上皇陛下がまだ皇太子でいらした頃の記者会見でしたか(今調べたらご夫妻が銀婚式を迎えられての記者会見)、「お互いに配偶者としての点数を付けると何点ですか」という問いに対して、明仁様が「努力賞を」美智子様が「感謝状を」と答えられたのでした。

 私は偶々その会見を見たのでしたが、まだ年若く経験の未熟な私にも判りました。これは事前にお二人で打ち合わせて、美智子様の考えでそう答えるように決めたのだな、と。記者会見での質問は、事前に伝えられることになっていますから。会見のその場では、美智子様は「努力賞」という言葉に意表を突かれて、というか、嬉しい驚きでハッとしたような顔をされていましたが、「いやあれは演技だよね」と当時の私は思ったのでした。

 今上陛下がまだ1歳の頃の会見で、「お子様と意思は通じますか」と尋ねられた明仁様が「通じませんね」と答えたのに対し、美智子様が「通じますね」と答えて非難されたのは有名な話です。一般人の感覚では「母親が幼児と意思疎通できるのは普通のこと」です。微笑ましく、そうですよね、で済むこと。しかし昭和30年代の皇室関係者の間では「皇太子殿下が、できない、と言っている傍から、私はできる、と発言するのは不謹慎なことだ」という感覚だったのでしょう。それやこれやで結婚後数年間に色々と非難の的にされた美智子様は、発言に慎重になり夫君と良く打ち合わせて言葉を発するようになられた、と。そういう経緯を知っていたので私は上記のような感想を持ったのです。

 宮内庁の誰でしたか、以下のような発言もあったと記憶しています。「(明仁様に)○○については如何なさいますか」とお尋ねすると「あちら(美智子)は、どう言ってるの?」と仰ることが多いので、殿下はやはり妃殿下にお気遣いされておられると拝察します、と。羹に懲りてなますを吹く、でしょうか。昭和帝が健在でおられた時分にはそれでよかったのかもしれません。しかし平成の御世になってからは弊害、と言っては言い過ぎかもしれませんが、皇室関係のことは美智子様の意向で何でも動くような状態になってしまい、一種の勘違いが生じたのではないかと私は思います。

 今上陛下の後継者について様々な意見が飛び交う昨今の状況につけ、訝しく思わざるを得ません。第3子の出生に際しての「お許しが出たので」という秋篠宮の発言の「お許し」が果たして明仁様主導のご意向だったのかしら、と。

 市の児童公園なので、無くなってはいないはずだけど50年を経てどうなっているやら。小学生の頃、「今日はタコ公園で遊ぼう」と言っていたあの公園。小学校から北に百数十メートルほど離れた場所でした。昔のように巨大な蛸を模した滑り台があるかしら、と思っていたら、ちゃんとあったのです。代替わりして、かなり小さなものになっていましたが、紛れもなく蛸の滑り台。代替わりしたそれも、20年以上は経過してるように見えました。今のメインの遊具は、近年一般的なアスレチックタイプのものでしたが、小学生が30人以上歓声を上げて遊んでいたことがとても嬉しくて。昨今の児童公園はどこもガランとしているのが普通ですが、学童保育の建物(私が子供の頃は勿論ありませんでした)が公園の隅に設置されていて、それで小学生がたくさん居たわけです。 

 訪れたのは4月8日で、桜が満開の中、ひらひら落ちる花びらの下で歓声を上げて遊ぶ子供たちを見れたことは眼福でした。子供たちが歓声を上げて遊ぶのを「うるさい、迷惑だ!」などと苦情の対象にするなんて大間違いです。私も確かに、かつてこの公園で遊んでいました。当時の滑り台は、巨大な蛸の頭(実際は頭じゃないけど)が大きな屋根付きの空洞で、子供が7~8人ほどは余裕で立って居られる広さでした。そこからあちこちの方向に、蛸の足を模した大きな滑り台や小さな滑り台、吸盤を模したイボイボが付いていて上って遊ぶようになっている足がくねくねと伸びていたのです。小学生の私たちは飽きずに走り回って遊んでいました。滑り台は大きな砂場の中に作られていて、たまに犬の糞が混ざってましたけど誰もそれほど気にしてなかったなぁ。 

 JRを使って久々に訪れた私の出身小中学校。私が通っていた頃はボロボロの古い木造校舎だった中学校は、当時とは建物も配置もすっかり変わっていましたが、小学校のほうは殆んどそのままでした。ちょうど私が通っていた間に木造から鉄筋コンクリート造に建て替わった小学校で、その後少子化が進んだ地域なので、建て替えられなかったのでしょう。耐震補強と、窓サッシの更新はされてましたが、卒業した頃と殆んど変わってない校舎に感無量でした。あの辺りで靴を脱いで校舎に入っていたな、とか、あそこの階段を4階まで給食を持って上がってたんだよな、とか。

 独裁政権を倒そうと計画を立てていたグループの中心的なメンバーが次々と逮捕されます。リーダーと目される人物に、現政権側の取り調べ官が言います。「お前の仲間たちはな、ちょっと脅したらスラスラ供述したぞ。お前の悪事はもう言い逃れできんぞ」身に覚えのない、政府転覆とは全然別の悪質な犯罪を自分が行ったと証言する内容の供述書を見せられて、そのリーダーはどう思うか。 「あいつも、そしてあいつも俺を裏切った」と思うのか。

 拷問によって得られた供述は無効、という建前があっても専制独裁体制の下では有名無実でしょう。本当によくもまあこんな酷いことができるものだ、という類を人間は古来ずっとやってきたのだし、自分にではなくても、家族、特に子供を酷い目に遭わせると脅されたら、どんな出鱈目な供述でもしてしまうだろうことは容易に想像できます。「悪政を正す、と言いながら、○○は実はこんな悪質な犯罪で私腹を肥やしていたんだぞ」と、そのリーダーに汚名を着せて抹殺するための出鱈目な供述書。

 仲間たちの名前で並べられた事実無根の内容の供述書を見せられて、「あいつは裏切ったのか・・・ おや、あいつも裏切ったのか。まあ所詮人間なんてそんなものだからな」と諦観するのか。それとも、「こんな出鱈目な供述をさせられるとは、あいつはどれほど酷いことをされたのか、どんな苦しい思いをしたのか」と案ずるのか。

 「信じる」って、後者のように思うことですね。「あいつはどんな酷いことをされても噓の供述などしない」と思う状態ではありません。「こんな噓の供述をさせられるまで、あいつは追い込まれたのか。どれほど酷いことをされたのだろう、大丈夫だろうか」と心配すること。「或る人を信じる」ってそういうことでしょう。勿論、自分が信じた相手が、実際は自ら進んで噓をついたのかもしれません。政権転覆が実現しそうにないなら現政権に媚びを売るまでのことだ、と開き直って取り調べ官に迎合したのかもしれない。その可能性が有ることは理解していつつ、信じるのです。「信じる」って元々一方的な心の働きなのです。

 

 2月も末になると、冬の6角形の星々は早々に南中しますね。街中に住んでいるので、月明かりが無い夜でも街灯やらちょっと向こうのマンションの明かりやら、深夜になっても真っ暗にはなりません。夜空を仰いでも1等星くらいしか見えないのです。(まぁ、私の視力が弱いせいでもあるのですが)子供の頃はもう少し多くの星が見れていたのになぁ。

 テレビ番組などで満天の星空が映し出されると、自分も実際にこの目で見たいと思うのですが、行動に移せない。手近なら、人工の明かりの無い郊外にまで車で走って行って夜空を仰げばいいのでしょうが、夜一人で外出するのが(真っ暗な場所に行くのが)やはり怖い。わざわざ星を見る為だけに、何も無い暗い場所に行きたいと思う家族はいないのです。

 小さくていいから屋上に出られる別荘を持てたらなぁ、と昔から思っていました。毎日の生活を過ごすには、周りに何も無い場所は不便だけど、月に何回か雲の無い夜に別荘に出掛けて、屋上に上がるのです。そうして寝椅子に転がって数時間、空を、星の動きをただ黙って見ている。それができたらなぁ、とかなり前から思っていたのです。まず無理なのですが。

 「もう、身体がついていききらん」という言葉に胸を衝かれたのです。

 宮崎県の椎葉村を特集した番組を見ていました。山奥の村の生活のあれこれが紹介される中で、良質の蜂蜜を村で一番多く出荷し続けてきた老爺が登場しました。正に老爺です。最初に画面に姿を見せた時には90歳。(私の父と同い年です)でも、しっかりした足取りでミツバチの巣箱を設置している場所まで歩いていらっしゃいました。春のいつもの頃になっても、まだミツバチたちが巣箱で活動し始めていないことに戸惑っていらしたけれど、じきに例年のようにミツバチたちが蜜を集め始めて一安心。そしてたっぷり蓄えられた蜜を収穫するのですけど、全部を取るんじゃないのです。かなりの蜂蜜が巣箱に残されていました。「全部取ったらいかんじゃろうからね」と。手袋も何もつけずに作業されておられました。毎年繰り返して数十年、お爺さんはミツバチと触れ合いながら作業を続けてこられたのですね。巣箱の傍でにっこりされているお顔の色艶が良くて、あぁ、90歳でも元気な方は本当に元気なんだよなぁ、と感心して見ていたのです。

 ところが番組の最後のほうで登場された時に、お爺さんが冒頭のように仰ったのでした。「もう蜂蜜は出さん(出荷しない)。身体がついていききらんから」と。どんなに元気でいらした方でも、やはりガクンと衰弱される時期が訪れるのですね。これは本当に人それぞれで、70代後半でそうなる人も居れば、百歳に達しても矍鑠とされている人もあり。でも遅かれ早かれ誰にでも、その命の終わりが近いことを告げる衰弱はやって来ます。それを免れる人はいない。「もう蜂蜜は出さん」と仰った時のお爺さんのお顔には、確かに衰弱が表れていました。毎日毎日顔を合わせているなら反って気付きにくいかもしれませんが、月日の流れをテレビの1時間番組の初め頃と終わり頃に圧縮して見せられると、お元気でいらした様子との明らかな違いに感じ入るものが有ります。

 父も昨年で90歳になりました。弟と同居している父に2週間に一度は会いに行きますが、やはり最近は弱っているな、と感じます。でも、ぼちぼち家庭菜園も続けていて、この冬は大根を収穫できたようです。先日父から大根を貰いました。変な形に育ったものも結構有ったようですが、私にくれた大根はスーパーに並んでてもおかしくないようなもので。しかもこの寒い時期なのに、とてもきれいに水洗いされていて葉もシャキッとしていました。(勿論父が冷たい水で丁寧に洗ったのです)「葉っぱにも栄養が有るから、食べなさいよ」と。

 「昨日まで普通に過ごしてたのに、朝、起きてこないからどうしたのかと思ったら亡くなっていて・・・」という最期を迎えられる方がいますね。父もそのように逝けたら、と不孝娘の私は願っていますが、誕生も臨終も人間の浅はかな思惑を超えたものですし。