3と8分の3に分節する方法を模索するメモ。 -3ページ目

ニッポンではバスのシートをドウヤッテとりあうのでショウカ?

ソレハ、スモウでキメルそうデス。

日本には相撲で決める文化があるのデス。


関取だけにな!

あああ。

心を宿す臓器(※前回の日記的に)の憂鬱

日が空くともう全然前続きで書こうと思ってた事が思い出せなくて群青…。

そんなGWですが、さて青の世界のみなさまはいかがお過ごしゅう。ってデムパぽいねー。


それもこれもハルヒですね。

でもアレにマジハマリしているような10代の人とか居るんだったら、

そんなに深く考えない方がよいぞよ、と言ってあげたいそんな私はエヴァ世代イエイ。


絵の世界の二元論は、

二次元嗅覚の乏しいワシからすると「良いもの」と「悪いもの」という二元説以外に気が付かないのですが何か他にあるでしょうか。

それでもワシなりに「絵の良いもの悪いもの」で話を進めて行くと、

この処理は可愛くて良い感じ、人間のこの辺のラインはちょっとグロイから絵では省略、といった事なんですが、

当然それ以外の要素も紛れ込んでしまうのが人の業なわけです。

(その要素は大概にして無分別なので、何だかわからないがコイツは下手だ上手だとなる)

しかし実はそこの部分にこそ「鑑賞した(干渉した)ヒトの脳内で解凍された時に特別な鮮度をもって再現されるもの」があるのだと思います。

「ショセンハ記号ダ…」「し、しかしっ森やすじの描線は!!」、なのです。


そんな人に私はなれない、ので「いいなぁ~」と言葉にならない「いい」を無為に口走るのです。

それを線だけでなく、空間に落としこめるレイアウターの出現を切に願いますね。サトジュンかなぁやっぱ。

空間じゃなくて時間に落としこんでいる気もするが…。

(余談。サトジュン監督とイクニ監督の違いって、ことこの「空間か時間か」の違いが大きいと思うんですよねぇ。セーラー服の時代を描くのと、セーラー服の少女がいる空間を描くのと…)



ここ数年考える事がだいたいのオチに行ってしまいがちで楽しくないですが、それはそれでマトメやすくもあるのでどうだろう。メモのように日記を書くのもいいかなぁと。

今日の「圧縮・解凍」というのは実に日本的なのかと思ってたら、どうやらそうらしい(爆)…と雑誌に書いてあった。

いはゆる日本的「お察し」とはちょっと違うんだがなぁ。鮮度は大事にゃる。

身内は過大評価をするというが本当だな

トミノ節。

このセリフは3段論法の帰納的決めセリフ。

「AときてC、BときてC。なるほどAはBというが本当だな」と主観と客観のラインで遊ぶ。

大前提を後から引き出す感じがまた実にニクイ。

二元論・二元説の応用(演繹)で3段論法なるものがあるが、

これは視覚的な知覚が3次元でなされる(現される)事と同じであるように思う。

二元説はおなじみY/Nの世界、そこに無分別直接知(「3.どちらでもない」の選択肢)をして3択となるように、

「縦」の垂直に「横」の座標、そしてその面と垂直となるような座標として「奥行」、これで3次元。

このXYZの3軸に垂直となる座標としてのa軸…は知覚出来ない。

この話は昔からよく考えるので話がまとまらないが、少し脱線して、

4軸目が時間だという話を聞いた事があるのだけれど、それは少し違っていると思っています。

時間の経過はエネルギーの運動によってしか知覚できないので(太陽と月と地球があるから時間を考える事ができるので)、

XYZ軸の世界を座標の移動によって均等に分割した概念を時間と置き換えていると。

「0.0.0→静止→静止→0.1.0→静止→静止→0.2.0→静止→1.2.0→…」

早い話が正確な時間経過はひとっつも証明できないわけで(円周率を表せないのと同じ)、多分時間軸というのは、

XとYのみの演繹で導かれるTという事でいいんじゃないか(奥行を入れると不必要になる)…とこの辺はサッパリわからん。

アニメーションは静止画の連続したものが時間経過を感じさせる事と、

線と影とのコントラストを利用して立体感を感じさせる事を利用して…というのは置いといて。

前々から持論なのですが、ヒトは各器官が一対で成り立っているので、

1:1つまり2、1:1をふたつ用意して3つ目の「3.どちらでもない」の選択肢を引き出す、

それが限界なのでわないかと思うのです。

脳も一対。

同時に3つまでの事しか比べられない。

見るものも聞こえるものも考える事もその2つ+それ以外の最小ビットの組み合わせで行っていると。

度々視覚世界の話をクロスさせますが、一方からの顔に片目だけを描いて、それが一つ目でなく、3つ目でもない、

人の顔と認識する機能と一対の目以外に発想を持てない限界。


ややこしくなってきたので、今度絵に限定して「一対」と「二元論」を考えてみよう…。

これ何ですか→てんむすだお

窮々としております。なんでこんな事になったのか謎。

謎とか無思考に陥った時点でDループ。


それはさておき、書いておかないと忘れる事などをば。


桜はほぼ散ってしまいましたが、桜の美。さくらび勝つし。

虫の湧く木を一年のわずか数日のためにとって置く日本人の、

それこそ字面通りに美徳があるかはおいといて、


将来偉い人になるアメリカの少年がこの木を伐ったのもうなずける程、

よくみればこの木はグロイ。


子供の頃にはこの花の美しさは中々理解できない。

それは記憶と慣れによって、美しいもの、楽しいもの、と捉え方が変化するからだと思う。


桜は慣れてからが美しい。

この木と共にある記憶はやがて、歳を経れば経るほど美しく変貌し、

この花への親しみは、酒がわかれば尚増すのである。


そして、桜は、春に、美しい花とのコントラスで強調される、

醜くも力強い幹と枝の、墨のような黒が絶品だと、

どこかの詩人が歌っていそうな感じがしました。


春のかおりを桜に見ながら、この時期のヒット曲に香ばしさ覚える、

この国の幹の黒きに、モニタの花弁も1Kで散る事よ。 詠み人切腹。

望月もかけるよ

本当に素晴らしいものは、時代が変わってもその価値は変わらない。

そないな事ありえへんやろ。

見かけは繰り返すからまた望月になるかも知れないが、それは一ヵ月後の見かけ月。

ひと月先の望月の価値を誰がわかろうものか。


高校時代の最初の倫理の授業、そのはじめに質問・解答用紙が配られて、

中に「永遠」とは何か、という設問があって、

「その字が示すように『永く(ながく)遠い』人知を超えた範囲のこと、または思い込み」と書いて提出したら、

F島先生という方に「なんだこりゃ」と言われた。

今思えば「>F島 ちょwwなんだこりゃてwww」と言わざるおえないコメントだが、

無記名での答案だったのでひっそりと高校の授業に落胆してみたのでした。


「無時間的に続いていく普遍のこと」と書けば良かったのだろうかね。

単なる概念なら機械で辞書を引けばわかります。


つまり、人に「永遠は何か」と問うた時点で、概念を答える意味が消えるんですよ。

何かこの時点で受験とか終わってる気がするが。


でも「辞書で永遠を調べた」なんてちょっとロマティックですな。

今日はちと酔いどれにも程があるが、何を言いたいかというとですな、


此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたる事もなしと思えば。と言うヤツぁ全く凄い自信だねぇと、そうゆう事か?

新聞の束を運ぶ

古紙回収で新聞の束を運んだりするじゃあないですか

あれを運ぶ時にいつも思うんですよね


重いでしょあれ。凄く重い


で、目が覚めたら朝刊読んだりするわけですよ

考えた事ないでしょ、朝刊の重さなんて

さっと取って、ぱっと広げて、読んで終わりですよ


ところでジャーナリスト宣言だっけ?あれなんなんですかねぇ

アサヒはビールってちがうちがう

あれなんだっけ、ああそれで新聞の重さですよ


普段読む新聞は日常の中の軽いものの代名詞みたいな、そんなですよね

でも古紙回収で運ぶ束は重いのなんの


つまりね、一日一日の積み重ねって重いんだなあとか思ったわけなんです。


---そんな報告。

「せっかく入ってきても、早く辞めちゃう人は…」

3月いっぱい腰が溶ける程度の頑張りをやってみた。

そのせいか右手の甲と腱が痛むので、これは人生で初めての腱鞘炎?と少しトキメク。


経験から言うと、そこまでのハードワークじゃなくない?ああこれは歳か!とか思っていたら、

先日の3月唯一のお出かけでオスロへ行ったのでした。

スロじゃないですよ?オスロ。バッティングセンターです。

そして付き合いとはいえガチで50球打ち返す。100キロですがね…。

(ところであの球投げる機械はバッティングマシン?ピッチングマシン?)


そんなわけで手持ちぶたさになれば、手などをさすっております。

手持ちぶたさではないんですけどに…。最近定規とちょっと仲良くなりました。


それにしてもなんだ、WBCの経済効果に加担したよ。

春だねぇ。


「せっかく入ってきても、早く辞めちゃう人は…北の工作員か、最近の若者だね☆」

メモっとこうと思う事が弾ってきた。

カクテキ(大根キムチ)がうますぎる。

案外と簡単に作れます。こんなうまいもんを幼少から食していれば、接戦に強いのも納得じゃわ(嘘)。


さて土壌の話、日本人の思考進路の話、必要創話の話。

綴っとかないと忘れそうなのでポチポチ書いていこと。


最近は、

WBC準決絶望になって、個人的にちょっと嬉しかったり。

勿論残念ではあるけど、この機会が良い負荷となって思考が進む事を願っていたのです。

プレー自体の内容がよく、且つ目立つ敗北をしたのは良かった。

それは次はどうしなくては、とかそういう事ではなく、自分の血の問題。


去年から自分の回りの人には、冬季五輪、WBC、サッカーW杯と2006年の国際スポーツイベントと、

それを利用した国内の金儲けの諸々は大敗を沢山経験したらいいな、と言ってきたのですが、

そうなっているのでむしろメディアから目が離せない。


挫折を考える良いキッカケの年となりますように。


それでも私の日本人の血は、それを霧へ隠そうと蓋をしたがるのを、

空手チョップで割る作法、万歳。

やはりキムチはコメのオカズに合うね、とそゆことか。

レイムダッグぐゎぐゎ

つ、疲れた…。

メモ。シルエットで捉え立体的に線を選ぶ。


AIC回。やはり良い出来。


そういえば。悩んだら黙って手動かす。基本。


人生の規範

あらかじめ反射のような判断の基準は決めておく。

そして判断の精度を磨く。


大目標は決して外さず忘れない。

目先の利に惑わされない。


一番大切な事は何を糧にして生きるかという事。