昨日は、素晴らしい回復を見せた我が体
よしよしとばかりに、体が欲しがるままに食事をしました
それが、いけなかった・・・
夕方、胃腸にどどどどっーときました
体力的には、元の木阿弥・・・激しく...... ( 〃..)ノ ハンセイ
今日は、おとなしくこちらを読んで過ごしました
さて、愛知旅行記を再開させていただきます
最終日の報告です
桶狭間の戦いで敗走し、松平元康(徳川家康)はここに逃げ帰りました
先祖の墓前で自害しようとしましたが、住職に諭されて思い留まりまったそうてす
徳川氏の菩提寺であり、歴代当主の墓や歴代将軍の位牌が安置されています
ただ残念ながら、私達が訪れた時間が早く、まだ人影がなく拝観できませんでした
天文11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生しました
その後、享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来
ここが岡崎城と称されるようになりました
東照公産湯の井戸
東照公えな塚 この城で生まれた徳川家康公のえな(胞衣)を埋めた塚
しかみ像
三方ヶ原で武田との戦いで、負け戦となり多くの家臣を失った家康でした
自我の念を忘れることのないように描かせたものと伝えられている肖像画があり
このしかみ像は、この画像を基にして製作された石像です
トップに立つ人は大変ですね・・・と、声かけたくなるくらいの苦渋に満ちたお顔
でも、ユーモラスでした(^ー^* )フフ♪
岡崎城二の丸能楽堂
そうそう、なんちゃってなりきり武将にもなりました
どうしてだろう へっぴり腰になっちゃう
時代小説を読んでいると、かまえというものは、
凛々しく美しくいながら、強く柔らかくそして隙がない
こまかまえでは、ヒザカックンをやられて終わりですね・・・・(*'ー'*)ふふっ♪
さて、狛犬さんに見送られて、次の目的地にむかいましょう