私は大好きなものに出会うと
自分を捧げまくってしまうので、
最近は「そうならない様に!」
「大切すぎるものを作らない様に!」
「無くなったら困るものを作らない様に!」と
していた。
一度
数年前、カウンセラーとして活動出来なくなった時、
その時は崩れ落ちるほど泣けた。
それだけ、このお仕事に自分を捧げてたんだなぁ。
「このままカウンセラーとして活動すると、クライアントさんを苦しめてしまう」という理由で、
私はカウンセリングをやめたから、
「クライアントさんのためなら、カウンセリングも辞めるほどのカウンセラー」だったわけです。
この時、私は
「私はクライアントさんに依存していたんだ!」と思って、自分を責めた。
だから、これからはそうならない様に!と思って、
カウンセリングすることに少し距離を置いてた。
継続メニューを作らないのも、それ。
依存関係になるのが怖かった。
「クライアントさんに依存されるとちょっと…」みたいなこと言ってみていたけれど、
逆で、
私が依存するのが怖かっただけですね。
あと、またいつカウンセラーとしてやっていけなくなるか分からないから、
無責任に長期のメニューを作りたくないってのもあります。
当時の私は
カウンセラーをやってる時の自分は好きだけど、
それ以外の自分は好きじゃなかった。
だからカウンセリングという仕事に依存していたのは正解。
でも、依存だけではなくて、
目の前のクライアントさんを
愛することで
私が生かされてたんだなぁと思う。
カウンセリングが私の愛の表現で、
それを存分に出来て、
愛を受け取ってもらえることで
私は生かされているんだと思います。
人は愛することで生かされるし、
人は愛がないと生きていけないんやなぁと思う。
愛されないことは怖いけど、
愛することの方が怖いかもしれんとも思うよ。
それでも
愛したいものを
手放しに愛していくことは
至高の喜びやとも思う。
目の前から無くなった時に
ショックすぎるから、
愛することを抑えたりしていたけれど、
たとえ、それが無くなったとしても
愛したいと思うものを
愛していきたいと思う。
人は愛さずにはいられない生き物だよ。
今は、お仕事の他にも
旦那さんが愛の対象です。
もし、未来に私の目の前に居なくなったとしても、
それでも手放しに
今愛していこうと思う。
お仕事も旦那さんも。
愛がなければ生きていけない自分で良いんだと思った。
それは全然弱い生き方ではないし、
「愛するものが、
目の前から無くなったとして、
私が大丈夫じゃなくなったとしても、
大丈夫」
っていう、強い生き方だよねとも思う。