息子が2歳半前くらいのお話です。
ちょうど兄の結婚式で帰省していた実家で断乳しようと思っていました。
おっぱいの大好きな子でした
私が育児をしていた時、世の中の圧倒的な指示は
『一歳前に、断乳せよ!!』でした。
2歳すぎまでおっぱいを平気で飲ませる私と平気で飲む息子に、世間はあれやこれやと横槍をふらせてきたものでした。
ただ私には、根拠のない信念がありました。
『この子にはまだ早すぎる』
子供には生まれてからもうそれははっきりとした個性があり、自ら乳離れを済ます子供とかいたりと様々です。
それで、私は、人間界の育児指示に大不信を抱いていたため(ノイローゼになるから)私たち人間より遥かに楽に真摯に子供を育てる動物たちからいつもヒントを頂いていたのです。迷った時には。
ネコさんは、ある日、母親が乳をやるのが突然嫌になるのです。その時に、断乳です。
私はこの『超自然ななりたち』に深い神秘と創造主のすべてがベストタイミングな計らいに打たれるほど感動したことを覚えております。
神はね、ごく自然にそうなるように私たちの体や感情に埋め込んでいるの。。きっとね。
で、そのころ、きたのです。
もう、おっぱいやるのが突然嫌になった
ガルルルルーーーー

で、やめるなら、色んな人が気を紛らわしてくれる実家だと私と息子のパニック度が減るかなと。
新米ママと新米ベイビーちゃんのはじめての試練だからね
その時、ちょうど、別府からおばあちゃんも結婚式ついでにうちに1週間くらい滞在していました。
ものすごく行動力があったおばあちゃんでしたが、御年、90歳すぎくらいだったかな?
もう、体もあんまり動かず、意識も半ボケくらいで、椅子に座ってぼんやりテレビを見つめているか寝てるかの状態でした。
時々、『さっき白い人がいた、恐い』と幽霊か幻を見ているようでした
そんなのどかな笑、食卓で、おばあちゃんは小さくなってしまっていたので、椅子に座ると、足が宙に浮いてしまうから、簡単な足のせの台を置いていたのです。
母と私と息子とおばあちゃんとで昼食か早めの夕食をとろうとしているときでした。
息子を抱えあげ、赤ちゃん用の椅子に座らせて、おばあちゃんを椅子に座らせた時に、ふとぼんやりとおばあちゃんが、足元をごそごそしていました。
すると、
2歳児のまだ昨日までおっぱいを飲んでいたようなぽよぽよとした息子が、ビックリするぐらい素早く椅子から滑り降りて、一分の無駄もないような素早さでテーブルの下に潜り込み、おばあちゃんの足のせをおばあちゃんの足の下に置いてあげていたのです。
驚きました。。本当に。。凛々しく優しい青年のようだったのです。まるで。小さいけど。。
私は赤ちゃんをナメていました。
断乳中での一番のタブーはおっぱいを見せること、だと思っていたので、私は、おばあちゃんと息子とお風呂に入っていました。ばあばとお風呂に入って欲しかったけど、ママと入るときかなかったために。あまり拒絶しすぎてもあかんかな?と、
断乳は相当泣かれる覚悟をしていたのですが、思ったほど大丈夫だったんですが、二日目のお風呂の時は、なんだか元気なくおっぱいを見つめています
おばあちゃんはぼんやりと私に洗われていました。
それは、ぼんやりとした2歳児と90歳のおばあちゃんを洗い終えて、わたしが髪を洗っている時でした。
息子が意識朦朧とした顔で、私のおっぱいにはんば無意識に吸い付こうとしたその瞬間でした。
『あらあら?あれはなにかなー?ほれ?これはなにかなー?』
と、少し離れていたおばあちゃんが私と息子の間に身を挺して入り込み、一瞬で息子の目をそらせてくれたのです。目にも止まらぬ素早さでした
ここで吸ってしまうということは、そうだなー麻薬をやめてる人が、また手を出してしまうくらいの元の木阿弥的な事になるのですよね。
おばあちゃんは半分あの世に行ってるとばかり思っていたけど、ちゃんとわかっていたのですよね。まるで、私が一番よく知っているしゃきしゃきのおばあちゃんが帰ってきたようでした。
ナメてました。90歳を。。
ふと、一昨日、この出来事を思い出したのです。
ぽよぽよの赤ちゃんとよぼよぼのお婆ちゃん。
その二人は、お互いに献身しあったのです。
なんの理解もできていないと思っていた私は浅はかだったなあと。
小さくてもしわしわでも四肢が思うように動かなくても左脳が利発な事を言えなくても、ちゃんと愛のある行動をとるんです。
やはり、創造主は、ちゃんと私たちに埋め込んでいるのよね。。
もうおばちゃんはこの世にはいないけど、改めて、、
おばあちゃん、ありがとう
おっぱい飲んでいた息子は、まもなく高校卒業です。
あの日はありがとう❤