この頃の事は、よく覚えている。
たくさんの手塚治虫氏関連の追悼番組が放送されたり、本が出版された。
私も、未完の「ネオ・ファウスト」を買った覚えがある。
この作品も、その中の一つであろう。
手塚治虫氏と石ノ森章太郎氏は、どちらも未来を憂いながら、未来を見ることもなく亡くなられたイメージがある。
二人とも、とても多忙でいつ息抜きをしてるんだろう?(汗) と不思議に思った。
だから、早く逝かれたのだと思うのだが、自分が好きなことを選んだ責任感が、彼らをそうさせたに違いない。
手塚治虫氏は、かなり石ノ森章太郎氏に嫉妬してるような面があったようではあるが、それでも石ノ森章太郎氏の腕を見込んで自分の仕事を手伝わせたのは、事実なのである。
少ない枚数ながら、手塚治虫氏を宇宙人扱いなんて、失礼な表現をしてますが、寂しい気持ちは伝わってきました(笑)。
1989年 朝日新聞社 『手塚治虫の世界』4月20日 朝日ジャーナル臨時増刊号 初出。
(講談社『石ノ森章太郎 デジタル大全』より『青いマン華鏡』から「手塚治虫氏の逝った日」を読んで)