目が合うと頬を染めて、はにかんだような微笑みを口元に浮かべた。ときには、あの咲きみだれるハイビスカスのあいだを足音をたてずにすべり抜け、背後からいきなりぼくに飛びついて、おどろかせたりもした。
家をおとずれると、彼女の家族はさして豊かではないのに、それでもせいいっぱいのごちそうでもてなしてくれ、帰りぎわには、パンの実や落花生、トウモロコシなんかのおみやげまで持たせてくれた。
ふつう日本軍の兵隊はどんなに腹がへっているときでも、原住民の人たちの食物には手を出さない。平気で食べるのは、ぼくくらいだったから、日頃のおこないがエトラリリの家族にも好意をもって受け入れられたのかもしれない。
ハイビスカスの花群の中でぼくとあっているときは、いつもはじらいにも似たひかえめな話し方をするエトラリリの内に秘めた激しい面をかいま見たのは、彼女と知り合って間もない、ぼくが隊で失態をしでかしたときだった。
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当然のことながら、班長にどなりつけられる。
そのとき、どこから見ていたのか、エトラリリが走り込んでくると
『こんないい人を、なぜ叱るの?』
班長を突き飛ばさんばかりの勢いで抗議しはじめてのである。上官も兵も、何ごとがおこったのかわからずに、あっけにとられていたが、そのうちにどうやらいつも怠けてばかりいる階級が最下位のぼくのことをかばいだしているらしいことに気がつくと、ニヤニヤ笑いながら意識的にぼくを指して、
『こいつはどうしようもないくらい悪い兵隊なんだ』
こんなやつをかばうと、おまえまで処罰しなくちゃいけないーーそんなことをエトラリリに言っておどかすつもりのようだった。
ところが彼女はひるむどころか逆にせいいっぱい大きな声を張り上げて、彼は偉大な人物であると、必死の弁明さえはじめるのだ。
まだ16歳にもならない少女の、この真剣な抗議の姿には、なにかに憑かれたような、相手をぞっとさせる壮絶な迫力があった。
結局、班長も厳重注意ということで、ぼくを叱ることをあきらめてしまった。
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『おまえ、土人の女とヤルとローソク病にかかるぞ』
などといらぬ忠告をしてくる。男の大切な一物が、ローソクみたいに先の方から溶けて腐る病気になるから触れてはならないというのだ。当時まだ童貞だったぼくは、そっちの方面の知識はもちあわせていなかった。ただひたすら涙をのんで、その話を信じるだけだった。
色あざやかなハイビスカスのなかでほほえんでいるエトラリリを、毒の花をみるような気持ちでながめなければならなかった。触れることができない毒の花が美しいように、汚れをしらぬエトラリリのほほえみは、何よりもぼくの心を誘いよせるのだ。
それでもぼくにできるのは、ただじっと、美しい花を見つめていることだけたった、、、
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あのときから、もう30年の歳月が経ってしまった。遠い南の国の思い出もときの流れといっしょに、はるか彼方へ流れて埋もれているはずだった。
夏が間近になったある日のこと、ぼくは家の近くを散歩していた。商店街に、はいって何げなく花屋の店先をみれば、どこか懐かしい花が並べてある。
小さな鉢植えのハイビスカスだった。
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庭に数十個のハイビスカスをならべ、その真ん中に腰をおろす。燃えるような花の色。夏の太陽を照り返すつややかな葉。あたりはいつしか南の国の花の香りに包まれていた。いまにもひょっこりと、エトラリリが花の精霊のような姿を現しそうだった。でもぼくの目の前に現れたのはエトラリリではなく、一ぴきの黄色い蝶だった。
蝶は、ぼくの思いなど知らぬ気に、夏の陽射しをいっぱいにうけたハイビスカスの花から花、黄色の翅をひらめかせながら思いのまま飛び回っている。
空高く舞い上がってはまた舞いもどり、翔び去りかけてはまた花と戯れる。かなりの長い時間、黄色い蝶はハイビスカスの花群からはなれなかった。
その翌日も、同じくらいの時刻になると黄色い蝶は、いずこからともなくやってきた。そして南の国の花をいとおしむように長い間そこにとどまった。
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返事を待っているあいだ、ぼくはハイビスカスに、日ごと水をやり、手入れをしてやった。しかし、その甲斐もなく、ひと月も経ったときには、半分ほど枯れてしまった。残りの半分も次第に枯れはじめ、ハイビスカスがみんな枯れ果てたころ、南のトペトロから返事がきた。
『エトラリリは、ふた月前に死んだ』
やっぱり、そうか。
予感は当たっていた。彼女の故郷には、死ねば蝶になるという言い伝えがあったのだ。
遠いパプアニューギニアから蝶になって翔んでくれば、それくらいの時間はかかるだろう。
蝶はたしかにエトラリリだったのだ。
そういえば、ぼくたちの部隊が玉砕した場所に、生き残りの三人が赴き、墓をたてて酒をかけたところ、どこからともなく蝶がとんできて、その墓にじっととまっていたことがあった。
蝶にはやはり、霊物が宿るのだろうか。
はるかな白い雲に目をやりながら、ぼくは急に目がしらが熱くなるのをこらえきれなかった。
『人生をいじくり回してはいけない』より。
水木しげるさん。
あの水木さんの唯一ともいえる恋のお話です。唯一とは恋の回数ではなくて、恋を語った回数のことです。
私はこの水木さんとエトラリリさんのお話が本当にすきなのです。
今日は七夕。蝶になった二人はもう、時間も空間の縛りもないどこかで、自由に会えているのだろうと思います。
美しいですね、美しさってすごいと思います。
美しく大好きな歌🎵