七梟亭 名人劇場 2024 水無月 第五巻 【講談】神田伯山「小政の生い立ち」 | 七梟のブログ

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【講談】神田伯山「小政の生い立ち」in イイノホール(2023年7月11日口演)

 

 

2023年7月11日 イイノホール
神田愛山→神田伯山『相伝の会』
 

『清水次郎長伝~小政の生い立ち』あらすじ
(しみずのじろちょうでん~こまさのおいたち)

 

【解説】
 小政(1842~1874)は本名・吉川冬吉、別名・山本政五郎といい、清水次郎長の子分として実在した侠客である。「清水二十八人衆」のうちの一人とされ、、同じく次郎長の子分である同姓同名の「山本政五郎」を名乗る「大政」と区別して「小政」と呼ばれる。

【あらすじ】
 清水の次郎長がまだ若かったころ、森の石松と伊勢へ参詣しその帰り道で浜松の宿へ通りかかる。若林村というところで、ひとり婆さんのいる茶店で昼食をとる。そこに自分の背丈より長い天秤棒を担いだ形の小さい小僧がやってくる。その小僧はゴザを敷き、サイコロの湯飲みを出し即席のバクチが始まる。こんな小僧がバクチの胴を取るのかと思う次郎長。そこへ年のころ31,32歳のベロンベロンに酔った男が現れる。「いけない奴が来た、逃げろ」、バクチに集まっていた者たちは逃げ、小僧ひとりが残される。小僧は20文を差し出しこれで許してくれというが、なおも男は小僧の懐から金を掠め取ろうとする。「それじゃ、おッ母の薬を買うことが出来ない」。小僧は天秤棒を振り上げるが、それを森の石松が止める。石松がに2分の金をやると男はヨロヨロよろめきながら去っていった。
 小僧は次郎長に礼を言う。いくら小僧でも天秤棒で殴れば人が死んでしまうことがある、そうなれば親も嘆くだろうと次郎長は諭す。この小僧は浜松に住む政吉といい、歳は12だという。12歳にしては背丈が小さく、皆は「小政(こまさ)」と呼ぶという。政吉がこの二人について尋ねると、清水から来ており、あってもなくてもいい仕事をしているという。政吉は清水の次郎長だと分かって喜びして、子分にしてくれと言う。さらに病気で母親が寝ているが、倅がバクチ打ちになれなければ死んでも死にきれない、と変なことを話すと言う。
 政吉が語るには、彼の父親は浜松の政右衛門という魚屋であったが、飲む・打つ・買うの三道楽のどうしようもない男で、政吉が小さいうちに死んでしまった。それから母親が政吉を育てるが、その母親が病気になり助かる見込みはないと言う。明神様に毎日願掛けをして、その満願の日に寒さのため政吉は倒れてしまい、そこを通りがかった立派なお武家に助けられた。そのお武家様がお奉行様で、孝行の徳によりということで青差五貫文を頂いた。母親は私が死んだらこの子の生末が心配だというが、万一のことがあったら清水湊へいって次郎長の子分になると言って、政吉は母親を励ましている。政吉はボロボロ涙を流す。
 嘘で流せる涙ではない。次郎長は、なにかあったら清水の自分の元へ来い、バクチ打ちにはさせず、堅気の商人か職人にでもしてやると言って、2両の金を渡す。石松も財布ごと銭をくれるが、その中身は3文しか入っていない。こうして政吉は、次郎長、石松の二人を見送る。
 政吉がこの話を母親にすると、安心したのか3日後には亡くなる。弔いを出して無事に百ヶ日が終わる。ある日のこと、親の代から政吉の面倒を見ている叔父の平兵衛に清水まで行って次郎長の子分になろうとおもっていると相談する。父親と同じく一度言ったら聞かない奴だ。ここは政吉の言う通りにさせてやろう、と平兵衛は思う。政吉が帳面を拵えてくれと言う。道中日誌にでもするのかと思うと、餞別帳にするという。最初には金一両、駿河屋平兵衛、と書いてくれという。それは私の名前ではないか。さらに政吉は「一」の字の上にもう一本棒を足し、二両にする。仕方なしに平兵衛は政吉に二両の金を払う。
 こうして政吉こと小政は清水湊まで来た。次郎長は始めは商人、または職人にするつもりだったが、朱に交われば赤くなる、立派なバクチ打ちとなる。清水湊は鬼より怖い、大政、小政の声がする。こうして小政は清水湊の名物男に成長する。

参考口演:宝井琴調