ダイアモンドロックショー アンコール | LONELY JACK KNIFE

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Scene 1

真夏日のような天気、最寄り駅へと車を走らせているとChâteraiséの前が混んでいた。
そうか今日は父の日か、と気がついた。

そんな、6月16日の日曜日は六本木へ「ダイアモンドロックショー アンコール」ライブを観に行った。





去年の6月、「来年はダイアモンドロックショーをやる」と宣言したユカイは、今年の3月、バースデイライブに合わせて有楽町の「アイマショー」でシンプルなバンドスタイルに「ホーンセクション」も加え、久しぶりの、いや、往年のダイアモンドユカイライブスタイルを再現した。


その時は、もうユカイのソロライブはこの日限りなのか? と寂寞の思いがあった。


しかし直後、ダイアモンドロックショーの「アンコール」をやると告知があり、少しだけ驚いた。


六本木に新しく出来た「GT LIVE TOKYO」というライブハウスのこけら落としだと言うが、予定がそんな急に決まるものなのか?、はたまた元々の予定だったのでは?  いやいや、それなら好評によりアンコールという意味合いは違う気もするし、3月はユカイの声の調子も悪く、リベンジしたい、という気持ちで挑んだのかな?だから急遽入れた?、等とライブまではモヤモヤした気持ちを引きずっていた。



そのGT LIVE TOKYOは、六本木駅から徒歩数分の路地裏にあった。

近隣からクレームが来そうな立地に作ってあるし、キャパを考えても無駄に設備の整っているハコだったけど、採算が取れるのか心配になった。


フロアはあまり奥行きは無いけど、天井はやけに高く、ステージの仕切りはスクリーンで作られていた。

ライブが始まるとそれが上がるというシステム。ミラーボールもあり、2階席もあったし、なんとテラスもあった。





今回、ダイアモンドロックバンドのキーボードメンバー土屋さんは不参加になったため、ご存知「三国さん」が担当してくれた。



定刻過ぎた頃、漸く、前回同様SEにモンローのブロンドが流れた。


そして、三国さんの助奏から、アサキさんがギターリフを刻み、それが「イカサマだらけのルーレットゲーム」だとわかる頃、ゆっくりとスクリーンが上がって、ダイアモンドロックアンコールショーが始まった。




アンコールのショーは、そのままアップタウンレディ、から、ワンサマーナイトへと間髪入れず流れていく。

今回も「この胸に♪」で胸部を叩いていたユカイだった。


そして、前回よりもアクセルを踏みこまれた「バックストリートラヴァー」へと繋がった。

これは盛り上がった。


この時点で、リベンジを突っ切って、やっぱりアンコールなんだな、と僕は自覚した。


ともかく、前回のようなアルバムのトラックリストで曲が進まない、あくまでも「ライブショー」という流れになっていた。







Scene 2


レッドウォーリアーズが解散しソロ活動を始めたユカイのライブでは必ずといって良いくらいホーンセクションとフィーメールコーラスがあった。

少なくとも90年代の活動に置いては、無くてはならない存在だった。


だから、去年から今回のライブまで、その再現もされているのは特筆すべきことなのだ。


アサキさんが思わず「エロいなあ」と口走ったサキソフォンの亜美さんが全編素晴らしいBlowを聴かせてくれた。


バックストリートラヴァーに続いて演奏された、ゴージャスフィーリング、星空のスポットライト、マイエンジェル、デザイアしかり。

しっかり往時を再生していた。


メンバーの出入りはあったものの、薩摩隊と呼んでいた鹿児島出身のホーンセクションお3方がとても素晴らしかった。


にしても、管楽器もあるこの大所帯に、それ程広くないフロアでも、素晴らしい音響でライブが楽しめてるのも凄いし、ユカイも「拘りのライブハウス」と言うのは大袈裟でもなんでなかった。


だからこその採算取れるの? というわけで(笑)








Scene 3




1971年にリリースされたイマジン。現在では平和の象徴的な歌、またはジョン・レノンの代表作としての認知が高い。
あの歌詞にあるような理想郷は確かに人類の夢かもしれないけど、ジョンとヨーコはそういう壮大な「想像してごらん」ではなく、実のところ、活動(運動、行動)出来ないことにあなた自身自分を責めないでほしい。

例えば、夜眠る時、数分で良いから「平和」への願いを「想像」したのなら、もうそれで活動してることと同じなのだ、だから卑下しないでほしい。

という思いがベースにあると言っている。

勿論、行動に移している方たちをちゃんとリスペクトした上の話だろう。

この事を知った時に僕は深く感銘した覚えがある。


閑話休題



ここまでで、前回もやった曲を、順序を替え進行しているのはわかったものの、やらなかった曲をぶちこむのか、気にはなっていた。


そこで、ユカイのMC。


皆、普通が良いというが、普通の人なんてどこにもいないんだから、皆どこかおかしいんだ、人生も色々な事が起きるんだから。

後で振り返れば皆、映画の主人公みたいなもんなんだよ。


こんな粋なことを言って「ニューシネマパラディソ」を始めたのだ。


イマジンの歌詞同様腑に落ちた瞬間だった。


この名曲となる楽曲を早くレコーディングして世に放ってほしい。



以降、ジェリーマイラブ、レインインマイハートを終えてからは、ダイアモンドロックでラストまで突っ切っていった。


アイムザベスト

お熱いのがお好き

ファンキージャンキーママ


本編ラストのダーティヒーローも、バックストリートラヴァー同様の熱量を感じた。


ただ1点、まだダーティヒーローのアウトロの最中、ユカイが「イエスアイムマダーティヒーロアイガッチュ♪」とやってるような時にスクリーンを下ろす演出は如何なものかと。







Scene 4


青春というワードから連想されるのは、「思春期」「学生時代」「若者」など、なんとなく「10代」に付随してくるものだ。


しかし、53歳にもなればとっくに気づいているが、20代も30代も40代も、どの年代にも「青春」は存在したはずだ。




アンコールはスクリーンの下りた状態でハリウッドスターから始まった。


そして、大団円。ファンが薔薇を手にするのを見るや、「今日はその曲をやらないんだ」と言う。


僕はその時、落胆するどころかテンションが上がった(笑)


ユカイは懐かしいのを、久しぶりにやると言っていた。


なんと、最後は「ROCKMAN」だった。


次に控えているのはキネマ倶楽部だから、憎いセトリじゃないか。


同時に映し出された後ろのスクリーンには、そのキネマ倶楽部で2007年6月のライブ終演後にファン共々で撮影されたMVが流された。




そんな青春的な映像を観て僕は感無量だった。



ユカイさんはこの日も10年は好きに突っ走るぜ、みたいなこと言っていた。


僕は人生の道標のお陰でここまでたどり着け(生きてこれた)たので、この先は恩返しを色々していきたいと思っている。


まずは、次の東京キネマ倶楽部で。







Scene 5


ライブ終演後、サロン会員は残ってミーグリだった。

ユカイさんは会員に向かって応援ありがとうと御礼を述べてました。

そして、個別にポストカードを手渡してお見送りという流れ。

少しだけ話も出来た。


そこにサロンメンバーは多分40人弱はいたと思う。


サロンメンバーの知り合いで見掛けなかった人もいたけど、毎週行われている配信では20人前後の視聴者数なので、全体は70人位のメンバー数とはいえ、今ここにこんなに集まるのかと意外な気がした。


だからこそ、もっと配信の視聴者数を増やす努力をサロン側にはしてもらいたいと思った。


それは配信時間や曜日、内容のテコ入れなど、色々考慮出来るのではないか、と、思う。




レッドウォーリアーズ、ダイアモンドシェイク、という活動では一切感じてないのだが、「ダイアモンドユカイ」のソロ活動、に、僕はこの数年とても「親近感」を覚えている。


何故かとゆくゆく考えれば、それはサロンの開設が大きな要因だろうなと思った。

だからこその意見を述べてみたい。




End