突然ですけども。
ここ最近の私のキーワードが
「信仰」で。
「信仰」のことを結構考えてました。
人って何かを信仰すると、
めっちゃ強くなれるんです。
それは善悪とか正誤とか
そういう観点は置いといて、
ものすごく強くなれる。
それは「なんちゃら教」とか、
「なんちゃら神からの教え」とか、
特定の基準を得られるからだと思う。
そこの基準に合わせていけば、
「良き人」だし、
信仰心の強い人だし、
そのコミュニティの中では上に行けるし、
偉い人になれる。
信仰にそぐわないものについては
「神の教えと違う!」ってことで、
ばっさりいけます。
だから自信がみなぎっているようにも思える。
でも実際は
自分が立つために、外部の柱にもたれてるだけで。
その人が自立してる訳ではなく、
その柱にしっかりもたれてるから、
立てている状態。
けど、これって
何らかの宗教だけに捉われず、
今の学歴信仰とか、
コミュニティの空気感とか、
それこそ「母親教」とか
そういうのにも当てはまってて。
で、その「外への信仰」の時代が
もうそろそろ終わろうとしているんだろうなぁと思っています。
地球の歴史から見れば、
何らかの信仰がなければ、
生きていけない時代ってのが長かったんですが、
(そういう心の支えがなければ、
生きるのが辛すぎるくらい飢餓とか貧困とかで過酷な時代か長かったのだと思います)
もうその信仰心を
内側に向けることが本格的に始まるんじゃないかなぁ。
だから今、もたれてた柱が
ズボッと引き抜かれてしまったり、
その柱に対して
「あれ?」って懐疑心を感じ始めたり。
そういう人が増えてきたように思います。
それは「外への信仰」が極まって、
「内への信仰」が始まる時。
最初は今までの柱がなくなって、
何が正解なんだか!!
不安で仕方ない!辛い!ってなる。
でも、今まで養ってきた
何かを信じる力「信仰力」を少しずつ
自分へと向け始めると、
実は自分の中に「芯」があって、
それこそが実は
これからの信仰の柱になることを
知ることが出来ます。
しかもその柱は私の中に存在するから、
決して抜けることはなく、
奪われることも
脅かされることもない。
その「芯」を信じることで
ずっと求めていた「安寧」を得られる。
とても矛盾するのですが、
内への信仰をすることで
神の世界へ入ることが出来ます。
あ、あと歴代のメッセンジャーや
救世主や宗教家のみなさんは
だいたい
「内への信仰」を説いていらっしゃいますよね。
分かってはったんかーいってなる。
ちなみに私は、
超ブレます(笑)
芯がブレるんではなく、
いつだってきちんと芯は存在してくれているのに、
それを信じることにビビってブレます。
本当は「芯」なんて
とっくに出来てるから
あとはそれを信じるだけなんですけどね。
それはもう
信じてみるっていう行動を続けていくしかないよなぁーって思ってます。
以上、信仰は
外から内へと進むっていうお話でした。
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