第2回 京都マラソン | 憧れの『称号』を掴む時・・・/2:59

憧れの『称号』を掴む時・・・/2:59

走るオヤジ!
苦節2年、故障を克服し「第1回大阪マラソン」で完全復活!
次なる野望 ・・・ その称号を手にするまでの記録を綴る。

今日は、地元京都で「第2回 京都マラソン」が開催されました。

昨年の第1回大会は選手としてエントリーし、クラブメンバーの伴走という形ではしりましたが、今年は大阪マラソン同様、某TV局依頼の伴走ランナーとして参加しました。

しかし ・・・・


今回は事前打ち合わせや、担当ランナーさんの情報が全くゼロ (汗)

当日朝に会場でお会いしてそのままスタートという、強行スケジュールでした。
もちろん、ペース配分なんかもその場次第ということで...

今回担当する方は、松竹芸能の芸人さん4名と昨年も走られた一般最高齢ランナーさんです。
なんと88歳!
昨年もうちのコーチが伴走したのですが、関門に引っかからずにゴールされたものの、タイムは6時間30秒(制限6時間)で惜しくも完走ならず。
今年リベンジだそうです。


で、私の担当がその河内さんでした。
芸人ランナーさん達とは違い、スタートも一般ランナー同様。
しかもサブトラの後方から。
スタートロスは10分もかかる ・・・


去年もそのロスなければ無事完走だったでしょうって感じですが。

私の他に、カメラを片手に河内さんを取材するTVスタッフと3人で走ります。

一応、予定では8分/kmで走りたいということで、ある程度私がペースを調整して進みます。

10kmぐらいまではいいペースで走れたのですが、少し左臀部をたたく仕草が・・・
その後、仁和寺手前の上り坂でかなりペースも落ちる。


仁和寺前で阿藤海さんの激励をうけ、TVスタッフはそこで一旦離脱。
その後は二人きりとなりました。

すると、それまで曇り空で絶好のマラソン日和だったにもかかわらず、龍安寺あたりから天気が急変。
突風と冷たい雨(雹?)に苦しめられます。
河内さんもかなり苦しそうでしたが、まだギリギリペースは維持できています。

少しペースが戻ったと思うと、また西大路からの上り。
息遣いも段々荒くなってきます。

それまでは並走していたのですが、私が同じペースで走っていても少しづつ遅れがちに。
船岡東通りから御園橋通りに入る頃にはかなり臀部が痛む様子。
完走はさせてあげたいけど、かなり難しい状況となってきました。
河内さんも、足をとめストレッチを挟む回数が増えてきました。

それまで、頑張って走っておられましたが、西加茂橋を折り返す頃には自ら
「国際会館の関門通過は難しそうだ・・・」と

もう、そこからは痛みと共に、走っては歩き、ストレッチして ・・・

と少しずつ進みます。


そんな状態での狐坂。
この当たりで河内さんの知り合いが沢山応援にこられていて、その方たちに申し訳ないと何度も仰ってました。
なんとか狐坂を登りきりはしたのですが、関門に2分間に合わず。
そこで棄権となりました。

今回、リタイヤとなった事は非常に残念ですが、88歳の高齢にして

「また一から出直して、来年頑張ります。」 と。

俺が88歳の時に、そんな言葉を発せられるのだろうか?
河内さんからすれば、私なんかまだ河内さんの人生も半分も生きてない。
すばらしい方ですね。

収容バスで都メッセまで一緒に戻ってきたのですが、河内さんは一般ランナーの控え室へ。
私はスタッフルームにそのまま帰ったので、お礼も言えずに分かれてしまいました。
またひとつ、マラソンの素晴らしさを人生の先輩に教えてもらいました。


ちなみに、今回の内容は20日に放送されるようです。

○MBS毎日放送 (京都府、大阪府、兵庫県、滋賀県、奈良県、和歌山県などで放送)
3月20日(水・祝) 13:55~14:50 大会を振り返るダイジェスト



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