旅をしているとカルチャーショックに見舞われることが多々あるが
特にインドではたくさんの価値観がなだれ込んできて
処理をするのに時間がかかった
日本も虐待はたくさんあるけれど、インドは障がい児への虐待が絶えない
その理由の1つとしてカルマが上げられる
以前、ワタシがインドで障がい児のボランティアをしていた施設は
オランダ人とインド人女性が運営していた
全く違う文化で個人個人の宗教を持っている2人は価値観も全く違い
常にいろんな問題が浮上する
それでも彼らは一緒に住んで1つの想い(子供達の成長)を持って生活しているので
荒波を乗り越え人種を越えて生活している
その彼らの自宅へ呼ばれご飯を食べていたときのこと
こんな話題が出た
『何故彼らは障がい児として生まれて来たのか』
インド人は当然のように
『彼らは前世でとても悪い人間だったから今回こうなったのよ、これはカルマです』
言い切る・・さらに
『生まれつき身体が不自由で知的障害がある○○君なんて相当なカルマだね』
当然ワタシは彼女のこの言葉に悩んだ
そして彼女はカーストの位が高いため
このような障がい児へのボランティアなどをすることで
さらに来世は次の段階で生まれ変わりもなくなる
こう話す
それでもワタシは彼女と働き、真剣に悩み
子供達の成長を喜び、時には彼らの境遇を言葉にならない
気持ちで受け止める
彼女の優しさは子供達を包んでいてみんな彼女の事が大好きだった
もう1人のヘッドマスターであるオランダ人の女性は
ヒンドゥー教に敬意を払うが、それらとは真逆な意見を持っている
ちなみにボランティアで一緒だったイギリス人男性は
『なんで木の実があそこになってるのか、と同じ質問だよ、
そんなのに理由なんてないに決まってるじゃないか』
彼はクリスチャンでもなく無宗教
日本人の私達はどう思うのか
以前は遺伝子がどうとか、血筋だ、先祖の中に障がい児がいた・・
など聞いたことはある、今はどうなんだろう
ちなみにワタシの意見
いつだったか
ある知り合いのおばあさんが
孫が知的障害児ということで毎日毎日悩んでいた
『うちの家系の中ではそんな子はいなかった・・』
『毎日大変だ・・』など言いながらいつも悲しんでいた
ある日ワタシは本気で思ったことがあった
『彼女が生まれる時、きっと彼女はこの人生を自分で受け入れ決めて来たんじゃ
ないでしょうか?』
おばあさんは ハッとした様子でワタシの顔を見返した
小学生の時に知的障害の友達と経験した出来事が、ワタシの中で
大きかったため、ワタシはこのような意見を若い頃持っていたんだと思う
彼らは全て分かっている
分からないような態度を示すが実は全てわかっている
インド人の一緒に働いていた女性教師も同じようなことを言っていた
今のワタシ
意見は少し違って
生まれる前、前世、来世・・あるかもしれない
でもそれはそこまでワタシの中では重要ではない
今、この瞬間の方が大切で
インド人のヘッドマスターがいくら理解できない言葉を発しようと
その彼女と一緒に働いて、彼女の優しさを知り、経験していることの方が重要であって
ワタシはその彼女も本当の彼女の姿だと思っている
だから応用すると
家族や本当の友達と、いろんなできごとがあって喧嘩しても
一緒に経験し乗り越えていくことで
価値観や理解できないことがあっても
許し合えていけるんだと思う
それは一緒に経験しているから。
だからワタシは理屈でなく経験が大切だと思っている
日本人は資格資格、資格が大切・・みたいな感じだけど
イヤイヤイヤ 一時的には大切だよ、でも
経験の方がもっと大切で
資格なんかに頼ってるから洗脳されやすい
急に話が飛んだけど
人は外見ではなく
発する言葉だけでなく
一緒に経験してその人を感じることで
わかることがあるんじゃないでしょうか??
完璧な人間?
完璧とは?・・・これこそ人の基準値
健常者と障がい者?
誰がそのボーダーラインを決めるの?
時々障がい児と言われている子供達のカラダをマッサージ
することもあるが、彼らのカラダは本当にストレスの無い
やわらかい筋肉をしていたりする
常に明るい子供達
素直に自分を表現して包み隠さない
一方で
カラダがカチコチに固まり
携帯電話ばかり触っている脳は
生身の人間に笑顔で挨拶もできない程
硬直している
どちらが健常で、どちらが障がいなのか???
凝り固まる思考から抜け出し
カラダを一緒に動かす事で経験し相手を知りたい
母の花壇にも春がやってまいりました



