想い出の人(聡明、理知的、優しかったSさん」 | ~緩和ケアやいのち、日々の出来事や想いを~

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3度のがん経験や、がんの患者さんとのふれあい。昔、白血病で亡くなった長男のことを想い出しながら、
日々の出来事や想いを明るく書いていきます。

山口県でホスピス開設の市民活動を一緒にしていたSさんのことは、昔、ご紹介したことがありますが、最近は、そういう内容のブログを書いていません。


改めてこころに残る方のご紹介をしたいと思うようになりました。


それは、がん治療自体は日進月歩。

しかし患者は未だに、そのスピードからは置いてきぼりのケースも多いと感じています。


20数年前に、Sさんと知り合ったのはNPOを立ち上げてすぐのことでした。


一緒に患者サロンを始めました。しっかりした考え方をお持ちで、私なんか足元にも及ばない素敵な女性。


乳がんのため、病状が進んみ気持ちが焦ったのか積極的に、「今、ホスピス運動を盛り上げるために患者の手記集を出しましょう!」「署名も集めましょう!」

「私が書くわよ」と最初の手記集はSさん。手記には、「元気になったらホスピスボランティアをしたい」と書かれていました。


おかげでうまくスタートが切れました。


手記集の見本を大急ぎで作り、ホスピス(緩和ケア病棟)へ届けた数日後、ご家族に囲まれて亡くなりました。

苦しむ人がいなくなるようにと、ホスピス緩和ケア病棟開設を待ち望まれて・・・。


今の患者会は政治家や医師や製薬企業との繋がりが強いようです。


Sさん達と行動していた頃は、純粋に市民だけで頑張っていました。

良い悪いをいうのではなく、まぁある意味純粋培養だったのでしょうね。


亡くなる数時間前にご主人から呼ばれ、最後にお会いしました。

帰りの車で運転しながら、涙が・・・。

そして帰宅途中に、亡くなったとの知らせがあり、頼りにしていたSさんを喪い号泣。


Sさんが入院されていた緩和ケア病棟は、素晴らしい緩和ケア医と医療スタッフでした。

ただ、現在では??です。

いつの頃からか、緩和ケア平等の質の低下が・・・。


末っ子のKちゃんは中学生、まだまだお母さんが恋しい年頃でした。


Sさんと同じくらいの年齢なので、「私だけ生きてごめんなさいという罪悪感」

その気持ちが、がんの方のお役に立ちたいという原動力になっています。

(だいぶん、歳を取りましたが)


昨日は、母の日でしたね。

お母さんは、必要とされる年代までは元気でいて欲しいものです。

何かあった時に、子どもさんが「お母さん、あのね」と話せる存在は大事だと思います。


少しでも変だと思えば検診を受けて下さい。

市町村などのがん検診を受けて下さい。


Sさんの末っ子のKちゃんは、もうママになられています