土人のところへ行って、いろんなものを食べるようになってから、すっかり元気になり、手の傷も快方にむかい、静かに嗅いでみると、赤ちゃんのにおいがする。
新しく生まれ変わるようなにおいだった。
毎日来る軍医さんにその話をすると、
『そうだ、我々はお前の傷を保護しているだけだ。お前の体の中にお前の傷をなおす力があるのだよ。自然良能といってね、、、』
″なるほど、目には見えないけど、なにかが守ってきるんだなあ、自然は我々を守ってくれているんだ″とお父さんはその時思った。
そうだ、そういえば、土人の心にも『自然良能』みたいなものがある。考えて見ると、目には見えないが、この大地にはお母さんのような心があって、いろんなものに混じってお父さんを助けてくれているのだ、お父さんの体の中にも、また軍医さんの心の中にも、また土人の心の中にも、、、。
いや木や石にだって、きづかないけれども、そうした思いやりの心があるかもしれない。
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お父さんはいつも思っている。この文明社会で、一生働いてみたところで何の楽しい時が在るのだろう。
今の世の中はわずかの間(70年)生きるのに、あまりにもたくさんの物を必要としすぎる。
電気センタク機から冷蔵庫、カー、別荘、家、、、。果ては効くどころか、害のあるくすりまでお医者さんにのまされる。別にものがたくさんあるからといって幸福になれるわけでもない。
お父さんはお前たちがやがて大きくなり、サラリーマンと結婚し、さまざまなストレスになやまされながら一生をおくると思うとゾーッとする。
とてもこの釜1つの土人の幸福には及ばないだろう。
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やがて28年の歳月がながれ、お父さんは生き残った戦友と一緒に、土人たちのところへ行った。トペトロは生きており、エプペはココボの病院にマラリアで入院していた。イカリアンやトユトはもう死んでいた。
部落のものは集まり、『パウロよくきた』といった。トペトロは妻を二人もった酋長になっていた。
短い言葉の中にも文明社会ではみられない味があった。そして真実のこもった黒い顔が幾重にもお父さんを囲んだ。
なんという心の楽園であろう。お父さんが28年前に味わったオドロキは、ずっと生きていたのだ。
お父さんが万難を排してお前たちを土人のところへ連れてゆくというのは、地上にはこういう人間もいるのだ、ということと、万一生活に困ることがあれば釜1つぶら下げてゆくのもよい。
彼らこそほんとうにたよりになれる人間なのだ。
いずれにしても蜂が大地に卵を生み付けるように、お父さんはお前たちの頭の中に精神的遺産でも生み付けるような気持ちで、ラバウルに連れてゆくのだ。
『人生をいじくり回してはいけない』より。
娘たちに送るメッセージ。
水木しげるさん。。