飼い主は、去年の5月からこれを続けている。
10年日記。
毎日、曜日や天気を入れても5行だから、その日のメモがわりに記入するだけだ。
今のところ三日坊主にはなっていない。
しかしコロナ禍、主婦の飼い主の行動記録なんてたかがしれていて、代わり映えしないのだから、10年分、一気に以下同文と印刷してもよさそうだ。
「10年同じ?
ならば私は、10年ずっと変わらず若く元気でいるということだ、ハハハ。」
飼い主、そういう図々しさが、今後10年たっても改善されないだろう、ということですよ。
1年前の5月16日。
この頃はまだ、たくさん書くことはなかった。
東海地方も梅雨入り、とある。
「とにかく、まる1年たった。
1年、続いたわけだ。
毎日のルーティンとして定着している。
今はまだ、去年の今日はどんな日だったか、読めば記憶は鮮やかだ。
そのうち、続けていけば、3年前は、7年前は、と懐かしさ、思い出す楽しみが増してくるだろう。
私の備忘録だ。」
ここで一つ暴露しておくと、飼い主は、備忘録のことを
忘備録
だとずっと思い込んでいたんだ。
「いいではないか。
それだって正直で。
そういったことも、その都度これに書くようにしているんだ。」
勘違いしていたこと、書けなかった漢字、思い出せなかった用事。
いまに、ページを開いたものの何を記しておくべきか、筆記の手が進まなくなるのだろうなあ。
日記帳には、時々赤ペンで記されることがらがある。
これは、数あるこぼれ落ちた記憶の中でも、「受け皿」があって、忘れっぱなしにはならない。
買い物、やろうと思ったことで、悲しいほど忘れていて、後で自己嫌悪に陥ること。
息子に注意されてカチンときたこと。
大きなニュースよりも、飼い主が自分を許せないと思ったことを、「これは忘れじ」と書き留めるのだ。
一日5行でも、1年なら1825行。
ボクの分析によると、その半分以上はその日の行動を記載したものだ。
行動だけの客観的メモ。
あとは、感情的なことがら。
目立つものとしては、やはり
🔥婆様への憤り!
飼い主は言う。
「昨日は、無事にお茶つみが終わった。
婆様は、毎年毎年同じことを言っている。
【私ャ、来年のお茶つみには、もう死んじゃっていないから!】と。
ホントに不愉快だ。
ずーっと予告してる割には、全然弱らず、何も変わらない。
昨日だって、張り切って余計なことばかりして、これも10年前と変わらず全く同じ。
10年憎き!だ。」