39年ぶりに | 山口良一的こころ〜春風駘蕩〜融通無碍

山口良一的こころ〜春風駘蕩〜融通無碍

日常の何気ない事や、演劇、落語、銭湯、電車・オートバイ・自転車を使った旅などを、徒然なるままに書きとめようかと。

アルバイトは高校2年から色々とやってきました。
上京してからも、書籍取次の会社、お茶の配達、ビル清掃、ガラス清掃、中華の出前、レストランの皿洗い、新聞輸送、工事現場のガードマン、競輪場の警備員、夜店のたこ焼き屋などなど、どれも楽しい思い出です。
そんな中、劇団に入って2年目くらいかなぁ、築地の青果市場の小馬商店さんで軽子のバイトを半年くらいやりましたね。
朝6時から昼前の11時まで。
幅の狭い大八車のようなもので荷物を運びます。
ジャガイモとか玉ねぎ、20キロの箱を20個。
バランスよく積んで引っ張ってました。
ターレットに乗った魚屋さんによく
「おらぁ、八百屋、もたもたしてんじゃねぇよ」とチコちゃんばりに怒鳴られてましたね。
なにしろスキンヘッドで眉毛がないというね。
おっかないお兄さんがたがいらっしゃいました。
冬の時期だったので、寒いのなんのって。
牛乳瓶ごと湯煎して売ってる売店がそこここにあり、
よく配達帰りに飲んで暖を取ってました。
朝6時から勤務ということで、当時住んでた練馬の富士見台を5時頃に原付のゴリラで出発。
道が凍ってる日もあって、今思うとよく通ってましたね。
午前中で終わるバイトは、午後からの稽古に支障がないので、ちょうどよかったんですよね。

で、大森カンパニーの舞台で音響さんの文菜ちゃん。
彼女のお父さんが豊洲で働いてらっしゃいます。
そのお父さんが小馬商店をご存知で、今日、小馬商店に連れて行ってくださいました。
39年ぶりの女将さん。
お元気で何よりでした。
オヤジさんは20年前に亡くなられたということでしたが、
今は娘さんとその旦那さんが店を切り盛りしていました。
女将さんは、一時期、お体を壊されていたようなのですが、
最近シャンソンを習い始めたとかで、気力がモリモリと甦ってるそうです。
僕が勤めていた半年の間で、通勤に使っていたバイクが盗まれたことがあったのですが、
その事をよく覚えてらっしゃいました。
いやぁ、お会いできてよかった!
女将さん、また会う日までお元気で。
文菜ちゃん、お父さん、ありがとうございました。

当時から上品な女将さんでしたが、今もそのままでした。