菊次郎の夏 ('99, JP, 北野武) その2 | タイ・バンコクでフランス映画を観る会

タイ・バンコクでフランス映画を観る会

敷かれたレールの上を走るだけの人生に疑問を感じ、高校卒業と同時に東南アジア放浪の旅に出てから10年。今、バンコクで暮らしています。

映画はズリネタとして消費することが可能です。

何が言いたいかというと、映画を観て主人公に「感情移入」し、「作者の伝えたいこと」に「共感」し、

「感動する」などして気持ちよくなっちゃうこともできるよ、ということです。

このとき、「泣く」という行為は射精と同義です。



そういった鑑賞方法を否定するわけではありません。

センズリぶっこいたら誰だって気持ちいいからです。



たとえば、主人公の恋人が難病に罹って死んじゃったら、誰だって悲しいのです。

しかしその悲しみは、意識できているか否かにかかわらず、誰もが心の中にすでに持っているものです。

だって、容易に想像できることですから。

そして、映画で描かれる出来事や主人公の心の動きが、

自分が既に持っている認識の枠組みにぴたりとはまるから、「泣く」のです。



ストーリー映画だけでなく、ドキュメンタリー映画も同じです。

ドキュメンタリーは、なんとなく既に持っていた問題意識にはっきりとした形を与えてくれるものです。

そして、これからはエコだよね、とか、やっぱり戦争はいけないよね、とか、

ちょっと考えちゃって、気持ちよくなっちゃうものなのです。



繰り返すけれども、私はこういう鑑賞方法を否定しません。

好き嫌いで言ったら嫌いだというだけなのです。

そして、せっかく映画を観るなら、ほかの方法で観たいと考えています。


結局のところ何が言いたいのかというと、

上で書いたような鑑賞方法で観て面白い映画については、今後も観ないし、

記事に書く気もしないのでご了承ください、ということです。



ちなみに、「菊次郎の夏」は、上で書いたような方法で観ればいい映画だと思います。

(だから、私は観たことを後悔しています)。

テレビで使い古された「感動するクリシェ」を多用し、誰でも「感情移入」することができます。

あざとさが目に付く、いやな映画です。

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