かが加わって歌風に幅ができてきたと。
私は多作ではありませんが、作り続けていくうちに、そう、言葉が「織れる」ようになるのかしらと。
気付いてみれば、技や巧みさというのは、実は短歌作りには思ったよりハードルが低いものでした。
ちょっと言葉を変えるだけでも歌は深呼吸する。
それをお伝えしたいのです。
歌にもある程度の技術が身に付けば、生まれるものが違ってくると感じます。
歌は、一つのモノ作りですから。
心の。
ここからは、私の独りよがりなレクチャーです。
短歌に造詣が深いわけでもない私が、短歌を詠んできた中で‥‥実はまだ10年あまりです‥‥短歌を敬遠したい方にも耳を貸していただければと。
今さら私が言わなくても、どこかで誰かが言っているかもしれませんが。
今日は、伊太郎ブログで私の短歌に親しんで?くれているみなさんと一緒に、今や短歌女子などといってブームになりつつある短歌について、考えていきたいと思います。
先日、「せいらのブログ」で、短歌が取り上げられました。
せいらのブログは、こちら
せいらさんは、先週の北海道旅行でかの有名なボールパークFビレッジに行き、来場記念のボトルをもらい、それをトランクに入れていたところ、帰りの空港で荷物検査に引っかかりました。
次の短歌は、それを詠んだものです。(元歌のまま)
球場で
もらった記念
ボトルみな
荷物検査で
引っ掛かり🌀 ←※(このマークも1文字?)
これを例題にして、一緒に考えましょう。
私は、これは「素直な言葉で良い」ものだと思いました。
素直とは、「ありのまま」の「飾り気のない」、素朴なもの。
事件のレポートだったら、ありのままだけでいいです。
しかし歌は、心の動き。
せっかく歌にしようと思った場面が、止まってしまっているように感じました。
情景は、思い浮かびます。
そのまま伝えてくれているので。
事実の羅列だけでも、三十一文字は埋まりますし、あえて動きを封じ込めることもありますが、この歌には、それではもったいない。
そこで私はせいらさんに、「最後の一行だけ変えたらこうなるよ。」と送りました。
球場で
もらった記念
ボトルみな
荷物検査で
再会をする
せいらさんは、短歌の後に、「みんな空港でトランクを開けられていた」と書いています。
せっかく目撃したことですから、他にも検査に引っかかった人々がいたことに焦点を当てますが、ボトルを主役にすれば、ちょっと場面が動くと思いました。
トランクを開けたからこそ、ボトルは顔を出しますよね。
あの人もこの人も開けられた、ということは、ボトルからしたら、球場で配られあちこちに散った仲間に、また会えたということですね。
次からは、私の歌です。
空港で
検査を止めた
記念ボトル
北の思い出
一つ増やして
元歌の、引っかかる➡️止める、に言い換え。
これも、ボトルが主語。
空港の出来事も、旅の思い出です。
北の、とはどこか、「だいたいわかればよい」のでは。
何もかも正確に、と思うと、短歌という言葉のパズルにはまりません。
俵万智さんも、そう言ってますよね。
持ち帰る
ボールパークの
記念品
空港で開く
ジュエリーケース
お金を出して買ったお土産などは、わざわざ持ち帰るとは言いません。
だからまず、持って帰ることにした、ということを伝えます。
球場は、同じ場所をさす単語を探します。
これだけで、雰囲気が変わります。
トランクやスーツケースは、開けると指輪などのケースと同じ形です。
ボールパークに合わせて、あえてカタカナで、ジュエリーケースにしました。
一行目で、持ち帰るとしたのは、北海道まで来たからこそ手に入れた、宝物だと思ったからです。
空港でトランクを開けることは、限られた場面ですので、開けるや開く(ひらく)ではなく、開く(あく)。
文字数も合うし、これが一番意外性を持たせると思いました。
球場の
記念ボトルは
飛行機で
旅すると知る
荷物検査で
球場で【もらった】ことは、削りました。
おそらく読者の推測に委ねて十分であるのと、下の句で【旅すると知る】のは、自分が持っているボトル以外のものも登場するからです。
ああ、あの人も同じところに行ったんだ、同じのもらったんだ、持って帰るんだ、同じ空港から旅立って、どこに行くんだろう、と連鎖的に想像がふくらみました。
一瞬の出来事ではありますが、そこに様々なことを凝縮して盛り込めたら、歌作りが楽しくなります。
短歌は、頭の体操です。
考えるだけですから、お金がかかりません。
私は、人の作品に意見したり添削するのは好きではありませんが、こうやって話していくうちに、それも楽しからずや、と感じてきました。
偉そうに講評はできませんが、人の元歌の情景を思い浮かべ、もっと考えて文字や声に出すことで、自分とは違う見方や感性が近寄ってくるのだと学びました。
というわけで、せいらさんの短歌をもとに、色々なことを勝手に申しました。
すでに短歌に親しんでおられる方には、余計な講釈でしたが、もし「短歌、作ってみようかな」という方がいらっしゃるのなら、私は声を大にして
Let's try❗
まとめです。
1. まず、とにかく何でもいいから、短歌を作る。
2. できれば、パン生地のように寝かせる。
勢いで作ったものが、満足な完成品ならOK。
3. 言い換えられる表現はないか?
手元に国語辞典だけはあった方が良い。
正しく、また他の言い回しを確認できる。
4. 他の見方をするとどうなるか?これが短歌の面白さ。
歌作りは、キュービック。
つまり言葉の世界は、多面体。裏から、側面からながめ直すと、思わぬものが見えてくる。
5. 行き詰まったら。自分の歌を、一行ずつ切り離してみる。五 七 五 七 七 の文字数のカードにする。その5枚を並べ替えてみたら。組み替えると、類語にして長くしたり短くしたり、主語を変えたくなったり、他の要素と取り替えたくなったり、色々な遊びができる。そうして生まれたものは、前より悪くはならない。
私は、どちらかと言わなくても(笑)、即興型です。
短歌は、スピード勝負ではないのに。
そして作りっぱなしのことが多いのです。
知らないところで恥をかきっぱなしになることもあります。
でも、できるだけどこかで上のようなことにチェックを入れるように、心がけています。
伊太郎ブログの読者さま。
いつもつたない短歌をお読みくださり、ありがとうございます。
まだまだ話しきれないことばかりですが、一旦このあたりで。
かないますなら、読者さまの歌を拝見したり、私の歌に感想をいただいたりできれば、この上ない喜びです。