「10年日記をつけていると、へえ、とかああそうだと思うことが多い。」
飼い主が、まだ2年目の日記帳をめくりながら言う。
せっかくのグラジオラスが倒れ気味、と今年は書いたようだ。
飼い主は、これまでに何回か日記をつけてはいた。
だが途中でやめてしまい、長続きしなかった。
「そんな中でも思いがけず半年以上続いたのは、20年も前、中学校に勤めていたとき。
ALTの女性に、ちょっとした英文をよくチェックしてもらっていた。
ありがたいことだが、それはいわゆるtextbook−like、教科書の基本文の領域を出ないもので、お互い仕事上のこと。
自分にとっては今ひとつ。
もっと日常生活に即したことも学びたかった。
せっかく身近にALTがいるんだから。
それで、ふと思い立ったんだ。
英語の日記を書いて、添削してもらおうと。
もちろん簡単なものだ、日記なんてたいそうな専門用語など使わないし。
ALTはとても喜んでやってくれ、毎日持って来るように言われた。
それで、英文日記が私の毎日の宿題になっちゃってさ。
毎朝、ALTの机にノートを置いておくと、昼休みに見てくれて、赤ペンで細かいチェックを入れ、必ず感想も書いてくれた。
私は一行おきに文を書くようにして、添削しやすいようにしたんだが、ほんとに細かかったなあ。
例えば、定冠詞のthe 、私の文から削ったり足したりしてあって、それだけでも考えさせられた。
だから、学んだことは、授業でも大いに役立ったし、生徒にもときに英文日記や平易な自由作文を課して、何でもALTさんに聞いてみよう、彼女と一緒に学ぼうと言えた。
自分の日記の内容は、色々書いた。
日記だから、自分のプライベートをどんどん書く。
しまいには、婆さんの蛮行に憤る文まで!
ハハハ。
真剣に読んでくれて、日本の嫁姑問題を一緒に憂えたり憤ったり、そんな返事の英語を読むのも、まさに生きた学習だった。
あるとき、彼女がかなり腰を痛めてしまい、私が学校から病院に同行することになった。
私の英語力では通訳に苦心したが、なんとかレントゲンを撮って検査することを彼女に伝えたら。
レントゲンは絶対に嫌だという。
そんなに簡単に放射線を浴びたくない、ようなことを言う。
そういうお国柄なのか個人の主義なのかわからないが、とにかく嫌、ダメと頑なで。
私も医師も困ってしまった。
結局、レントゲンはなし、大した治療は受けられなかったが、重大なことはなかったようで、だんだん快方に向かってホッとした。
こんなことも、一つの学びだったわ。
彼女とはいい友人になった。
あとになって、そのノートを開いてみると、格別の懐かしさを感じたね。」