2024年3月20日春分の日、冬に逆戻りして一際寒さが身に沁みる。
 大谷翔平選手の通訳で顔馴染みの水原一平氏が、ドジャースを解雇される。違法賭博に関与し、大谷選手の口座から450万ドル(約6億8,000万円)を窃盗したとされる。

 YAHOO!ニュース 日刊スポーツ3/21(木) 10:24配信
「水原氏が同メディア(ESPN電子版)に直接語ったところによると、2021年にカリフォルニア州で違法賭博の元締めをしているマシュー・ボウヤー氏とサンディエゴで行われたポーカーゲームの会場で初めて会い、スポーツ賭博を始めた。賭博の負けによる借金は2022年までに100万ドル(約1億5000万円)に膨らみ、その後さらに雪だるま式に膨らんでいったという」

 DODA 更新日:2023/12/4
「2023年、サラリーマンの各年代の平均年収をもとに算出した日本全体の生涯年収(生涯賃金)は2億2,112万円」

 水原氏は、サラリーマンの平均生涯年収の3人分、開業医の1人分を、3年余りで擦ってしまった。
 今の自分があるのは大谷選手のお蔭、と感謝を述べているのを聞いたことがあるが、大谷選手があってこその自分という自覚がありながら、その大谷選手を裏切って窃盗までするとは、俄には信じられない。

水原一平
・無意識レベルのカルマ
 1984年12月31日(0歳)ー9(神的レベル)
 2008年11月12日(23歳)ー9(人間レベル)
 2013年11月12日(28歳)ー9(動物レベル)
 2018年11月12日(33歳)ー9(植物レベル)
 2023年11月12日(38歳)ー9(鉱物レベル)
ーゴータマ崇拝
・独り善がりー8(神的レベル)
・向上心ー0(人間レベル)
・意識の進化段階ー11.9(第3システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー消滅
・肉体の滅びー2025年8月23日
・精神年齢(満38歳)ー40歳 →IQ105(平均)

 水原氏は、2007年カリフォルニア大学リバーサイド校卒業と称しているが、同校によると「彼が通っていた記録はない」と言うことで詐称だったと判明する。
 2008年、ゴータマ崇拝に堕しており、当然非暴力を破戒する狼男だから嘘も吐くし盗みもする。倒錯者だから大切な人こそ裏切り、破滅に導くようなことさえ厭わない。

 『かの人の前世-446』(2021年08月23日)
<大谷翔平
・無意識レベルのカルマー9(神的レベル)
・野球の才能
 1994年7月5日ー0(神的レベル)
・野球の実力ー6(人間レベル)
・意識の進化段階ー410.9(恒星系団神第10システム)
・精神年齢(満27歳)ー46歳 →IQ170(非常に高い)
・五行類型論の体型:5△ー10△型>

 大谷選手については既に446段で見ているが、その後を見てみる。

大谷翔平
・無意識レベルのカルマ
 1994年7月05日(0歳)ー9(神的レベル)
 2022年8月30日(28歳)ー8
・野球の才能
 1994年7月05日(0歳)ー0(神的レベル)
 2022年8月30日(28歳)ー1

 2022年8月30日にカルマが重くなっているのは、生き霊を飛ばされたからである。世の中には性の悪い奴がいて、この様に生き霊を飛ばしたりするから、大谷選手も除霊の祈りをぜひ行うほうが良い。重くなったカルマは愛のマントラ289回で、一祈り15分ほどで無くすことができる。
 同日野球の才能が、往年のベーブ・ルース選手から1ランク上がった。これからはベーブ・ルース選手も未知のゾーンを大谷選手が切り開いてゆくことになる

 国学は、17世紀、江戸時代中期に勃興した学問である。
 5世紀に相前後して道教、儒教、仏教が入ってくるが、日本古来の神道は作法に厳格であるにも関わらず、言挙(ことあ)げしないのが流儀で経典など無く、対立することもなく混淆される。
 Wikipediaによれば、国学は、元禄のころの歌学者契沖(けいちゅう)が創始したとされるが、その源流は江戸時代の初期から既に現れ始めていた。なお「国学」の語が使われるようになったのは、契沖を学んだ荷田春満(かだのあずままろ)の頃からである。
 荷田春満を師としたのが賀茂真淵(かものまぶち)、賀茂真淵を師としたのが本居宣長(もとおりのりなが)である。
 宣長は、<(1730年)6月伊勢国松坂(現・三重県松阪市)の木綿仲買商である小津家の次男として生まれる>
<(1737年)、8歳で寺子屋に学ぶ>
<(1745年)、16歳で江戸大伝馬町にある叔父の店に寄宿し、翌年に郷里へと帰る>
<『大日本天下四海画図』を起筆し、(1752年)12月上旬に書写作業完了>
<27歳の時、『先代旧事本紀』と『古事記』を書店で購入し、賀茂真淵の『冠辞考』に触発されて国学の研究に本腰を入れることになる>
 28歳のとき、医学を学んでいた京都から松阪に帰り、医者として開業する。
 29歳の頃、30年ほど続く参加者同士で和歌の批評をし合ったり、本の貸し借りをしたりして、互いの教養を深め合う場にもなった嶺松院(れいしょういん)歌会に参加する。あるとき参加者の一人から、平安朝の歌人藤原俊成の歌にある「もののあわれ」とはどう言うことなのか質問を受け、これこそ日本人の本当の姿や文化を解き明かす重要な手掛かりとなると直覚する。
 1763年5月25日、伊勢神宮参拝のために松阪を来訪した真淵に初体面し(松阪の一夜)、以後文通をもって師事する。

 2024年3月24日、大相撲春場所は尊富士(たけるふじ)が新入幕で初優勝。110年振りの快挙。
 尊富士の呼び名から思い浮かべるのが日本武尊(やまとたけるのみこと)。三重県の名称の由来について、< ヤマトタケルが東方遠征を終えて尾津前(尾津浜)(桑名市)から能褒野(亀山市)へ向かう途中の三重郡(四日市市)で、『古事記』に「『吾が足は三重の勾がりの如くして甚だ疲れたり』とのりたまいき。故、其地を號けて三重と謂ふ」とあることに由来するとされている>
 宣長は、前述の通り、三重の松阪で医者を開業し、中二階の物置を自分の勉学や後には門人を集め講義などもする書斎に改装し、「さやさやと」鳴る36個の鈴を柱に掛けていたことから鈴屋(すずのや)と呼ばれる。
 宣長は8歳から寺子屋に学んでいるが、義務教育でもないのに江戸時代中期には、武士のみならず町人らの学習意欲が高く自発的に学んでおり、宣長自身の『古事記伝』などの本が出版されて売れているのだから驚く。

『古事記伝』の普及率
 江戸時代中期ー28%
 現代ー3.2%

 そもそも古事記は変体漢文を主体として書かれ、ただでさえ読むのに難渋するのを、宣長は約35年費やして大和言葉で読み大和心で注釈する。この着想は大成功を収め、<当時の人々に衝撃的に受け入れられ、一般には正史である『日本書紀』を講読する際の副読本としての位置づけであった『古事記』が、独自の価値を持った史書としての評価を獲得していく契機となった>
 男性が漢文を使うのに対し、女性は大和言葉を使う。戦時中の漢文調の宣伝文句が無味乾燥なのと、大和言葉を使った平安朝の女流作家が大成するのを勘考すれば、違いはハッキリする。
 宣長の着想に敬意を表し、上述の(松阪の一夜)も、「いちや」ではなく「ひとよ」と読むことにする。

<『古事記』は、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた上述の『帝皇日継』と『先代旧辞』を太安万侶が書き記し、編纂したものである>
 誦習(しょうしゅう)の習いがある阿礼については、さぞかし特殊な能力者なのだろうと思いがちだが、言挙げしない流儀を考え合わせれば、神道儀式などを継承するには必要不可欠な、メモしないで覚えることが、日本人の普通の能力だったと思われる。

賀茂真淵
・無意識レベルのカルマ
 1697年4月24日(0歳)ー9(神的レベル)
 1736年3月19日(38歳)ー8(人間レベル)
 1746年3月19日(48歳)ー2
 1756年3月19日(58歳)ー4(動物レベル)
 1766年3月19日(68歳)ー8(植物レベル)
・独り善がりー4(動物レベル)
・向上心ー5(人間レベル)
・意識の進化段階ー25.1(第5システム国津神第1レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満72歳)ー89歳 →IQ124(高い)
・五行類型論の体型:2△ー6▽型

本居宣長
・無意識レベルのカルマ
 1730年06月21日(0歳)ー9(神的レベル)
 1779年10月29日(49歳)ー-3
 1789年10月29日(59歳)ー0(人間レベル)
 1801年10月29日(71歳)ー8(動物レベル)
・独り善がりー6(動物レベル)
・向上心ー3(人間レベル)
・意識の進化段階ー33.8(第7システム国津神第3レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満71歳)ー96歳 →IQ135(非常に高い)
・五行類型論の体型:2△ー7▽型

 真淵は、現在だったらモナドが消滅しているほどカルマを積んでいる。
 カルマは愛の最大値を規定するから、徳目の値も概ね予想され、2人は悪人と言える。2人のように篤学の士であれば、今までは少々不徳であっても問題にはならなかったが、これからは有徳が前提条件となる。道教・儒教・仏教も本来はそうだったはずで、いつしか名目に過ぎなくなってしまったが、もうそれは許されないし、カルマ積みも限度が設けられたのである。