一説によると、「山の手」と「川の手」という呼び名があったそうです。
江戸時代の「山の手」とは四谷、青山、市ヶ谷、小石川、本郷界隈を指していた。
このあたりは武家屋敷や寺社が多く、明治に入ってからは官吏や軍人が多く住んだ。現在の文京区、新宿区、港区にあたる。
聖イグナチオ教会方面を望む。
一方、下町(川の手)は・・・
徳川家康が江戸入府の際に、隅田川河口部の当時の湿地帯を埋め立てた地域を「下町」と呼び、町人や職人の居住区、仕事場とした。
このことから下町を別名「川の手」と呼んだことが納得できる。
現在の神田、日本橋、京橋のあたり。
たとえば神田の地名ひとつをとってみてもどんな職業をしてる人の住む町だったかが覗える。
現在では浅草、亀戸、深川あたりまで下町エリアは拡大、「下町」という呼び名が定着し、江戸東京の住人にとっては「温かさ」を連想させる町となっている。
首都高より浅草付近
左:アサヒビール本社
右:スカイツリー634M
さて、問題は「川の手」という呼び名がどうして消えてしまったのか?ということになる。今後の宿題とさせていただきます。
追記:2022年8月吉日
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