以前、中米グアテマラ滞在で思ったことを
ブログでも書いたつもりだが
その時に思ったことへの答えが、今、見つかった気がしている
2010年、中米グアテマラでの滞在中に自分の価値観というものを
突きつけられた場面があった
グアテマラの湖が綺麗な町へ行ったときのこと
その小さな町の船付き場で、他の船からおりてくる人々の中に
日本人と思われる女性と2人のボロボロの服を着た小さな男の子がいた
その女性は手ぶらだが、小さな男の子2人はとっても大きな荷物を
荷物で前が見えない程の大きな荷物をいくつか持っていた
彼女の買い物の荷物持ちをしているのだ
彼女はいくらか彼らにお金を渡し、
自分の荷物を一切自分で持たずに彼らに持たせている
当時私はこのことがショックだった
そして、グアテマラ人の19歳の男の子と話している時、
グアテマラの社会情勢のことが話題に出たので、
私はその小さな船着き場で見た光景を話した
そして彼は言った
「じゃあさ、君は彼らに毎日お金を渡せるか?
その働きがその日の彼らの収入なんだよ
それで彼らは今日の御飯が食べられるんだよ」
『同情するなら金をくれ』
本当にこれが現実
きれいごとしか知らなかった私の心
優しさとは・・ボランティア精神とは・・一体なんなのか
そして再び、
2013年、この年末のカンボジア滞在で、
新たに価値観を壊され
自分が置かれている立場と自分のできること、
いや 自分というものを
はっきり感じさせられることになった
カンボジアはご存知のように、発展途上国
そして社会主義
厳しい歴史を乗り越え
今、経済の発展をしようとしている国
どうしても今、見ておかないといけない
と思った国だった
自分の人生の中で注目していること、してしまうこと
「子供達の現状と未来」
カンボジアでも孤児院を訪れた
今回は外人が作り上げた出来上がりの孤児院ではなく
地元のカンボジア人が行っている孤児院にあえて行った
ここで感じたこと、現実、
まつわる人々、支援する外人、子供達の現状
そして『孤児院を利用して稼ぐ人々』
孤児院と名乗るけど親は生存している場合もあるし、
いろんな状況下で子供達はそこへ来ている
この言い方はいろんな意味に取れると思うが
それを利用して稼ぐ人がいなければ、子供達は保護されず
御飯も食べれず寝る場所さえない
ましてや学校にもいけない
だから子供達にとっては別に利用されるされないなんて
どうでもよいことで生きるのに必死
これが現実
彼らの貧困の中で生活する強さを肌で感じた
これ以上は今回の滞在で会えた人と対面で話したい
書くのにもエネルギーがいるし、
webの中のバーチャルな世界なんかだけでは話しきれない
常に話す人の顔が見たいし、意見が聞きたい
この文章の題
『センスの良い選択』
これを慎重に選択し生きて行こうと思う
今までの人生で出会った人の中で
このセンスの良い選択をして生きている人々を
思い返してみると
’なるほど’
人生とはこんなからくりになっていて
頭だけでなく心を研ぎすませ
動物的な感を養い
毎日、瞬間に起こるできごとを自分の視点だけではなく
もっと大きな視点で
脳みそをブロックしないで思考を止めずに
フル回転させて
そこに自分なりの哲学、道徳を持ち続ける
これは自分の中の考えを捨てることもたくさんあって
現実を見るから悲しいこともたくさんある
時間というものは幻のようなものだけど
この時間をどう使うかが
まさに『センスの良い選択』ができるかどうか
そのセンスを磨くのは自分次第
その思考を自分で空にする
リセットするのも
自分の仕事
パソコンと一緒で定期的にゴミ箱を空にしないと
問題が起こる
冒頭に書いたグアテマラの出来事の自分の意見
私は
人に荷物持ちはさせない
その時にお金をあげれなくても
違った形を選択する
私の得意とする『カラダを動かすこと』
今回の経験はこの運動の方法論や思考などにも
多大な影響を与えた
今回の滞在で
多くの人々と運動する機会に
多くの人々へ伝える機会に恵まれますように
私の会話は動きです
心を込めて Nanakha









