今回の七ヶ浜あれこれ【ひと】は、
生まれも育ちも七ヶ浜町花渕浜!寺澤力蔵さんです。
力蔵さんの祖父は北洋漁業の開拓者であり、
七ヶ浜町の漁業の先駆けとなりました。
両親は百姓だったため中学生の頃から学校に通う合間を縫って、
畑仕事を手伝い、家庭を助けてきました。
中学校卒業後から漁業に携わるようになり、
三陸沖でホンダガレイなどを獲っていたそうです。
その後マグロ船やサンマ船に乗り、南太平洋にも行きました。
こちらがホンダガレイ。
外見とは裏腹に上質な白身で、クセがなく脂がのっています。
昭和30年ころから七ヶ浜町の海苔養殖が盛んになり、
力蔵さんの家庭でも百姓と兼業で海苔養殖を始めたそうです。
手回しの海苔裁断機を購入し、手すき等を手作業で行い、
海苔の乾燥庫が小さかったために一日何度も繰り返し乾燥させました。
最も苦労したのは昭和45年の「台湾坊主」と呼ばれる台風の被害でした。
暴風・大雨・波浪をもたらし、海苔養殖の資材がすべて駄目になり、
片付けるのに1ヶ月もの時間を費やしたそうです。
それでも続けてこられたのは、
海苔養殖に対する愛情があったからではないでしょうか。
昭和50年代に入り、オイルショックの危機を乗り越え、
海苔養殖も次第に機械化が進み、作業も少しずつ楽になっていきました。
☆七ヶ浜での海苔養殖についてはこちらの記事へ!
<七ヶ浜あれこれ【海苔】>
力蔵さんの家や震災直前に購入した海苔養殖の建物や機械など、
あらゆるものが津波で流されてしまいました。
「今まで何をしてきたんだろう…」
生まれ育った場所の変わり様に、とても寂しい気持ちになったそうです。
それでも花渕浜の小浜が好きで、
今でも小浜に行って網を片付けたりしています。
力蔵さんの祖父が七ヶ浜町の漁業の先駆けとして貢献されたように、
次は力蔵さんの息子さんが七ヶ浜町復興の先駆けの一員として
頑張っていらっしゃいます。
体を張った仕事に自信を持って長い間尽力してきた力蔵さんの姿は、
しっかりと受け継がれ、明日の七ヶ浜を支える原動力となっています。
※七ヶ浜町社会福祉協議会発行「社協だより」内
「虹色の漣(さざなみ)」より引用