晴れない心のモヤ | LONELY JACK KNIFE

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セクシー田中さんの一件で僕はずっと晴れないモヤみたいなものが心にある。

これまでの一連の報道やコメント等を読む限りだと、

ドラマ制作サイド(日テレ等)と作者、そして脚本家との風通しというか意思疎通が悪かった、出来てなかった、ということが最悪の結末を生んだ最大の原因ではないのだろうか。と思った。

成り行きとしては、実写化(ドラマ化)をしたい制作サイドに、作者は渋るが、原作に忠実に、最終二話の脚本を任せてもらえる、等という条件を提示し、ドラマ化の承認をしたわけですよね。

アニメや漫画、小説等の実写化はこれまでも批判の的になることは多いので、そうしたものに原作者が気乗りしないというのはわかる気もする。

で、結局始まれば、毎回上がってくる脚本の手直しをしていたらしいけど、

この辺、何もしらされてない脚本家からしたら、
「何で?」と不平を並べるのも普通の感覚ではないのか?

更にストーリーの肝であるラスト2話に関しては一切書かせてもらえないわけですよね?

となれば、不平不満が出てもおかしくはないだろう。と僕は思うのだ。
やっぱり普通の感覚だろうよ。

だから、結果的にはこの辺の説明をちゃんとしていなかったドラマ制作サイドの手落ちではなかったのかと思うし、このような最悪の結末になることは予想せず、楽観的に構えていたのかどうなのかはわからないけど、とりあえず日テレから納得の行く説明が無いので僕の心はモヤモヤしたままだ。

で、そうしたことを踏まえて、持論を述べさせてもらうが、

漫画にせよ、小説にせよ、あるいは楽曲でもいいが、形態はどうあれ作品は、

作者が産み落とし、世に放った時点で、終わらせること、手放すこと、が出来ないものなのだろうか?

と、今回事が起きたからではなく常々僕はそう思っているのだ。

東野圭吾先生は、作品の映像化には一切口を挟まないと何かで読んだことがあるが、

僕が名作だと思っている「白夜行」は武田鉄矢、山田孝之、綾瀬はるからの出演で連ドラ化されているが、原作とはそもそも「時代設定」からして違うし、いきなりネタバレがあるし、殆どセリフらしいセリフの無いキャラがやたら登場してきたり、そもそも桐原亮司(山田孝之)と唐沢雪穂(綾瀬はるか)の会話なども原作とは真逆の演出を見せている。

が、しかし、ドラマはとても面白かった。良くできていた。

「人魚の眠る家」も映画化ではラストに原作には無いシーンが差し込まれていてそれも良かった。
他にもまだそういう作品はあるが割愛する。

勿論これまでの東野圭吾作品の実写化に置いて、良くないと思ったのもあるが、それは映画化(2時間前後)や連ドラ(1時間×10)等の違いもあるし、予算や、監督のセンスや訴えたいこと(メインに添えたいポイント)など様々な要因があったはずだ。長編作品を2時間の尺に納めればそりゃそうなるよね、みたいなのもあるし。

また、僕が良くなかった、と思ってるだけで、それを良いと感じた人もいるだろうし。

そんなわけで、僕が一体何を言いたいのかと言うと、

その作品(小説なり漫画なり)

を映像化、アニメ化、舞台化、した時点で作者の感情とは裏腹なものへと変貌を遂げていくものなのだから、出来上がったものの評価がどうあっても、元の作品の評価には干渉しないよね、っつう風にある種楽観的には取れないものか、と。


ポール・マッカートニーの作った「イエスタデイ」はカバーされた数の多さでギネスブックにも載ったことがあるが、それらの中には原曲のかけらもないアレンジがされたり、ヘビーロックなアレンジがされたり、ボーカルパートのない、オーケストラや吹奏楽にアレンジされたり、コーラスグループによるアカペラで歌われたり、ポールの声そっくりに歌うボーカリストによる完全再現のようなカバーがされたり、とフィジカルに発表されたもの以外も含めたらカバー数は星の数レベルだろう。

それらを作者のポールが全て確認したりもしてないし出来ないわけだし、そもそも人様のカバーに言及してるのも稀だと思う。

つか、例え酷いカバーをされたとしても、ビートルズの「イエスタデイ」の評価も価値も変わらないのが現実だ。

10年以上前になるが、永井豪先生の名作「デビルマン」がとてつもなく酷い「実写化」がされて話題になっていたが、あれを永井先生がどう思われたかはわからないけど、当然オリジナルのデビルマンの価値が下がるようなこともなく、徹底的に監督に批判が集中していた。なんてことも思い出す。


自分が生み出した、作り上げた作品にとても愛着を持つ気持ちはわかりますし、決して壊したくない美学にも共感は出来るけど、今回のような結末を悲しむ多くのファンがいることも事実だよね。