一雨会(水石愛好会)会員であった
江戸川のSさんが「今からいい所に
連れてってやる」と言われ
軽トラでぶっ飛ばし着いた所がなんと
片山貞一さんのお宅であった。
かなりの緊張をしながら奥座敷に
通されそこで見たものはなんと
押入れにびっしりと積まれ古びた
桐箱、その中の留佩、珠佩
陶翆、一陽様々な水盤を拝見
させて頂きました。
水盤の良いものが出来れば何でも出来る
鉢を造る前に水盤を造りなさいと言われ
全てのものには真行草の位があることを
教えていただきました。
落款も同じことである。当時常滑では
卸問屋の誰かが言ったのであろう
手造りの鉢は釘彫落款でないとダメだ
と言う風潮があり先輩方の鉢は
釘彫が普通であった。
そこで私は真の位の鉢なのになぜ?
手書きでしかも行書?
なんかおかしいと思い全てを添書、隷書の
角落款に変えました。
その為か当時自分たち問屋の言うことを
聞かない常滑の異端児と嫌われていました。
私は私の考えで真意をもって責任印を押す
それが何が悪いんだ、問屋に頼らず自分で切り開くしかない
と思い、心機一転した頃を思い出しました。
一弘から壹興に変更したのもそれがきっかけです。





