近所で解体作業がおこなわれている。
つい昨日まであった風情のある昭和初期の民家が瞬く間に崩壊していく様は、
今のこの大転換期とミクロ的シンクロをみるようで、少しのせつなさと身の引き締まる思いとが交差する。
いく川の流れは絶えずして、、、
その粗削りな解体現場をお昼時に通ると、
年配の男性が、道路の木陰で慎ましくお弁当を召し上がっていらした。
はっとしてなぜか胸を打たれた。。
奥さんが作ったお弁当なんだろう。
おとうさん、いつもありがとうね、おとうさん、はい、お弁当、おとうさん、気をつけて行ってらっしゃい、おとうさん、暑いなか、ご苦労様です、おとうさん、、、
そういう柔らかい愛情にはっきりと包まれていらしたから。
荒ぶる作業と肉体労働はあの年齢では、この時期相当堪えるはずなのに、
おとうさんの慎ましやかな品性漂うその静けさは、おかあさんの愛情によるところが多分にあるのだと、その姿の不可視な部分が無言で伝えている。
旧文明の崩壊を見るなかで、
おとうさんの慎ましやかな美しさは、崩壊することのない永遠の真実のようにみえて、
思わず、前を通るとき、こうべを垂れた。。
