正論を言いたくなるときがある。
もうやる気スイッチじゃなくて、正論スイッチ見つけたくらいに。
この間も夫との間にそう思うことがあった。
詳細は避けるけど
なに言うとんねん。何にも詳しく知らんのに雰囲気でしゃべったらアカンで。そりゃ色々あるけど、大きく見ればみんな、地球という船に乗った仲間やん。
みたいなこと思った。(ホンマはもっと汚い
で言葉が喉まで出かかったけど、口から出すのをやめた。
言葉が頭に浮かんだ瞬間、
自分のムカムカっとした気持ちに気がついて
スイッチ入ったんもわかって
なんで私、ムカついてるん?
と考え始めたから。
そうしたら
私の考え方に相手を従わせたいだけだなぁと
私も相手のことを決めつけているなぁと気づいた。
そして、ここが大事なのだが
よくよく考えてみると、
相手の意見で私に何か問題が起きたわけではない。
そう、気分が悪くはなったが
私は何も困ってない。
のに
決めつけないでよ。あなたは間違っているわ。あなたが問題なのよ。そう私の方が正しいのよ。認めなさい。
と、相手をこてんぱんに負かしてやりたくなっている。
いやいや相手は私を責めてはいない。
ただ自分の意見を話しただけ。
ふ~もう少しで無意味な戦いをはじめるところだった。。。( ̄ー ̄)
私が何をどう考えても自由なように
相手が何をどう考えるのかも自由なのにね。
ただ相手に言ったことに同意はできなかったから
「へーそうなんだ。私はそうは思わないけどね。」
とだけ言って、その話を終わらせた。
◇◇◇◇◇
決めつけられたと感じるときは
私がいつも決めつけていて
負かしてやると思うときは
私がいつも我慢している人だと思っていて
私が正しいと思うときは
私がいつも尊重されてないと、自分のことを思っている
ということなのかもしれない。
これは
決めつけられる=私の言うことは聞いてもらえない
だから
私の言うことは聞く価値があると思ってもらわなきゃいけない。
私の言うことは合っていて、あなたが違うと決めつけなきゃいけない。
我慢する・尊重されない
だから
我慢せずに尊重されるようにされなきゃいけない。
私が正しいと相手を負かさなきゃいけない。
という思考回路が、小さい頃からのクセで無意識にはたらいているということなのだろう。自分でもイヤになる
でももうそれは昔のこと。
今の私には必要のないし、私はそんな人ではない。
地球号には色んな人が乗っていると思うなら
その縮図である私の回りにも色んな考えの人がいていい。
で、実践として相手の意見を認めるって
「あなたの言う通りです」じゃなくて
「あなたが正しい」じゃなくていい。
「へーそうなんだ」でいいのよね。
正誤を決めなくても、勝ち負けをつけなくても。
そして自分の意見も言っていい。
注:ただ私は長く喋ると必ず相手を負かそうとしてしまうので、なるべく短くしております(^_^;)
で、それを言ったら終わる。
相手がまだ何か言ってても
私の中で終わったので、もう真剣に聞かなくてもいいかなーと思ってる。(なんとなくは聞いている
もし戦いはじめちゃっても、あんまり自分を責めないでおこう。
長い間のクセだから、毎回気づくのは奇跡だし。
でも終わってからでも、途中でも
もし無用の戦いをしていると思ったら
その時は気まずそうに
私から終わればいい。
でもこれはけっこう恥ずかしい場合があるので
できれば武器を振り上げる前に気づくのがいいかもしれない。
「へーそんなんだ。」で済むから。
「あーそうだった、そうだった。この小さい船にも色んな人が乗ってるんだった。」と思い出せれば、けっこうすぐに終わるかもね。
職場の上司や知り合いより、近い友達。
それよりも家族の方が「私のことわーかーれー」ってなるので
スイッチ入りやすいです注意。
それだけ大切にしたい関係ということだね。
おわり