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7khaの日常

愛するみなさんへ 777




この数日間、朝のヨガ後、厳密に言えばヨガの終わりの方から、眉間がぱっくり開いてフワフワしている感覚が出ていた。

瞑想後、『問いかけ』が私にやってくるのだが
昨日は『Are you ready to open?』という言葉がどこからか聞こえて、その前には自然に巻き起こる自動VJが繰り広げられていた。

VJ旅の終盤に、古い石亀が敷き詰められいる場所を上空から見たと思ったら、どこかに吸い込まれてその先は私の心だった。
とても古い大きなドアがズドンとあり、その前で動きが止まる。厳密にはそこにいてフワフワ漂ってる感じ。

そしてこの言葉が私に向けられた

私は『Yes. I am ready, but I need to more time.』

逃げ(笑)

ヨガ仲間のまどちゃんが違う状況だけど同じようなことを言っていたが、私も怖かった(笑)

朝にこのことをパートナー君に伝えた。彼がしっかり長い時間抱きしめてくれたおかげで、私の怖さは無くなりかけた。

この日は幾度か勝手に瞑想状態に入った。

外に出たら自分のビューが違う 全く違う世界を自分の目で見ているようだった。

話はここからで、次の日の朝、はっきりこのドアの中に入った感覚があった。寝ている間にドアを開け、中に入っていた。

そこにはただ『優しさ』があった。その空間というか、場所にリミットはなく、曖昧だけどそこには色もなく、しっかり見えているというよりは穏やかなエネルギーが包んでいてた。

好き・嫌い・ジャッジメントなどなく、フラットで何も無い。

この感覚を体感した後、私は家のいつものヨガ・瞑想場所に座っていた。

やがて死が訪れる時、この空間が果てしなく広がり、満たされながら魂は光へ戻る。

この、心の底にある優しさ。

人間はこのフラットな場所に戻るために浄化を繰り返し、ピュアな自分に戻るために、体験を繰り返し、知識を得る。

’なぜ私たちは生まれ、死んでいくのか’

この大きなテーマを、わたしは神から授かったこのカラダ、そしてヨガの人生と共に追求している。

今年の日本滞在がすごく楽しみ。

今回のワークショップで、どんな人々に出会い、どんな体験をするのか、どんな学びがあって、どんな感動あるのか、その出会う人々が、どんな形でまた新しい人々へ共有して行くのか、、ただただ楽しみ。

ワクワクしている。

Hari  Om 

大宇宙とのつながりを大切に。

日本のみなさん、

Sweet Dream!!


Preventive Medicine Body Care Association Of Japan  
日本予防医学ボディケア協会
777BODYWORKS
http://www.777bodyworks.com/


Nanakha





幸せと欲望

人の幸せはみんなそれぞれ違う。この人不幸だな、と思ってもその思われた本人はそんなことも思っていないことは多い。


しかし誰でも不幸より幸せになりたいと思っていると思う。


幸せって何なのかな?


人と比べて幸せ。このレベルの幸福感はいつまでも満たされない。

これは欲望に似ている。


この人よりはましだなって思って得る幸福度。これは自分の外側と比べなくても内側の自分の中でも比べているのも同様、いつまでも満たされない。内側で比べる時は自分の経験と今起こっている経験と比べている。ただ経験をして学ぶことがしっかりできていれば、それは比べていることではなく、経験でその人の得になる。


物を買ったり、お腹いっぱい好きなものを食べて幸せを感じることもあると思うが、それはその時だけの満足感であり、男女でいう一夜限りの虚しさと似ている。一瞬の幸福を求めて満足感を得るのはギャンブルでの満足感に似ている。


幸せは自分の質を上げるものでなくては、ただの欲望になっていく。


本当の幸せを追求していくなら、自分の幸せ、健康、そして愛する人、家族、友達が幸せでいること、どんどん抽象度が上がっていくわけなんだけど、まずは自分が幸せでなくては決して人を幸せにはできない。



幸せというものを今一度考える。


幸せの第1条件に健康ということは欠かせない。健康でなければ何もできないからね。


であれば、健康って何なのか。。。



健康


何が健康なのかということ。人によって健康の概念すら違うけど、ある年齢に達すると必ずカラダの健康にフォーカスする時がやってくる。それでもフィジカルな面だけで健康を追っても、心、内面が健康でないと外側のカラダは、また不健康に舞い戻る。私はこれを何度もヨガで体験している。カラダの健康は外側なのでベースとなっている内側の健康が損なわれると必ず外側も機能しなくなる。電気でいうと根本的な電源が壊れていたら、どんなに豪華な照明でも電気はつかない。その電源の源はみんな同じ。電源に豪華も貧乏も無い。電源は電源。電気の電源を人間でいうと、心、マインド。マインドは常に好き・嫌いを分けながら好きなものだけを取り入れる癖がある。それはチープな幸せという概念を追うのと結びついていて、好きなものを常に味わいたいから、嫌いなものを排除しようと常に思考している。


怒り

嫉妬

執着

思考はこれらを生み出す。


このマインド、思考。例えを変えると、自分の経験上、下痢は食事を取らずに菌に栄養を与えなくなると自然と菌は生きれなくなり、繁殖をやめる。そして、もう大丈夫かな、とか何か食べたい、食べないと多分死んじゃう・・と思って食べるとまた繁殖し、さらにひどくなってたりする。思考、マインドも同じ要素がある。思考は思考を生み、大繁殖を常に続けている、寝ている間でも繁殖し続け、おまけに多くの情報も上乗せされて何が自分の思考なのかすら分からない状態でマインドは思考で埋め尽くされる。この繁殖をストップさせるには、栄養を与えない、つまりそれ以上の思考を与えないようにすると良いが、それは1、2日くらい続けたからと言って減るものではなく、毎日少しずつ思考に栄養を与えなくするのが賢明だと思う。人間は思考しないと不安になる。


なぜだろう??なんで思考しないと不安になるんだろう・・・家族を養えない、仕事ができない、車のローンを払えない・・・心配事、大半がお金の問題が多い。。そして欲からくる、手に入れたい衝動からくる思考。計画を立てないと、からっぽで何もやっていない自分が不安になる・・・空の自分と向き合えない=私はこれの原因は大きく、ブレインウォッシュ、子供の頃からの教育や情報がこうさせるのだと思っている。情報過多。自然がまわりにないと陥りやすい。


思考で体内が埋め尽くされた時、健康か健康じゃないか、自分のことも全く分からない状態になる。たくさんのフィジカルからくるシグナルも思考で見えなくなり、本来一番大切にしないといけない自分を全く大切にできない。。。自分のまわり、つまり家族やもちろん子供を大切にしているつもりでも、自分すら大切にできないのに、人を大切にできているはずがない。


これに気づくか気づかないかで、人の人生は大きく変わるんじゃないかと思っています。


なんで自分が不健康なのか。。なんでいつも同じ場所が痛むのか。。どんどん追求していくと何かが見え出す。それから逃げていると永遠に不健康で幸せはやってこない。時間が無いから、、と逃げていると幸せがないまま時が過ぎる


チープな幸せを追うのをやめるとき、

つまり、幸せの質を考え出した時から、本当の幸せがやってくるのではないだろうか。


アーユルヴェーダのドクターのスピリチュアルトークの中で、深く気付かされた、

『Knowledge』と『Wisdom』の違い。


またゆっくりブログを書きたいと思います。


今日も深いドクターの施術とスピリチュアルトークでカラダも心もデトックスです。



深い愛を込めて  

Hari Om





こんばんわ 

腸について書きます。

私の腸革命が始まったのは、去年のタイで受けたチネイザン(腸マッサージ)、そして骨盤臓器を持ち上げるマッサージの優れた先生に出会った頃からだったが、それ以前からインドに来るたびにベジタリアンになっていったワタシだが、大きく腸と瞑想、そしてマインドが結びついていると実感したのは、去年のヴィパッサナ京都3日間コースの時だった。やっとこの時のことを今こうして落ち着いて書くことができるが、この時期はマインド、カラダの両方に変化があって、融合するのに大変だった。

ヴィパッサナ。。もちろん瞑想は深く、音で言うと『ズドンッ』という感じで重く、10日間の瞑想コースの3日バージョン&応用編で深い3日、そしてその後も続く学びと変化の時期だった。3日間の瞑想コースの初日から、腸に変化が現れた出した。いつもと違う。寒いからとか、何か食べ物でお腹をこわしてる訳ではないのに、腸がすごく活発になっている。この時の腸の様子に興味がある人は、また会った時に尋ねてください。朝の4時起床で夜9時消灯の間、数時間、数回の瞑想を繰り返す中での腸の変革は、大変だった。ヴィパッサナ終了後もヴィパッサナは終わらず、不思議な体験をした。この時の私のマインドと言ったら、波のようになっていて近くにいるパートナーのオラ君には、たくさんお世話になった。


なぜ腸とヴィパッサナなのか・・瞑想を深める、マインドを観察する時間を深くすると、私の場合、腸が同じ時期に一緒に活発となり、デトックスを始めるしくみになっていて、必ず、瞑想の時は食を改めて考えさせられることになる。


そして今、またこの腸革命がやってきていて、今日から北インドのリシュケシュでパンチャカルマを12日間受け始めている。今回の腸革命はこの施述が始まる前のインド3日目から始まっていて今に至る。パンチャカルマを受けようとは、先月のタイ滞在では、全く0に等しいほどの確率で無かったのに、いろーんな縁があって、全く宣伝もしていないような小さなひっそりとした場所にある家族経営のアーユルヴェーダでの治療をしているクリニックで12日間お世話になる。


今日はその初日。昨日は90分にも及ぶ、医師からの問診だった。今後落ち着いたら内容を少しシェアしていきたいと思います。


ひとこと!

インドの東洋医学。すごい!!!

写真は毎日の私の昼ごはん。たまにスープも付きますが毎日同じメニューの野菜違いです。


愛する皆様へ   

愛を込めて リシュケシュ・インドより Nanakha


ご無沙汰しております。

インドです。


インドに長期滞在したことのある人はご存知のように、この国にくると深く考えさせられる『人を信じる』ということ。


旅に出る前に姉貴に言われた『人を簡単に信用するんじゃないよ』この言葉には愛情もあり、私たち姉妹が体験してきた過去、私の過去の痛い思い出なども含め、いろんな意味があるので、私はいつもありがたくこの言葉を受け止めている。


人は、誰もが人を信用したいと思っていると思う。特に1番近くにいる愛する人や家族、そして友達、仕事仲間。。


旅では旅人同士、そして現地の人々とも分かち合い、信用で成り立っている場面は多々有る。


ここインドでは、とても観察力がいる。いちいち騙してくる輩に怒っている暇はなく、冗談を言いながら巻いていかないと

疲れる一方なので、どんどん強くなっていく。そして多くの外人がこの国に旅しに来ているが、中には下品な態度で旅をしている人々もチラホラいて、たまにゲロが出そうになる。下品な態度とは、また今度会った時に気になっていたらお話しします。とにかく日本に無い下品さなのです。インドだけでなく、特にアジアの国で下品な行動をする外人がいるのです。


私は下品な旅人にならないように心がけています。


どこの国にも人を騙そうと企んで近寄ってくる人々はたくさんいて、日本にもオレオレ詐欺のようにどうしようもないことをして、なんとかお金を掴もうとしている人もいたり、情報を隠したり偽ったりしている国の行政機関で働く人々がいたるするわけだけど、同じくらい、優しい心を持って生きている人にも出会う。


今日は先日、私があるピンチに出くわした時に助けてくれたインド人のおじさんと再会できて、見るなりハグをした。


なぜ人間は人を信用したいと思うのか


この当たり前のことをじっくりこの何日間か観察している


多方面から物事を見ると、

騙そうと最初から企んで騙している人

騙している気持ちは少しもないが結果的にその行動は騙していることにつながっている人

騙している気持ちは少しあるが、少しだからいいやと思っている人

騙したくないがシステム上騙すレールに乗っかって仕事をしている人 

騙されたので騙し返そうと思っている人

騙す方法しか生きて行く術を知らない人・・など。


騙す人は騙している実感を持っていたら騙せないので、騙している実感がないから何度でも騙すことができちゃうのかもしれない。


だから騙されたとしても、そこに執着するだけ無駄なことが多い、それを解決しようなんて途方もなくエネルギーがいる。


そこには真実はもうすでに無い。


ここでいう真実は『今は9時』とか『その場所はここです』など決まりきったものを指す真実ではなく、人のマインドが生んだ真実ね。たまに『その場所はここです』とそこでも嘘をついてお金を騙そうとする人もいるからややこしいんだけど。


『信用したい気持ち』

これは私たちがベビーの時、何も一人でできないことで誰かにお世話してもらうことから始まっていると思う。もっと前からいうとお腹にいるときからかもしれない。


ベビー時代は一人で食べることもできないから、全てをまかせっきりで生きないといけない。ここで人間との最初の信用が育まれているのだと思う。子供を育てたい、という気持ちは、人間と信用を構築したいという意思なのかもしれない。


そして親が生まれた時からいない子には、せめて彼らが自分でご飯を食べられるまで、しっかり面倒を見てくれる親代わりになる人が大切だよね。


ヨガや瞑想の道を歩んでいる人はDhamma をもちろん知っていると思う。

サンスクリット語では Dharmaという。

宗教系も、もちろん知っている言葉で、仏教用語とも言われてるが、すごく簡単に言えば、日本の道徳にあてはまると思う。今はあるのかな?道徳の授業。

私の小学校の担任の先生は、この道徳の時間を大切にしてて、とても楽しかった記憶がある。


『ダンマ』の意味は

・当たり前の出来事

・あるべき姿

・守るべき信条

・生き方の教え

・法則、法律、法律の理念

・現象  


を指す


このダンマの道は『人を騙すこと』を固く禁じている。


この教えは、人間の質に対してとっても大切なことだと思っている。


どれだけ有名でも、お金を持っていても、顔が綺麗であったとしても、服を脱ぎ、化粧をとって、髪を剃り、そのからだの皮膚の中はみんな同じ。そして、見ることのできないマインドへ、どれだけ縛りがなく、解放されているかが人間の質であって、騙された失望感や人を全く信用できないマインドは固くほどけないくらいに縛りを生み、やがてそれは人へ連鎖し、人をその鎖で縛りたがる、これは共感したい、わかってほしい、という人間の欲望から生まれる。


質がいい人はまわりの人にも優しい。


脳障害を持った人々やダウン症の人々に、この『人間の質の良さ』を見かけることは多い。だから私は施設へ行くことが大好きなんだけどね。安心するんだよね。


4度目となるインド。

今回のインドは深くじっくり自分を見つめる時間になりそうです。


この頃、友達から悲しい出来事や悩みなどシェアしてくれることがあったのだが、


元気出していこう!共に経験し、
深い人間になっていこうじゃないか!


と、この場を借りて伝言します。


今日は愛する母の誕生日でした。旅に出る前にお手紙とプレゼントを姉に託したので母は大喜び。嬉しいなーこういう些細な出来事。



私の愛する人々へ 
大きな愛を込めてインドより





空気の重さを感じる

右手からゆっくり毛穴が開いて

エネルギーが動くのを感じる

手先からオートマティックに

右手全体を覆っていく

首のまわりまで来た時、

肺に入っていくのに時間がかかる

と思考が動いた途端、違う場面に移動した

フォーカスがどこかの片隅に入っていき、

その中に吸い込まれた

真っ暗で何も見えないが怖さはない

次の瞬間空間が広がり

宇宙にいた

私の足先は空へ向かっていて

頭のかなた向こうにはビルのようなものの屋上があるようだった

深い呼吸をしてみた

次の瞬間

何かの足元らしい場所にいる

そのスカートか脚のような感じは

深いゴールドであまりしっかり見ることができないが

上を見上げると、そのスカートか脚のような感じは

遥か上の方まで広がっていた

その瞬間、それが私なのだと感覚した

ハイアーセルフ


ただ感謝の気持ちでいっぱいだった



愛する人たちよ 幸せでいて