3と8分の3に分節する方法を模索するメモ。 -6ページ目

それにしても今年は何も観てないなぁ

マイメロは別だけどさて。

昨日の話は、「雲の向こう、ナントカのナントカ(爆)」がテレビでやるらしいということで思いついたのでした。

それで今日やってたので観たのだが5分でギブ。前に一回観たでいいかあと。

感想:キラキラしてた。


昨日の露光の枠、ちょっとウザイと1日で反省できたのでしたよおほっほ。


んで商業アニメーションの絵について考えてみる。

時代時代の絵柄って鮮度があって古臭くなると相手にされなくなるわけなのだけど、

求められ方というか消費側の都合で時代の絵が決まっているというわけ、では決してない。

描く人が描こうと思って描かれた、という要素のが大きい、と思います。


絵柄というのはひとりで切り開くことがほぼないからなのだけど、。

すごく個性的な絵描きさんが人気な場合が多い、と思われてるけど実際は違う。

細かい処理で見れば描き手の「これいいね」が沢山内包されていて、その「これいいね」は誰かの「いいもの」なわけ。

でもパイオニアはいるわけだけど、それに続いてくれる似た絵描きさんがいなければ人気者にはなりにくい。

この話くどい…。


なにを思ったかっちゅーと将来使えそうなシュホー、

ハイライトの使い方で変わっていくかなー、と。

ハイライトって完全記号で、質感とか状態を表すために使われるけど、

そういうクセを全部一旦やめて、完全に現実感のために使っていくといいのかな。

絵にしてみないと説明できないなあ…うーむぅ。CG描き屋さんで珠にそういう質感を使っている人を見かけるのだがさて。

描く人がそういう手法を確立してしまえば、あにめで使えると思います。手間は結局一緒だから。


それでここの説明は難しいのでまだまだこれから考えるとして、

そういう風潮がもし来たとして、その時に「古き良き絵のベタ臭さ」を求める声も充分あると思うので、そちらの路線の変化について、もまた考えよう。

眠いので明日だ明日…。

切り取りカタ。

人の視点、カメラワークがFIXする場合に(カメラワークがFIXとはこれいかに)、

光源と露出に気を配ってレイアウトする。


たとえばほの暗い部屋の中から窓の外を向いているのだったら、

窓の枠が露光の境界なのでそれを基準にレイアウトする。

外の世界を表現したければ枠をそのままフレームの枠に(多少の広狭あり)、

外の光を引け合いにして中を表現したければ、窓枠の内側の面積がそれ以外の面積の半分以下になるようにする。


この例えのようなシチュエーションではわかりやすいが、それ以外の雑多な状況でも基本的には同じ事。

0からセットを思い浮かべてカットとかを作るのは大変なので、このような想定を基に組み立てていくプロセスはありかと。

特に何も無い海の中、だったり空の上、という場合はかなり頼れるのではないか。基本は大事ですよね。

失敗を失敗と見極められるとイイコト

失敗をちゃんと見極められたら、

とりあえず失敗した分だけ習得できる技術というのが確実にあるわけだから、

失敗を重ねまくるのは、

絵がうまくなりたい時にもっとも堅実な方法なのかもしれませぬ。


とか思うのだが、実際ひとりで気付くのってムズイのねん。

キャラクター。

物語の中で動かせるために作られたキャラクターと

売るために作られたキャラクター。


それは人間の子と家畜ほどの違いがあって、

消費という美食追求にはやはり、家畜が売って付けなのだなぁとか思う。

一話みたときの密度

今週の江宇レ科が見せたい内容はともかく、見せ方が大変良かったので考えてみる。

演出はゴールデン子伸吾さんだったさすが。

見せたい内容はコンテをきられたのが監督だったのでナルホド。カップルーな内容。ラゼポンから相変わらず。

脚本はだいぶ良い感じ。設定とかうまくイベントと織り交ぜてあって、素材としての脚本は大変良かったとおもわれる。


それで見せ方、これは演・コ分かれた時にどれだけの話し合いやら指示をされたかでだいぶ変わってくるけど、

見せたい部分は置いといて、見せ方に惹かれたので伸吾さんの凄さって事にしておこう。


具体的に気付いた点は、シーンの作り方。

細かい演技もしっかり描かれたのは、サッカンさん(ハガレンチーム)はじめ原画さんによるところも大きいだろうけど。


普通、Aという場所で話が展開した後にBという所へカメラが移るとシーンが変わるわけだけど、

シーン展開は時間にそれほど依存しないために、その事への工夫をどれだけ丁寧に行うか、で効果が違ってくる。

つまり、時間かけて意味のないシーンを並べても意味のない話を作るだけで見せ方としては最悪。

そういうシーンシーンでの積み重ねが一話通して観た時の大きな印象になる。


この回では、ひとシーンごとでの描写のクローズアップ(※フレームでなく注目点という意味)が、

だいたいひとりの人物のわかりやすいひとつの仕草に徹していたのが良かった。

サッカンさんもさすがそのカットはどれもきっちり修正を入れていたと思われる。

無駄もなくかといって印象も残しつつ、ラストへの伏線も綺麗にスッと消化できる。


Aを2分見せてBを2分見せてまたA’を2分見せる。

この3つのシーン6分を観ると、頭の中の印象としては、A~A’という一連のシーンを見た事になってしまう。

それは避けるべきで、特にこっち系の設定ネタ満載のお話だと、お話に入っていけなくなるから注意だ。


いわゆる情報のコントロールですけど。



なんかほんとまとまってないぞ。。。

いつかちゃんとまとめよう。



悩んだり座ったり寝てたり、そういう静のカット(※生き線・死に線のように「死にカット」)を長めにうまく引っ張って、

活発なカット(生きカット)を短くする方法はテレビ作品には必要不可欠ですね。作画コスト対効果だいじ。


あとこの話で、シーン頭の入り方がつくづく上品で、邪推なく先読みをさせてくれる、そういうお膳立ても巧みでした。

シリーズの中でも、一話の中でも、1シーンの中でも、それこそ1カットの中でも組み立てというのがあって、

ABCときたらA'B'C'、のようにリズムを作る。不協和音をわざと使う時は「不協和音ゾーン」の標識を立てる。


上品なシーン頭というのは、具体的に言うと、シーンで一番核となるロジック(会話や状況)の導入となる描写を入れるという事で、

いわゆる「BGおんりーの説明カット」の場合でも、「その場所に行きました」の「場所」が導入に必要ならば上品という事になると思う。

例えば「ファミレスで会話をする」シーンの頭で、「ファミレス外観BGオンリー」は×。その場合は「会話」から導入するべき。

「図書館に調べものに行ったらお友達に会った」シーンの頭なら、「図書館の入り口のカット」は○。

どりょくとは

女子プロゴルファーのドンストップ裕理さんは毎日千本打ってるそうな。

どりょくとはさいのうとはじつりょくとは?


不動心で突き進んだ者がチャンプ。

自然現象の抽出。

水は青じゃない。

青じゃないー。


色は反射する波長の光でそう見えるわけですよね。

だったら嫌いな波長が見えるわけだ。

これが嫌いです、っていうのは特徴なワケです意味不明。

だんごーってなんだろう。

結納って賄賂じゃないの?

いい事だからそういうのはいいの?

あれに対して現代の感覚でもって「ちょっと…物とか納めるのって露骨じゃない?」と。

ならんわなぁ、儀式だもの。


そんなんはどうでもいい。だんごう。

えー問題なのはなんでそれを悪いって事に、憲法だか法律だか献立だかでそう決めているのか。


自由競争が行われなくなるから、でしょう。


ほんじゃあそもそも自由競争なんて行われていたのかって話。

完全な自由じゃなければ自由じゃないわな。

「ほぼ100%」みたいなねー。


「いちご」が100%ってそれ、単なる苺ちゃうん?

それはさておき、行われる事はないわけでしょ、自由競争。


ある程度、どこでも話なんてついてるんとちゃいますかーと。

それはそれでええねん。


この国はそんなんでやっていくもんやねん。

でも逸脱するアホウがおんねんな。

5年連続で業績伸び率だか新規着工数だか1位て、んな…。


それにしてもやな、なんであんな珍ッしい苗字しとって建築家なんやろね。

歯科医なればよかったんや。そしたら抜いても怒られないやん。


歯抜かんと鉄筋抜いたらあかんやろー、やろー、や…。オアトガヨロシイヨウデ…

お国の食卓事情

おかずを一品減らす時のあれやこれや。

承認のとき

人類の国家というのは、

その折々で支配するタイプちゅうのがあるのですな。


腕力の強いヤツ、仕切るのがうまいヤツ、土地を沢山持ってるヤツなど。

現在の日本国は、一番偉いヤツが金貸しなんだが、代々そんな感じのタイプがやっておる。

下級武士あがりの華族がやっていたのは遥か昔。戦後代々工務店の親玉。

工務店、金貸し…ゼネコン、銀行…国土交通省、金融庁…

そういう人らをまとめて商人と言いまして、

いつの頃からか人間の国家は商人が操るようになっておるのです。


そういう国家を近代国家といいまして、一般的に経済発展を遂げているのであります。

そこで士農工商。

なぜこの順番に、名目だけだが、配置したのか、

それを考えるとなんだかトクガワケイキに笑われそうであります。


JT、NTT、JR、郵政公社ほかにもいくらだってある、

これらの組織そのものが国権なんだって事なんだよ多分。

これは違うかあ。