初めてのお仕事がありまして
集中してやっていました。
家族や先輩方のサポートのサポートで
終わることができました。
それで自分に休憩をあげまして(とりあえず3日
お久しぶりのブログです。
勝ち負けをすてて心をひらく
心理カウンセラーで看護師の
あきねぇこと池田あきです。
今日の休憩は撮りためたドラマを見よう!
ということで
漬け物とカレーを作りながら(またカレー
吉高由里子主演の「知らなくていいコト」を見始めました。
公式ホームページより
注:この先ドラマのネタバレが一部あります。
ドラマを見始めたら
仕事中に母親の急病の知らせを受けた主人公が、病院に向かって
ICUへの搬送途中の母親に対して、気丈に話しかけている途中で
母親が息を引き取ってしまうシーンがありました。
その後の葬儀では
頭を下げるものの、
呆然とした、実在感のないような
言い換えれば、ある種の「他人事感」のような表情で
列席者に挨拶する主人公吉高由里子がいて
不意に涙がこぼれました。
9年ほど前に急死した
私の父親の葬儀での私みたいだなーと思って。
父の死を知らせを受けてかけつけてから、葬儀のあいだ私は
父が亡くなる少し前に
病室での様子に少し異変を感じながらも、何もせずに遠出した看護師の自分を
ひどく責めて、でもそれを誰にも言えなくて
そして大好きな父がいなくなってしまって
どうしようもなく泣いていました。
その何年か前に母が亡くなったときは
ざっくり言うと「私看護師やし。先生から余命は聞いてたし。覚悟してたからそんなにショックじゃないで(^-^)」
という私を装って、悲しみに崩れないようにしていたから、自分をコントロール出来ていたのに
父の時は本当に、どうしようもなかった。
でね、その
「父が亡くなったのは私のせい」が
9年間足かせになっていたんです。
マスターコース(心屋塾のカウンセリングスクール)へ行っても、そこは話せなかった。
でもさっき、そのドラマのシーンを見たとき
「あーきっと、あの日の自分を思い出して悲しかったんだなー」って思いました。
自分を責めるでもなく、後悔で苦しくでもなく。
そして
「私、お父さんのことが大好きだなー」ってじんわり暖かくなりました。
昨年、心屋認定講師のはしのん(はしぐちのりこ)さんの12月対面オープンカウンセリングを申し込む時に(2020年2月現在は一旦お休みされています。)
ちょうど父の命日だと気づいて
『この人になら、話してみてもいいんじゃないか。話を聞いてほしい。』と思えて、運良く当日お話しをさせていただきました。
はいのんさんが、そのオープンカウンセリング当日のことをブログにされています。
そこでもらった言葉を言ってみて
自分なりに気づいたことの中に
父の死を足かせにしていた時は
父のことを「私を苦しめる存在」にしていたのかもしれない。
というのがあります。
私が勝手に思い込んでるという感じです(^_^;)
今振り返ってみれば
「大好き」の感情はあっても
私が父を死なせたのかもしれないのに
そんなこと思っちゃいけないというような
そんな歯切れの悪い、申し訳なさがくっついた感じだったように思います。
でも、はしのんとのカウンセリングで
私が父の死という出来事を
変に自分のものにするのではなく
「この出来事は父のもの」だと
「自分は抗うことが出来ない傍観者」だったんだと
そしてそれを私はずっと認めたかったんだと気づかせてもらえました。
だから
「悲しいかったよ」って
「さみしかったよ」ってただ思うだけでいいと
私が自然に受け止められたから
もう父は「私を苦しめる」という役目をしなくて済むようになりました。
もちろん父がいないことは寂しいけれど
ただ「今でも大好きよ。ありがとう。」って思わせてくれる
生きていた頃の父に戻ったような気がします。
ただあなたのことが愛おしく大好きだったという記憶とでも言うのかなー
しこりが少しずつ小さくなってきた。
そう実感できています。
今日はそんな感じです。
◇◇◇◇◇
休憩中の節分
◇◇◇◇◇
お腹がすいたから
カレーを作りながら続きを見ます(笑)
おわり