自信の持てる行動。
今やっている事は己の自信に繋がるのか。
万全の健康が自信に繋がるなら、今の行動は不健康な事になっていないのか。
万全に自身の待てる肉体状況から遠ざかる様な行動を取っていないか。
そんな事を考える。
万全に自信の持てる仕事。
生活。
人生自体が底上げであるならば、そういう事になっていくのか。
自信の持てる行動。
今やっている事は己の自信に繋がるのか。
万全の健康が自信に繋がるなら、今の行動は不健康な事になっていないのか。
万全に自身の待てる肉体状況から遠ざかる様な行動を取っていないか。
そんな事を考える。
万全に自信の持てる仕事。
生活。
人生自体が底上げであるならば、そういう事になっていくのか。
部下の一人が会社の手帳でなく自前で用意した手帳を使っている。
俺も3、4年前 相当凝って吟味検討した。
熊谷の本に影響を受けて。
で、結局会社の手帳に落ち着いた。
フル活用する事を条件に。
だから手帳には人一倍思い入れがある。
けど、はっきり言って切りがないので今の形に落ち着けてはいる。
最近、中谷のHPで手帳について書いてあって、一番なのは見開きで左に一週間の日割り、右が何もなしのヤツ。
そう言われてみると確かに日付と自由帳的なモノが一度で見開きになっている方がありがたく、そう考えるとその形になるかなあ。
前は社内で1人ダイアリーと別モノを持つ事に抵抗もあって断念したけど、もうその辺も割り切れるようになったし、変えてみようか。
今は4月スタートタイプもあるし、中身セパレートタイプもあるので、選択肢も数年前と若干広がっている様な気がする。
昨日か一昨日か新聞で岡田ジャパンの記事を見た。
監督批判もある中で岡田監督の心中、プラン、構想とは?
そんな内容。
その中で目を引いたのが、
無心こそより高い集中を生む、といった様な内容。
宗教のある高僧か脳医学の顕位だったか、要は俺で言う副交感神経の専門家。
その人と岡田監督が懇意で、岡田ジャパンへの評価、アドバイスとかも岡田監督にしている。
で、岡田監督もその人も選手の自発的な考えや行動が重要で、その為に無意識部分が更に重要だという。
コレを読んで今俺が気なっている事とリンクしていると感じた。
人間の能力の究極は、無意識部分の活用が必要になってくる。
ただ真正面から、人の意志だけでぶつかって、ではそれ以上の効果は出てこない。
相対的に取り込んでいく、そういう意識が必要。
ネット上にも議論する為のサイトとかある。
そもそも議論とは何の為にするのか。
そのスタンスで大分違ってくる。
例えば相手を打ちのめしたい、とにかく自分の意見で論破する事が目的だったり。
より良い意見を導き出す為にする事が目的であったり。
ま、より良いの方を言ってても、議論してるうちに論破の方の目的に無意識的に変わってしまったりもする。
坂本竜馬は議論はしないという。
人は簡単には自分の意見を曲げないし、そこに注力する事は誰にも不利益だから。
そんな理由だったと思う。
例えば会社の会議とかであれば、より良い・・・が大前提としてある中で、個人の表現力誇示の場になってしまったりする。
さらにその中で上手い発言が出来ない事の評価を恐れて発言が鈍ったりもする。
そして全く本末転倒な状況が生まれる。
結局、議論に参加する人の意識が本当に高くないと良い結果は出ない。
そして参加する人が皆揃ってそのレベルという事は殆ど有り得ない。
スタート時に皆がそのレベルでスタートしても、その議論の進行状況によってそれが保たれなくなったり、論破する側される側が生まれたりする。
される側は耐えられない、される事に。
で、無意味な反論とか生まれる。
する側はそれをつぶし自分の正当性を論ずる事の欲求に耐え難い。
そこでもし議長たる人が居れば交通整理するけど、議長もそこで、いや議長こそ持論との戦いを要求される。
かなりの高い条件がないと議論は成り立たない。
それを分かって、だから坂本竜馬は逆に色んな事が出来たのかな。
損得勘定。
損得感情とも考えられる。
っていうかむしろそっちの方か。
人間、勝負やそれに伴う計算を考えている時は交感神経になっているらしい。
今、娘はテストで点数が悪かったペナルティーで遊びに行けない。
アドバイスとしては今はとにかく嫌だとか損得勘定を考えないで、やるべき事をどんどんやっていくしかない。
交換日記に書いた。
そう、自分がつらい時は、人間 自分の置かれた不利益な状況を考えてしまいがち。
けどやるしかない、というのは変わらず。
なら 四の五の言わずにやるのがいいのである。
その際に厄介なのが損得感情。
損得感情。
造語だが正に、言い得て妙である。
これを排除できれば、やるモードに入れる。
そっち側は副交感神経になっている。
快感さえ発生する。
いや、する。
それが、やるモードである。
おちまさとのブログに禁煙について書いてあった。
喫煙場所を求める行為。
つまりは「タバコを吸う」という行為において「必死か」と突っ込みたくなる、と言う。
あまりに無様では?
という事である。
その事に気付いたり、考えたりする事が禁煙に繋がるとの事だった。
たぶん必死になっている時は損得感情のど真ん中な気がする。
そこから外れた視点で見る事が出来るか。
そういう事だと思う。
今書こうと思ってることがある。
何の気なしに前のブログを見てたらリンクしてる。
普段の意識が大事という点で。
ただ人間、意識的に生きる、というのはある意味限度があると思う。
朝日新聞の勝間和代のコラムに人間無意識で差がつくといった事が出てた。
最近俺も副交感神経と交感神経というのを意識している。
邪悪な念や邪な気持ちの時は人間、交感神経のような気がする。
自分の損得を計算するモードに入っているからである。
やらなくちゃいけない事があるけどやりたくない時なんかはそれに当てはまるのじゃないだろうか。
勝間のコラムには人生では無意識の時間の方が長く、その部分を有益に、またその部分自体をコントロールというか育成する事が重要とあった。
だが、その部分=無意識が優秀な人は、自分が意識しない環境などによって、それが生成された事が殆どである。
そこを本人が意識してみよう、意識して改善しようという事。
ココはデカイ気がする。
中谷彰宏の言葉に、「動けない人は力が入り過ぎている、それはアクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態」というのがあったと思う。
これは交感神経の状態を表している。
思い返してみれば、何か嫌悪感とかを抱いている時は大体交感神経。
イイ考えが浮かぶ時何かは副交感神経。
よく、風呂に入っていたり、夢でイイ考えが浮かぶという話があるけど、これはもう副交感神経でしょう。
俺の場合であれば、ジョギングの最中にこれが出てきたりする。
勝間の話に戻るが、人間は実は無意識部分に人生を左右されてるとあった。
これは人の行動や決断は何も考えていないところで実は決定されている、そういうメカニズムが現実である、という事。
指摘されなければ理解しづらいが、また自分の意志が反映されない様で認めたくないものだが、現実だと思う。
親や親友、同僚、職場、書籍やネットに至るまで、自分に影響を与え続けるモノ。
その辺が起因して今の自分が有り、そして今している行動も無意識で決定がその辺から起因している。
勿論、本人の意志や思考で違う方向に振る事は可能だが、生きる上で必ず有る無意識部分に入った途端に環境からの影響力を多大に帯びる。
という事は、無意識こそ成功のネックなのではないか。
無意識を磨く。
目標としては無意識を誇れる状態にもっていく事か。
俺はバスケットをやっていたが、バスケットは習慣のスポーツと言われる。
速攻で走れと言われても習慣になっていなければ走れない。
走った最後にパスが来てシュートを決めたら、それがご褒美になって次の機会に又走る事ができる。
だからシュートは決めなくちゃいけないし、ガードは自分で決めるよりパスを出さなくちゃいけない。
書いていて気付いたが、常にらなくちゃいけなくて且つ、結果を出さなくちゃいけないのである。
それが習慣に繋がる。
無意識の向上になる。
そして良い無意識の上により良い意識が生成され相乗効果、より良い人生か。
やはり意識を高く持たないと、自分環境の改善も成されない。
例えば、ひょんな流れから自分が担当と成っている仕事や得意先も、本来部下に振るべき。
しかし、何の意識も持たない、ただ仕事の中に埋没している流れの中では、そんな考えも出てこない。
そして大量の仕事に流されればヤバイ。
結構自らも生活や人生そのもののリズムを崩し、挽回の機を逸していく。
だからそこでなおさら日々のリズムを崩さない事の大切さが増す。
体調や体力とその維持向上が大事。
今日も首都圏会議だった。
そしてモヤモヤだった。
そのモヤモヤはもはやジリジリより更に不完全燃焼な感じ。
火が着きそうで着いてない感じ。
今日はその原因が分かった。
会議というのは自己主張だけではダメ。
その場を利用して有益なモノを生んでいく場。
そう持っていく意識が必要。
そこの所が掛けてたからイマイチ火が着かない、俺に。
自分の所属からの意見だけでなく場全体に有益な発信を考えていかなければならない。
その意識が無かったから火が着かない。
恐らくそれが着火剤。
そこが有って初めてモヤモヤからジリジリへ、やっと火種が着く。
それと交感神経から副交感神経への変換が必要だと判明した。
この前の朝日新聞に「10年後日本破綻!?」みたいな記事が載っていた。
あるシュミレーションに則るとありえるという話。
というか現状の税収と歳出の状況、税収:歳出=1:2以上の状況がつづくのなら、という話で、単年ではあるが事実に基づいているのでかなり現実に近い話だ。
そして今日の朝日新聞は日本を飛行中の旅客機に例えた話が載っていた。
これは今後の日本をどう考えるかという何ページも割く特集の(号外的な)キャッチフレーズ的なモノだった。
さっきおちまさと氏のブログでは日本をある企業に例えた話が出ていた。
皆真剣に考え始めている。
こういう系の話がこれまで色々なメディアで様々な形で様々な人達から叫ばれ始めたのは、今までとはチョット違った様相を呈している様に思う。
真剣にヤバイのだ。
おちまさと氏の例え話の中では、更に日本を航行中の船に例えてもいた。
そういった中で特に今までと違うのは、①はそのヤバさの度合い、②はメディアの占める重要性だと感じる。
おちまさと氏の話の中ではメディアやマスコミを切り口にした視点が書かれていた。
朝日新聞の記事はどうだろう?まだ精読してないが。
意外とこのメディアという側面は何にでも言える!?
会社経営の面やビジネスの一場面でも。
そしてその後読んだ藤田晋氏のブログでは「会社とベクトルを合わせる」といった事について述べられていた。
今の世の中何でも相当の力を要する。
その中では効率というか同じ向きに注力する事が重要。
やたら力が入っていても逆方向なら相殺され、もっとならマイナスだ。
ベクトルが合うには先ずビジョンというか方向性の明示、アナウンスが必要というか前提になる。
意外とそこがやれてない事が多い。
そしてその又前提となるビジョン自体が不明確だったり無かったりする。
藤田氏のブログの中で「優秀な社員こそベクトルの差異を無くす様に指導すべき、優秀=諸刃の剣だから」という内容があった。
正にその通りだが、ビジョンがなければそうしたくても出来ない。
そういう現実の上に居る。
俺も日本も。