キューピーマヨネーズのCMを見て思ったことを少し書きます。

 「ニューヨークで会社勤めをしている私にとって、昼食のサラダが今日初めて見た植物だ」とか、「ニューヨークのビルの高層階に住む僕にとって、最も身近な植物は冷蔵庫の中に有る」とか、そういう内容のナレーションが(実際の文章はもっとカッコつけてます)、マヨネーズで野菜を食べてね、という意味で流れます。まあマヨネーズの宣伝なので仕方ないのでしょうが、私にはちょっと聞き流せません。たとえニューヨークのビルに住んでいようと、わざわざセントラルパークに行くまでもなく、歩道脇のちょっとしたところに何らかの植物が生えているものです。ただそれに気付くかどうかだけ。マヨネーズの宣伝を目的に頭で作った文章は、実際の身の回りを自分の五感で注意深く捉えた言葉とは違う。

 でも今日の殆どの人は、ただ頭の中だけで作り出された文章の洪水の中で生活してるのですね。仕事でも日常生活でも。電車が停止したら、「〇〇駅に着いた」 駅の外に出て空が赤かったら、「夕焼けの空だ」等など。物凄く広範囲に空が赤く染まっていたら、改めてしっかり空を見るに至る人も少しは居るでしょうけれど、大抵の場合は頭の中に既に用意されてある文を引っ張り出してきて納得してるだけ。自分の五感でその時どきの状況をしっかり捉えることなく生活する人が、圧倒的に多くなっているようで怖いです。一目瞭然とか、百聞は一見に如かずとか、昔は動かぬ証拠としての価値があった画像ですが、今は「いかにも本当らしい偽画像、偽動画」が生成AIでたやすく作られてしまう。そしてそのもっともらしい画像の嘘に簡単に騙される人だらけになるのが恐ろしい。

 

 今日は久しぶりの記事です。4月と5月に下書き状態で放置されていた記事2本も、その時の日付で上げました。

 先日TVでYOASOBIならぬNOASOBIと題された番組が放送されました。シジュウカラなどの言葉の研究者(鈴木俊貴さん)に密着したものです。私は一昨年に彼の存在に気付いてとても感銘を受け、このブログで記事を書いています。林の中で鳥たちのさえずりに耳を澄ましている姿は以前と変わらず、現在も順調に研究を続けておられるようで何よりです。

 その番組の中で触れられていたエピソードについて書きます。小学生の頃カブトムシが大好きだった鈴木さんは昆虫図鑑もよく見ていたそうです。しかし「カブトムシは最強の昆虫だよ」と書いてあるのにコガネグモに捕まって食べられてしまうのを目撃して、子供心に「嘘を書いてる」と思ったそうです。そしたらお母様が、「あなたが書き換えればいいじゃない」と仰ったとのこと。

 そうなんですよね。過去記事で書きましたが、私自身が植物図鑑のオオイヌノフグリの項で「開花は1日のみ」と書いてあって、間違ったことを書いてるじゃん、と思ったのと同じ。動物や植物の生態は知られていないことが山ほど有るはず。「きっとこうだろう」という思い込みが間違いなら、どんどん訂正していけば良いのです。「それなりの出版社でしっかりと作られた図鑑でも、書かれてあることが何もかも絶対に正しいと鵜呑みにすることはない」は、私の原点です。およそ教科書というもの全般について、子供の頃からそう思ってきました。

 

 道端でナガミヒナゲシのはっきりしたオレンジ色が目立つようになると、春も深まって初夏に近づいてるんだなぁ、と思います。まだ気温の低い早春の草花は総じて背丈が低いのですが、気温が高くなってくると背丈の高い草が路傍や空き地の主役になります。

 でも昨日見たのです。20cmくらいの丈の草が生い茂っている中で、オオイヌノフグリが爪先立ちで背伸びするようにして咲いているのを。2月頃に開花する時は、周囲に草花もたいして生えておらず低く地を這っているオオイヌノフグリですが、オクテのオオイヌノフグリは既に他の草がたくさん茂っているので、縦に成長せざるを得ません。光を求めて光に応えて咲く花ですから、他の草の合間で光を浴びるために縦方向に身を伸ばします。4月に咲くオオイヌノフグリは大抵そうなのです。昔はそんなオクテのオオイヌノフグリもよく目にしていたのでしたが、はっきり目立つ青い花弁の本来のオオイヌノフグリを見ることが難しくなった昨今、思いもよらず4月末に見れた昨日は本当に嬉しくて。いろんな草茫々の中で、ほんの数輪だけど青い可憐な花が陽を浴びて輝いていました。

 椿の花じゃあるまいし、どうしてこんなふうに落ちてるんだろう?と思ったのは何年前のことでしたか。咲いたばかりでしっかりした状態の桜の花が、椿の落花のように形を保ったまま数多く落ちていたのに気付いて不思議に思ったのです。桜は合弁花ではなく離弁花。数日咲いたら、花びらが一枚一枚バラバラにひらひらと舞い落ちるはずなのに、どうしてこんなことが?それも結構たくさん。

 不思議に思って様子を見ていたら、雀に気が付きました。雀が桜の花をついばんでいる!普段は小さな虫たちを食べているのだろう雀が、花の蜜を吸いに来ているとは!驚きました。まさかと思っても、実際に目の前で雀が桜花の元の部分を咥えているのを見れば、密を吸っているのに違いありません。いやはや、雀が桜花の盗蜜とは・・・・・・「せっかくきれいに咲いたばかりの花を嘴でちぎるなよ」と思うけれど、雀にとっても待ちに待った春の楽しみかもしれないしなあ。

 

 追記

  私自身も小学生の頃、盗蜜していたことを思い出しました。このブログの過去記事にも有るように、下校途中に咲いたばかりのツツジの花を千切っては元の部分を吸い、道に捨ててはまた別の花を千切って、と繰り返していたのです。小学2~3年の頃でしたか、下校仲間の数人の男の子も女の子も同じようにしていましたね。雀に厳しく、自分に甘いとは・・・・・・・ちょっと反省です。

 公園や街路の落葉樹の枝に、若葉が成長を始めています。冬の間裸だった枝が、再び緑に覆われていきます。木によって少しずつ色合いに違いはありますが、若葉の頃はどれも柔らかな緑色、黄色味を帯びた緑ですね。葉が出揃って陽射しももっと強くなると、濃い緑色になっていきます。3月の始めには蕾がびっしりだった白木蓮も、花は立派に咲き終わって、今は明るい黄緑色の若葉に覆われる状態になっています。

 落葉樹は分かり易いですが、常緑樹も若葉の時期を迎えています。「常緑」といっても同じ葉がずっとそのまま枝についているのではありません。当然のことですが。当地でやっと咲き揃ったかな、くらいの桜はまだ散り始めていませんが、近くの公園のクスノキは、古くなった葉が木の周囲にたくさん落ちています。風が吹くと老いた葉が、はらはらと舞い落ちていきます。常緑樹の葉も、きちんと代替わりしている。「葉っぱのフレディ~いのちの旅~」という絵本がありましたが、「その時」が来れば老いた葉は本当に潔く静かに散り落ちて、若葉と交代するのですね。散り落ちる時期が来ている葉に接着剤を付けて枝にくっつけたままにするような事は、やはり自然の理には適っていない、としみじみ思います。