アメブロ、Twittar、FBとの掛け持ちでこまめに全部は更新できませんね。
なにせ、スマホならFBの更新が簡単なのでどうしてもそちらになりますね。
1ヶ月前の更新が丹波ロードの記事でした。
あれから1ヶ月 ・・・
ようやく、大阪マラソンも終わりましたね。
今年は事務局のチョンボで11月開催。
ランナーにとってはもっとも走りやすい時期(実際は結構暑かったですが・・)、自己ベストを更新された方も多かったんではないでしょうか?
おまけに神戸マラソンも同日開催。
阪神間で約5万人もフルマラソン走ってた訳ですから、凄いですね。
昨年は運良く当選し、選手として走り自己ベストを出した大阪マラソン
今回は、落選したこともありますがサポートランナーとして走らせていただきました。
伴走としての経験は、今年の京都マラソンでブル仲間のおっちと走った以来の2回目。
しかし、前回は顔見知りで一緒に練習していることもあり、ある程度の走力も把握していた。
今回は全くの初対面の芸人さん。
しかも、当日の朝に顔合わせで初めてお会いし、その1時間後には一緒にスタートするというわけで ・・・
おまけに、開催1週間前に急遽担当ランナーさんの組み換えがあったり、目標タイムの短縮があったりと難しい状況でした。
私が担当させていただいたのはNさん。
目標タイムは4時間の想定。
これがまた ・・・ 当初5時間予定だったのが1週間前に4時間に短縮されたことで問題発生。
パートナーとして一緒に走ることになっているシゲのベストタイムが3時間50分台
つまり、Nさんが想定通りはしれば、伴走という立場でシゲが自己ベストを更新できるというおいしい状況!
と、言うわけにはいかず当然不安いっぱいのシゲから事前に泣きのメールが ・・・
「まぁ、なるようにしかならないよ」
と返信して、当日の朝。
10分程度のブリーフィングで、Nさんのこれまでの練習状況や今日の目標を改めて確認。
そこから判断し、とりあえず20kmまでは押さえて、押さえて、 余裕があればハーフ過ぎからペースアップを。 目標を4時間40~50分程度をアドバイス。
その案で納得いただき、シゲも一安心でした。
スタート位置に立つと、去年の復帰戦とは違い全く緊張感はない。
今日は楽しく走れそうだ。
いよいよスタートの号砲が(実際には聞えなかったが ・・・)
ボチボチゆっくりと動き出す。
押さえ気味のペースで走り出すと、当然どんどん後ろから抜かれていく。
多少不安げなNさんに、
「大丈夫、これでいいですよ。 今抜いていった人たちを30kmからどんどん気持ちよく抜いていけますから。」
と声をかけて走り続けます。
Nさんはこまめにペースを確認し
「速いですか? 大丈夫ですか?」
と何度も聞かれてました。
Nさんでなくても、大体5kmぐらいから身体が温まり自然とペースが上がってくる。
少しづつ、Nさんに声をかけ速くなりがちなペースを修正する。
特に、10km地点あたりで6分/kmあたりまであがり、さすがに大きくペースダウンさせました。
やはり、応援も受けて気分が乗ってくるとペースも上がりますよね。
15kmぐらいまでくると、Nさんの走力もだいたい把握できてくる。
足取りをみていると、よほど無理してペースアップしなければ4時間40分程度では完走できそうだ。
Nさんは5km単位で、このペースで行くとどの程度でゴールできるかを聞いてきた。
17km当たりで京セラドーム前を先に折り返してきたK村さんとすれ違ったときに始めて
「K村君には追いつきたいですね。 できたら4時間半は切りたい」
と目標を明らかにされました。
私たちは、ペースランナーではないので、Nさん自身のペースに任せるだけ。
自分のペースで走ってくださいと促します。
ハーフの通過時間が2時間20分ジャスト。
残りのハーフを2時間10分(6分10秒/kmペース)
行けないタイムでは決してない。
1km単位で見ると上がったり、下がったり(時折5分40秒~50秒/km程度まで上がる)するが
トータルでみるといいペースである。
「いいですよ。35kmあたりでK村さんに追いつけますよ。」
といっていた矢先、32kmの給食ゾーンを抜けるとすぐに、K村さんに追いついた。
K村さんのサポートにはおっちとN田さんがついていたのですが、ちょっと厳しそうな感じ。
K村さんを抜いて、Nさんが先行していきます。
K村さんは脚を痛めてたみたいで、結構辛そうでした。
しばらくそのまま走っていくと、左斜め後ろの視界にショッキングピンクのウェアがちらちらと入る。
ふと後ろを見やるとK村さんがそこに。
一度追い抜いたのですが、再び追いついてこられたようですね。
しかし ・・・・・
K村さんの横にいるはずのおっちとN田さんの姿が ... ない ( ̄□ ̄;)
何度か後方を振り返り、二人を探すと約15mほどはなされた後方に
どうやらK村さんはついてこれない二人を振り切り、私たちをペースメーカーにしてついてきたみたいだ。
この状況では二人は上がってこれなさそうだ。
残り7km。 ここからNさんとK村さんの二人の間を行ったり来たりしながらサポートして走ります。
36km当たり。 どうしても尿意が我慢できず一旦シゲに預けて離脱。
幸いにも並ばずに行けたので、急いで前を追います。
この間、4分半切るまで一気にペースアップ。
すぐに、おっちを発見。 そのすぐ前にN田さんが。
と、なるともうすぐ追いつくか。 と、思いきやなかなか追いつかない。
「も、もしや追い抜いたか???」
いや、そんなはずはない。 更にペースをあげて追い上げる。
37km地点。 南港大橋に差し掛かる当たりで前方にシゲのビブス発見。
そして、その後ろ15m程送れてK村さんを発見。
もうすでに、おっちとN田さんは1km弱も離されている。
一旦K村さんに着きしばらく並走。
K村さんも遅れだしているので、NさんをフォローしながらK村さんに着くのは難しそうだ。
とりあえず、シゲに近づき、声をかける。
K村さんには俺が着くので、シゲがNさんをフォローするように。
脚の痛みをこらえながら、それでもK村さんは南港大橋を歩かず上りきる。
しかも、沿道からの応援に手をあげて答える。
芸人魂とでも言うのでしょか。 とてもすばらしいと感じました。
南港大橋を制覇し、残り4km。
実は、大阪マラソンの最大の難関は「南港大橋」ではなく、南港大橋をクリアしてホッとしてからのラスト4kmだと私は思っています。
実際、ここからは沿道の応援もしばらくは少なくなり単調のコースを淡々と走る。
結構キツイです。
前方を走るNさんのペースが落ちたのか、私が並走するK村さんがペースが上がったのか。
再びNさん、シゲに追いつく。
残り3km、ここからは4人でゴールを目指します。
もう、NさんもK村さんもお互いに声を掛け合う気力もなさそう。
無言で一歩一歩ゴールに向かいます。
それでもK村さんは沿道の応援には手を振って答えます。
そして、ようやく目の前に最後の標識。 42km地点の看板が。
手元の時計で、4時間28分。
あのコーナーを曲がればラスト195m
K村さんとNさんに声をかける。
「K村さん、30分切れます。 いけますよ!」
「Nさんも30分いけます。 あと少し!」
K村さんは小さく
「よしっ!」 と気合を入れます。
最後のコーナーを曲がる。
「いけるよ、切れるよ30分」
ゴールゲートがみえ、痛む脚を引きずりながらK村さんのラストスパート。
ここまで来たのだからと、当然NさんとK村さんは共にゴールして喜びを分かち合うのかと思いきや ・・・
K村さんはゴールゲート右側に流れてスパート。
Nさんはそのまままっすぐゲート左側に向けて。
最後の最後でライバル意識でもあったのでしょうか???
無事、4時間29分 4時間半切りでK村さんとNさんをゴールに導くことができました。
ゴールして、K村さと握手を交わしNさんとシゲを探す。
あまりにも人が多すぎてなかなか見つからない。
しばらくして、向こうの方でシゲが呼んでいるのが目に入った。
その横には、車椅子にぐったりするNさんが ・・・
どうやら軽い脱水症状があるらしい。
意識はあり、会話もできているが、35km当たりから手にしびれが出ていたようだ。
今回は、自身の市民ランナーとして成長していく中でも貴重な経験ができました。
無事、二人をゴールに導けたことは大変良かったと思いますが、脱水症状に気づけなかったのは大きな反省点でした。
下手すれば大事に至ってたかもしれなかったですからね。
![憧れの『称号』を掴む時・・・/2:59](https://stat.ameba.jp/user_images/20121201/20/7waves/80/d4/j/t02200306_0483067212311524459.jpg?caw=800)
![憧れの『称号』を掴む時・・・/2:59](https://stat.ameba.jp/user_images/20121201/20/7waves/df/ae/j/t02200139_0800050612311524457.jpg?caw=800)
![憧れの『称号』を掴む時・・・/2:59](https://stat.ameba.jp/user_images/20121201/20/7waves/76/88/j/t02200182_0800066012311524460.jpg?caw=800)
そして ・・・・
数日後、サポートさせていただいたNさんのお笑いトリオグループが年内をもって解散するとの発表がされました。
タイミング的に、大阪マラソンの時には決定していた事でしょう。
今から思えば、スタート直後の会話で南港大橋の話になり、私が
「前半ペースを押さえれば、南港大橋はそんなにたいした坂ではないですよ。 もしなんならあそこは歩いてもいいですし。」
というと、
「できれば歩きたくないんですよね。」
その言葉通り、初マラソンで4時間30分を切って走ったNさん。
レース中、一度も歩くことはありませんでした。
給水も、給食も、わざわざ割り込んで取りに行って止まったり歩いたりしなければならないような状況なら取らずにスルーする。
そこは徹底されてました。
「できれば歩きたくないんですよね。」
今から思えば、解散決定後の大阪マラソン。
自分なりの覚悟を決めての42.195kmだったのでしょうか。
これからも頑張ってください。